たからもの
私の宝物。
綺麗に磨いた通学用のローファーと、バイト代で新しく買った好きなブランドのブーツ。
スフレヤーンのもこもこマフラー。
それから、あの子がくれたベロアのカチューシャとホワイトリリーのハンドクリーム。
この冬を共にする大切な宝物。
あの子と過ごす時間が、この宝物たちに染み付いて残るように。
秋風
志織とは春に出会った。今はもう並んで電車のホームの椅子が冷たい。柔らかく冷たい風が彼女の方から吹いていつものサボンの香りが鼻をくすぐる。
「…誰かが泊まりに来るなんて中学生以来。」
「あ〜…うん、うちも最後がいつか覚えてないな。」
しおりの家の方面に向かう電車がやってきた。
試験勉強のための教科書とノートでずっしり重いリュックを持ち上げて、一泊するための荷物で膨らんだトートバッグを抱えて乗り込む。
「…ふふ、ルイ、意外と荷物多い。」
「しおりの服じゃ入らないし…。」
「ふふふ、まあそうだけど。」
秋風を締め出してゆったり電車が動き出した。
少し進んでカーブを進むとがたんと揺れて志織が掴んでいたバーに自分も掴まる。
心なしか彼女を壁に追いやるような体勢になってしまった。
でも彼女は真顔よりは少しはにかんだような表情をしたから、そのまま傍に立つ。
「……、」
志織が少し俯いて艶めく黒髪が片耳から流れ落ちる。睫毛を伏せて、色付きのリップがついた唇をきゅっと結んでいる。
透けるグレーの眼鏡フレームは彼女を凛とクールに仕上げるけど、私の前でこの子は特別な感情を揺らしている。手に取るように分かるのは、私も同じだからか。
勉強会は別に泊まりじゃなくたっていい。そんなことお互い分かってる。
まだ何も言葉にしたことはないけど、移り行く季節と一緒に傍に居る時間を伸ばす、それだけで十分な気もしているんだ。
また会いましょう
クラスの女の子たちと話すのも嫌いじゃない。
だけど、はしゃいだ空気にいるよりも、ひとりでひっそりお昼を食べたい時もある。
最近学校の園芸ハウスのそばにあるベンチがいつも空いてることに気が付いた。
お昼も空いてるに違いない、心を弾ませてぽかぽかとした陽気を浴びながら足を進める。
よかった、誰も座ってない。
緑の気配が強くなる。後ろからハウスに面するベンチに近付いて、正面に回ろうとして私は思わず声を漏らした。
「…えっ。」
猫のようなリラックス感を出して、ジャージ姿の生徒が寝ていた。
脚はベンチの反対側からはみ出してハイテクスニーカーが地面に着地している。
「……、」
先客なら仕方がない、そう後退りすると生徒の顔に置かれていた腕が上がって私を振り返った。
「あっ、ご、ごめんなさい。」
「…、んん…?いや…こっちこそ…どーぞ、座って。」
女の子だった。声の柔らかさに少し驚いていると彼女が起き上がり、焦茶に見えた髪が陽に当たってきらきらとキャラメルみたいに煌めいた。
「…いいの?」
彼女が同じ一年生かも分からなかったけど、何となく彼女に敬語を使うのは違うような気が既にして、そっと尋ねた。
「うん、座りたかったんでしょ。」
彼女は私の視線なんて気にしない様子でのんびりあくびをしてベンチの片側を空けた。
私はなんだが胸の辺りが高揚する感覚に気が付かないふりをしながらスカートが折れないようにベンチに腰を下ろす。
「…何年何組…ですか?」
「あぁ、一年四組だよ。」
「なんだ、よかった…私は一組。…なんていうの?なまえ。」
クラスでは自己紹介がある。座席表とか見て相手の名前を確認したりするけど、今は目の前の突然出会った本人しか確認する術がない。なんだか不思議だった。
「…ルイ。柊木類。」
「ルイ、かっこいい名前。私は花咲志織。」
「しおり。可憐だね。」
「ふふ、可憐って…初めて言われたかも。」
「うん。しっくり来る。髪が綺麗だし。」
「…そう?」
私は自分の黒髪に触れた。髪は丁寧に手入れしてる。彼女にとっての第一印象がこの髪なら、ケアをしてきた自分が報われたような気がした。
「しおり、お弁当食べにきたんでしょ。」
「あ…そう。ルイは?」
「あ〜…パンが売り切れちゃって。」
「じゃあお弁当分けてあげる。」
「え…いいの?」
「うん、お腹空くでしょ。おやつもあるし。」
「…ありがとう。」
私は二個あるおかずはひとつルイに分け与えた。箸を貸そうとするとルイは口を開けて答えて、私はその伏せられた睫毛にまた胸の奥が高揚するのを自覚しながら彼女の口におかずを運んだ。
「…んまい。」
「よかった。私が作ってるの。」
「え。すご。」
ルイは表情豊かな方ではなさそうだけど、とても素直に言葉を紡ぐ。
ふたりでお弁当を食べ終えると昼休憩の終わりが近づくのを知らせるチャイムが校舎から聞こえてきた。
「…戻るかぁ。」
「うん。」
校舎に戻り、一組の教室が先にやってきた。
「じゃあまた。」
「うん、またね。」
手を振って別れる。教室に入ればまた日常の空気が流れている。だけど私の胸の中はまだ柔らかく高揚感に満ちていた。
ルイも私も次の話はしなかったけど、私はまたあのベンチに行くし、ルイもまたあのベンチで寝ているに違いない。
ここではないどこか
僕ではない誰かに。
最初は、そう思って初めて口紅を手に取った。
でも違ったんだ。
メイクは化けるためのものじゃなく、自分の魂を彩るものだった。
今は何を思って、口紅を、アイシャドウを、マスカラを手に取るかっていうと。
ここではないどこかに、踏み出せる自分になるため。
落下
僕の恋のときめきというのは、暗闇で高い所から落下する時のような、不安で、お腹の辺りが不快になる感覚であった。
それをなんと世の中では甘酸っぱいと感じるものらしい。
普通の枠に収まれるというのはそういう幸せな感覚なんだと思った。
眩しいあなた。僕の暗闇を濃くするあなた。
きっといつか、純白のドレスの誰かをエスコートするんだろう。
6月にかかる虹は僕には遠く見える。
僕はどんどん落下していく。夏のあなたはとても眩しい。