こちら、思春期のぶどうです
このぶどうで酒造されたワインは格別ですよ
みなさま、どうぞご試飲なさってください
ほんのり明るめのレッドに混じり合う暗色が、自分の青春時代を彷彿とさせた。光に反射して揺らめく赤は紫に近く、口をつけて一気に飲み干すと、今はもう感じることのない苦みが口に広がった。
18歳の青年で、収穫時期には失恋のショックを抱えていたそうです
どうです?甘酸っぱくて辛い味がするでしょう
ちょっと分かりづらいという方は、きっと失恋したことがないのでしょうね
終始笑顔をキープするソムリエは揶揄するようにそう言った。周りは上品そうにクスクスっと笑っていたが、自分は苦笑いを浮かべていた。
昔、自分は多少なりともモテていたという自覚がある。月に1回は必ず呼び出され、その中から数人と付き合うことはあったが、自分から告白したのはただ1人だけだった。
自分はあの時、初めて気になった子に対して妙な勝利を確信していた。そのまま衝動的に告白をしたわけだが、瞬殺だった。
ごめんなさい、あなたのことよく知らないから
その時の自分の顔はどんなに間抜けだっただろう。何しろ同じ学年で月一で告られる自分を知らないはずはないと、無意識のうちに決めつけていたのだから。うぬぼれた己の醜悪さに、恥ずかしさで死にたくなったのを今でも覚えている。
これ、1本ください
手を挙げて言った。ソムリエは変わらぬ笑顔でお買上げありがとうございますと頭を下げた。
.お気に入り
昔見た、水面に宿る彗星に目を奪われた。
それ以来、本来目があるはずの場所はぽっかりと穴が空いている。
移動する時は手すりがないと不安だし、点字ブロックを踏み外した時の崖から転落するような心地は肝がヒヤッとする。
でも、見たくないものを見ずにすむから案外いいのかも。
こんにちは
2時の方向から聞こえてきた。
あなた、お目目が真っ黒なのね
私は耳がないの ほら見て
あ、でもあなたには見えないね
じゃあ はい
生暖かい感触が手の甲を握り、柔らかくふわっとした手触りにドキッとする。恐る恐る触れる部分をなぞるように手を回すと確かに凹凸がない。
私は昔、花火を横切る彗星にやられたの
あなたは鏡に映るやつとか?
何かと不便だよね、この呪い
なぜか初めて会うこの人の声にほだされる。
ねえ、もしも元通りになったら1番に何を見たい?私はね、何よりもあなたの声が聞きたいな
ずっと私ひとりで喋ってて、ずーっと聞いてくれたのはあなただけよ
この呪いが解けたらいいのにって強く思ったのも今日が初めて
少し声が小さかったけど、はっきりと聞こえた。
そう言う君の顔はどんな顔をしているんだろう。
.誰よりも
おつかれえっす もう上がりすか、ちがうっすか
俺は今から未来支部行ってくるっす ういーす
颯爽とバイクでかけていく後輩を見送ったあと、俺は反対方向を向いてエンジンをきる。
巨大な重力の波に吸い込まれるように、歪んだ光の経路へと入っていくと、そのままブオンと外へ放り出された。
うえぇきっもちわるっ
時空を通過する時の、全身がひしゃげたような感覚は未だに慣れない。時給が悪かったら絶対やんねえこのバイト。
懐かしい通りをバイクでかけながら、各家のポストへ投函していく。
次でラスト、ね。今までよりも大きく、この時代にしては珍しいコンクリの家に着く。玄関前に人影が見えて、とっさに深く帽子をかぶった。
ねえ、お兄さんってもしかして ...
投函後、俺はすぐバイクにまたがってかけ出した。
遠くから、やっぱり!お前だろ!早くこの時代から出てけー!!!と叫ばれた。
またあの気持ち悪い空間を抜けたあと、心臓が激しく鼓動していて、しばらくヘッドライトにもたれかかった。
先輩大丈夫すか 具合悪いすか
なんかヒア汗かいてません?今日は帰った方がいいすよ おつかれえっす ういーす
着替える気力もなくベッドに仰向けになる。しばらくして、外からブオンと音がしたので、ポストを見に行った。差し出しは西暦に日付、時間帯まで事細かに書かれていた。〝今すぐ〟の急ぎの用か?
ビリビリと雑に封筒を開けて、曲げられた紙を見た瞬間、思いっきり破り捨てた。
金貸して
.10年後の私から届いた手紙
去年は人差し指をあげたの
自分で作ってくっつけたから、ちょっと不格好なんだよねー
ほら、と右手の人差し指を見せてくる。確かに、少しつけ根がずれているし爪の造形がおかしかった。
ちゃんとお店に頼まないとだめじゃん
今年はちゃんとするつもり。ネイルできないし
昼のまどろみの中、ディスプレイを凝視していた眼を擦りながら、今年は何をあげようかと話し合っていた。
そういえば、マドンナは小指あげて赤ちゃんできたらしいよ
会社でマドンナとうたわれる彼女は、去年幼なじみと結婚したらしい。そっか、おめでとうじゃん。
あんたは?もう10年以上経つんでしょ
私と彼は高校からの付き合いだ。そろそろ、というか早く結婚したい。私は去年、左手の薬指をあげたのになんの音沙汰もなく今年が来てしまった。
とりあえず、今年もアピールしてみる
お、何あげるか決まったの
仕事終わり、すぐにお店へ向かった。
いらっしゃいませ。今月限定割引やっております
どの部位にしますか?
心臓でお願いします
...重いかな
.バレンタイン
あー視覚花火障害ですね。
今のうちに暗闇に慣れていた方がいいですよ。
はいこれ、と医者から手渡されたのはサングラス。
本当はゴーグルの方がいいんですけどね、光をより遮断できるので。目薬出しときます。はい、お大事に〜。
中半、追い出されるように診察が終わった。
はあ、まさかの花火障害かよ。
これは遺伝的に発病するもので、最終的には視界が光で真っ白になる。
おーい。なにカッコつけてのっ。
ひょいっと俺のサングラスが奪われた。
お前なー俺の目が潰れてもいいのか?
一生俺のつぶらな瞳が見れなくなるぜ。
笑いながらサングラスをもてあそぶこいつは一応医学生。患者の気遣いどころか進行を促してやがる。
私さー、花火の科目とった。
ふと、真面目な顔をして言ってきた。
だから私が将来、対花火の特効薬を発明するから、その時の被験者第1号に任命する!
ふはっお前が?期待しないでやるよ。
まあ、見といてよ。
.待ってて