春爛漫
「私、桜が咲く季節って嫌い。希望ばっかり描かれて、でも実際は花粉と黄砂で空気きったないし。桜すぐ散るし。」
桜を見上げもせず、花びらが散る道を雑に歩いて彼女は言った。驚いて数回瞬く。その言葉は僕の胸に清く吹き抜けた。
あぁ、春という季節への違和感は、それだったのか。
「…確かに、本当そうだ。」
「え?あ、ふうん。捻くれてるとか言わないの。」
「言わないよ。僕には捻くれられるほどの自我もないのかもしれない。」
「そう?そんなこと言えるくらいなんだから、十分じゃん。」
風が吹き上げて、桜の花びらが踊った。彼女が鬱陶しそうに乱れる髪を押さえて、僕はその横顔に見惚れた。
窓が曇っている。揺れる四角い箱の窓が全て白く曇っていて、人は多くて、だけど仕事には行かなくちゃならない。
ああ。今日はもう、駄目だな。俺はスマホの音量ボタンの上側をかちかちと押して、ぴったり耳に入ったイヤホンからの音が脳を満たすのを感じながら一度目を閉じた。
必殺、心のスイッチオフ。そう頭の中で唱えて、俺はバスを降りた。
はっと我に帰って、19時。そんな馬鹿なと思われるかもしれないけど、なんかこう、確かに自分ではありながら、魂を数センチ自分からずらすような、そんな感じ。ずっとうっすらと感じていた頭痛が我に返ったせいなのか、仕事という緊張が解けたせいなのかぎちぎちと増してくる。
「ただいま〜っと。」
「あ、おかえり。今日しんどかったでしょ。」
「…え?あ、なんで?」
確かに口角を上げた声で挨拶をしたはずなのに、玄関まで出てきた眼鏡姿の怜はそう断言して俺に手を伸ばした。
なんで足が重いことまで分かるんだよ。
腕を掴み、玄関の靴の上から引き上げられる。ふかふかの部屋着に吸い寄せられるように思わずそのまま身を寄せた。
「気圧今日ずっとしんどかっただろうなって。」
「自分はその感覚ないのによく分かるな〜…。」
より背の高い怜に抱き留められ、肩の力が緩む。
「…まあ一旦寝なよ。」
「……そうだな〜…あ〜あ、出してないつもりだったのに。」
「ばぁか。いつから一緒だと思ってんの。」
「7さい…。」
「はは、そーだよ。誰よりずっと見てきたんだから。」
柔らかな赤毛をくしゃりと撫でると、気遣うように肩の辺りをじっくりと摩られた。雨音は止まなかったが、そこからは随分と穏やかな響きに聞こえた。
安らかな瞳
「あ、札幌最高裁のやつ、同性婚出来ないのは違憲判断だって。」
「お〜まじで、道のり長いとしても良い傾向だ〜。」
「まあ…十分しあわせなんだけど、お国様に合法にしてもらわないとしあわせ壊されちゃうかもしれないからなぁ。」
そう静かに言う怜の瞳は安らかな色をしていた。
俺が思い出す10代の君は、いつも瞳を下に向けてうろうろさせている。君はひとりで同性愛を抱えて、俺がそうなわけないって決めつけてた。
俺としては怜が望む関係でいたいって思ってたんだけど…それが受け身すぎたんだよな。
「…もっと早く安心させてやれたら良かったなぁ。」
「んん?」
「俺は最初から怜の王子だったのに言うのが遅すぎた。」
「なに言ってんの…むしろ言わなかったでしょ、僕に言わせたんだから僕が晶の王子だったんだよ。」
安らかな瞳は笑って煌めいた。10代よりも無邪気に20代を過ごせているのが幸せだ。
「…というわけで日本くんは5年以内くらいには同性婚出来るように変わってくれ〜〜。」
「ほんとだよ〜。」
バレンタイン
僕が焼くお菓子が大好きだって、君はいつも言う
でも、バレンタインっていうイベントを前にするとどうしても
なんだかいじけた気持ちになって
どうせ女の子から欲しいんでしょって
君のためだけに作ったわけじゃ全くないんだからねって
いつも釘を刺すみたいな渡し方をしてしまう
スイーツ作れるなんて女子力高いねって周りの声
うるさいな 放っておいてよ
別に女の子の真似がしたくて君を好きなわけじゃない
こんな焦げついた気持ちも
せめて粉砂糖で白く誤魔化せたらいいのに
待ってて
空にはまだオリオン座が浮かんでいる
もう少しだ あと少し
桜が咲いて…空に浮かぶ星座が春の星座に変わる頃には…
春の星座が分からないのが格好つかなくて嫌になるな
君が卒業した高校から僕も卒業して、
君が入学した大学に僕も入学する
自分でもまさか理系の大学に受かるなんて思わなかったけど…
君のために受かったんだから、責任取って面倒みてね、先輩