『星』
俺は今、廊下を走っている。
それはそれは、とても全力疾走で、振り向くと後ろから生徒指導の先生が追いかけてくるのが見える。
それでも俺は立ち止まる訳には行かなかった。
なぜなら俺は、別の棟にいるあいつに伝えなきゃいけないことがあるからだ。
それは今夜、快晴の中で満月を観測できるということだった。天文部の俺たちは夜桜と満月の組み合わせを撮りたくてここ数日ずっと天気予報とにらめっこしていた。
何とか先生を撒いて、特進クラスの教室をガラッと勢いよく開く。クラスの人が一斉にこっちを向き、静寂の中に
「今夜、20時に屋上で!!!」
という俺の声が響く。そしてあいつの返事も待たずに俺は次の授業のチャイムに急かされて、また自分の教室に戻った。
約束の20時。
屋上の古びた重いドアが軋んだ音を鳴らしながらゆっくり開いた。
そのまま言葉を交わすことなく2人で大きな望遠鏡を組み立てる。
完成した望遠鏡は俺よりも大きくて年季が入っている。
いつものように見えた星をスケッチして、春の夜空を紙に残す。
それから俺らは校庭に移動して、大きな桜の木の下に行く。お互いやっぱり無言のままでカメラを構える。
何枚かシャッターを切って、ふと顔を上げた。
斜め前にカメラを構えるあいつがいる。
風がふわりと吹いて桜の花びらを散らす。あいつの長い前髪もさらって普段は隠れている顔が露になる。
綺麗な横顔だと思った。
月明かりに照らされる夜桜に負けぬような美しさを感じた。
でも俺は知っている。あいつは卒業とともに上京をする。
また夜風が二人の間を抜ける。叶わぬ恋もさらってしまって欲しかった。
俺らを繋ぐのは、夜空に輝く星だけだった。
2025.03.11
21
『願いが1つ叶うならば』
「将来について」
そんなことを昔、高校の授業でやった記憶がある。
何の科目かは忘れてしまったが、家庭科だか総合だかそこら辺だろう。
その時、君はなんて言ったんだっけ。
僕はもう忘れてしまった。
今更その答えはどこにもない。
海の見える霊園。そこに君は眠っている。
いつの間にかあの問から月日が経ち、そしていつの間にか君はどこかに行ってしまった。
大学4年になり就職に頭を悩ませていた僕はふらっと彼女に会いにここへ来た。
自分でもよく分からないが、何となく足を運んだらここへたどり着いた。
「ねぇ、君はあの時なんて言ったんだっけ」
そう聞いても答えは返ってこない。
少し冷たい潮風が僕の頬を撫でる。
彼女は高校を卒業する前に病気で死んだ。
桜のつぼみができた頃の浮き足立つあの時期に、彼女はみんなより一足早く旅立ってしまった。
僕が今、将来について考えるなら。
できることなら彼女のいる世界を生きたかった。
君の笑顔を1番近くで見たかった。
さっきより少し暖かい潮風が僕の髪を揺らした。
あぁ、思い出した。
君はあの時こう言ったんだ。
「君と一緒に生きたい」
ねぇ、神様。
願いが1つ叶うならば、僕は彼女の夢を叶えて欲しかった。
2025.03.10
20
『嗚呼』
ずっと死にたかった。
死にたくて死にたくて、どうしようもなかった。
それでも行動に移せない自分が馬鹿で愚かな人間に思えて余計に苦痛だった。
いっその事、君に打ち明けようかと思ったんだ。
死にたいって、もう終わりにしたいって。
だけれども、優しい君にそんなこと言えなかった。
俺は知ってるんだ。
君が過去に大切な人を亡くしてることを。
そしてそれが自らの意思だったってことを。
もう二度と誰も失いたくないことを。
俺は、知ってるんだ。
それでも、死にたいって願ってしまう俺はやっぱりどうしようもない人間だと思う。
申し訳ないとも思う。
生きたいって思えなくて申し訳ない。
君が俺を愛してくれてるって分かってる。
大人になりたくないんだ。
ずっと昔に自分と約束したんだよ。
20歳の誕生日までに死ぬって。
だって、大人との境目なんて曖昧なんだけれど、
20代が子供扱いされることはないだろ?
やっぱり子供で許されるのは10代までなんだよ。
自分が幻滅した大人になりたくない。
苦しめてきた大人と同じ立場になりたくない。
子供の気持ちの分からない大人になりたくない。
数字に囚われて、常識という名の偏見に囚われている大人になりたくないんだ。
嗚呼、ごめんな。
君が俺に生きて欲しいのは知っているんだ。
でもね、やっぱりそれでもね、俺は死にたいんだ。
2025.03.09
19
『秘密の場所』
雪の積もった朝。僕は君の隣で目を覚ました。
床の硬さと壁の狭さに身体は悲鳴をあげていて、ぼやけた視界にバンドルが見えたことから車の中だと認識する。
フロントガラスから入ってくる眩い朝日に目を細ませながら鈍い頭を回転させる。
あぁ、そうだ。
昨日の深夜、大雪の降るなか彼女と車でここまで来たんだ。
海に面した大きな公園。
それは僕と彼女が初めて出会った思い出の場所だった。山道を抜けた先に大きく広がる水平線が僕らのお気に入りで秘密の場所だった。
あの時は確か真っ赤なバラが咲いていて、とても綺麗で、僕はそこで彼女に告白をした。
彼女はすやすやと寝息を立てていて起きる気配がない。そっと車から降りるとひんやりと冷たい空気が鼻をツンとさせる。
水平線から昇る朝日が綺麗だった。
眩しくて頭がクラクラした。
だから、昨日のことが嘘のように思えた。
トランクを空け、荷物が揃っているか確認する。
レジャーシート、たくさんのタオル、ロープとスコップ、ガムテープ、そして最後に練炭。
その中からガムテープと練炭だけを取り出し車に戻る。
そう、昨日、僕らは人を殺した。
そして、この公園の近くに埋めた。
山道を通るため隠す場所などいくらでもある。
世界に大きな嘘をついた僕らに、居場所はもうない。
さぁ、二度寝をしよう。
大丈夫、次に目が覚めたときはきっと、僕と君の
2人だけの世界だ。
おやすみ。僕と君だけの秘密の場所で。
2025.03.08
18
『風が運ぶもの』
春の初めに君と出会った。
ポニーテールを揺らしながらランニングをする彼女を見かけたのは、家から徒歩10分の大きな公園だった。
サッカー場や野球場が併設され、サイクリングやランニング用の道が整備された公園のベンチに僕は座っていた。
2キロ走っただけでヘトヘトになり休憩していた僕の目の前を爽やかに駆け抜ける彼女の姿が印象的だった。
脂肪でぷくぷくに太った僕と違い、彼女の手足はしなやかに長く、筋肉で引き締まった身体が美しかった。
しばらくして彼女がまた僕の目の前を通り過ぎる。
その軽やかな姿につられて僕も彼女の後ろを走り始めた。
彼女に追いつこうとして、僕は無様に転んだ。
ズデン、と大きな音を立てて転んだ。
彼女は音に振り向き大丈夫ですか?
と僕に手を差し伸べてくれた。
ふんわりと柔軟剤に混ざって汗の匂いがする。
美人は汗もいい匂いなんだな、と変態じみたことを思いながら立ち上がる。
あれから数日後、僕は毎日彼女を求めて公園に走りに来ていた。
風の強い日だった。
また3キロ走ってクタクタになり、ベンチで休憩していると風でなにかが飛んできた。
それは以前嗅いだことのある匂いのするタオルだった。
もしや、と思うと予想は的中。
彼女が駆け足で僕の元へ来る。
風が、彼女を運んでくれたみたいだ。
風が運ぶもの、それは恋なのかもしれない。
そんなことを思いながらまた彼女と走り出した。
2025.03.06
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