【お題:自転車に乗って 20240814】
頬を撫ぜる風が気持ちいい。
カラリと晴れあがった空は、夏の茹だる様な暑さも、じめっとしたまとわりつく様な空気もどこかへ押しやって、半袖で居るのが心地よい、そんな季節を連れてきた。
天辺を幾分か過ぎた太陽が、静かに上下する海面に乱反射する。
キラキラとした光が、顳かみから流れる汗に反射し一瞬、時間が止まったように感じた。
「ねぇ、普通、逆、じゃない?」
「ん〜?」
「私が後ろ、あんたが、前で、自転車、漕ぐのが、普通、じゃない、のっ!」
立ち漕ぎで、一回一回体重を乗せながら漕いでいる少女の後ろで、少年は雑誌を広げて読んでいる。
道は緩い上り坂、右手にどこまでも続く青い海、左手に各々こだわって建てられた家々と、それを取り囲む石垣が並ぶ。
行き先は小高い岬を回った先にあるオシャレなカフェ、来た道の先には二人が通う高校がある。
自転車で10分程の距離、坂道なので若干時間はかかるけれど信号も車通りも少なく、快適な道。
「公平にジャンケンで決めたろ」
「公平、って、コレ、あん、たの、自転車、じゃ、ない」
「だから、お前が自転車で行きたいって言うから、ジャンケンにしたんだし」
「そう、じゃ、なく、て⋯⋯、もう、いいっ」
少女はチョット憧れていた。
好きな人が漕ぐ自転車に乗って、二人で海岸線をデートするのを。
何故なら少し年の離れた姉が、今は旦那さんとなった人と時折そんなデートをしているのを見ていたから。
子供ながらに二人とも楽しそうに、幸せそうに笑っていたから、羨ましくて。
姉とは違い、男勝りな自分が少女漫画や映画やドラマのようなシチュエーションのデートなど土台無理な話なのだ。
今だって、こいつと付き合っているのは夢じゃないかと思ってる程だ。
姉の旦那さんの母親違いの弟で、高校でも、上級生、同級生、下級生と全方位からモテている男。
高校入学当初から、数え切れないほどの告白をされている男。
見た目だけではなく、性格も頭も良く、非の打ち所がない、と言うのが周りの評価だけど、少女は性格は微妙なところだと思っている。
現に今、それを実感しているところだ。
「アトチョットダ、ガンバレー」
「ちょっ、棒、読み!」
姉に旦那さんの家族を紹介された時が初対面で、あの時はお互い13歳。
同い年なんだから、という、訳の分からない理由で一緒に行動させられ、気がつけば少女の部屋で寛ぐ姿が普通になった。
いつも漫画ばかり読んでいるのに成績は良いらしく、受験の時などは家庭教師のような事もしてもらった。
もっと良い高校にも通えたのに、少女と同じ高校にしたのは、海が近いからという本当かどうか分からない理由。
今は義兄と姉が営むカフェで少年は暮らしている。
両親の元で暮らさないのは、あちらに小さな兄弟がいるから、とか何とか。
高校に入って、少年が告白ラッシュに疲れていた頃、少女は冗談で言ってみた。
『私と付き合ってる事にしたら?』
彼女がいると分かれば、少しは告白する人も減るのでは、という考えから発した言葉。
ほんのちょっとだけ、自分の本当の気持ちも混ぜていたけれど。
少年は暫し考え込んで、首を振った。
ツキリと痛んだ胸に手を当てて、悟られないように笑おうとした瞬間、少年は言った。
『それなら 本気で付き合う方がいい、嘘はいずれバレるから』
その言葉にキョトンとしていると、返事を促された。
『よろしく、お願いします?』
『こちらこそ』
つまりは、普通に付き合うという事で、恋人同士になったという事で。
でもあれから一年、進展はなし。
いつも通り、少年は少女の部屋でマンガを読むかゲームをするかで、いい時間になれば家に帰る。
時折、勉強を教えて貰ったり、家の夕食を食べて行ったりもするけれど、ソレだけ。
あぁ、告白する人は若干減ったらしいけど。
一度、意味がなかったかと少女が聞いたら、彼女がいるから、の一言で断れるから意味はある、とか言っていた。
「つ、着いたぁ」
「お疲れ」
頭をぽんぽんと叩かれ、自転車のハンドルを引き取られる。
そのまま店の裏手に回るのかと、後ろ姿を見送っていたら、少年がいきなり振り返った。
「⋯⋯何?忘れ物?」
「お前⋯⋯、後ろに乗りたいならシャツか何か腰に巻け」
「えっ?何で?」
「⋯⋯⋯⋯見えるから」
「見える?何が?」
「⋯⋯くま」
「⋯⋯⋯⋯!!!」
バッとスカートの後ろを隠す。
今更、遅すぎではあるが。
そう言えば、記憶の中の姉も腰にカーディガンを巻いていた気がする。
ん?でも。
「ちょっと待って、ジャンケンは?」
ジャンケンで少女が勝っていれば、後ろに乗れていたはずだが。
「内緒」
手をヒラヒラと振って少年は店の裏側に回っていく。
少女は自分の右手を見て、グーパー、グーパーを繰り返している。
そんな少女は気付いていない。
ジャンケンの時いつも一番初めにチョキを出す癖があることを。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 二人乗りは違反デス。
【お題:心の健康 20240813】
「えー、佐々木くんですが、二週間ほどお休みとなります。彼の担当分は後ほど振り分けますので、各自確認、対応をお願いします。では、本日もよろしくお願いします」
朝のミーティングで、誰かの意味深な休みを聞くのは今年度に入って五人目。
四月にひとり、五月末にひとり、六月に二人で、今日ひとり。
二週間がひと月になって、ひと月がふた月になって、半年になって、戻ってきたのは一人だけ。
でも、その彼もだいぶ辛そう。
時折壁に向かってブツブツ呟いてるし、目に光がない。
今でも、残業しまくってどうにか仕事を捌いているのに、更に追加とか無理だ。
先月二人応援が来たけど 、その応援者が休んだのだから目も当てられない。
とりあえず、目の前の仕事を片付けることに集中しないと、だ。
手と頭を動かさなければ、仕事は進まない。
事の始まりは一昨年の年末。
『会社の若返りを図る』とか最もらしい理由を掲げて、それまで会社を支えてきた所謂『ロスジェネ世代』に早期退職を求めた。
予定人数の倍近い人達が、会社に⋯⋯、いや、経営陣に見切りをつけて退職して行った。
噂では再就職も厳しい状況だと聞いたけど、幾人かはこれを機に起業したとも聞く。
問題は残された方で、仕事量は変わらない、むしろ増えているにも関わらず人手は減った。
上は最適化だの自動化だので対応しろと言うけれど、その検討をする時間すら取れない状況では対応できるはずもなく、日々ゾンビ化する社員が増えるだけ。
「⋯⋯はぁ」
送られてきた資料に目を通し、ため息を一つ。
佐々木くんの仕事の半分が降ってきた。
そりゃまぁ、彼に渡した仕事がそのまま返ってきただけですが、その前に追加された仕事はそのままでとか、無茶苦茶すぎる。
「井上さん、俺もう、無理です」
「加藤くん、頑張れとは言わない。優先順位を見直そう。優先順位の低いやつは、捨てよう」
「全部優先順位MAXですよ⋯⋯もう、捨てられるものがありません」
わかる、わかるよ、加藤くん。
けれど君の視野は狭くなっている。
「加藤くん、私達がいちばん優先すべきはなんだと思う?」
「今は⋯A社の案件ですか?」
「違うよ」
「えっ、じゃあ納期が近いH社の方ですか?」
「それでもない」
「えぇ、そうなると⋯⋯」
私は加藤くんの肩に手を載せる。
「一番に優先すべきなのは、心の健康よ」
「心の健康⋯⋯、ソレ、美味しいんですか?」
「さぁ?」
「井上さーん」
「ゴメンゴメン。A社の残りはどれくらい?」
「残り10%ってとこです。今日一日あればどうにか終われそうです」
「OK。じゃあ加藤くんは今日はA社の対応をお願い。残りは私に回して」
「えっ、でも」
「大丈夫。私、心は健康なのよ。加藤くんはA社の対応が終わったら、今日は帰っていいからね」
「あ、ありがとうございます」
画面に向き直り、手と頭を動かす。
日々目まぐるしく変わる世界の中で、私の心の健康を支えてくれているのは小さな生き物。
夜行性の彼らは、仕事が終わって家に帰った私をものすごい勢いで歓迎して出迎えてくれる。
決して夜中にあげるおやつが目当てでは無い⋯⋯はず。
猫や犬を飼うことも考えたけれど、犬は散歩が難しいし、猫は飼う直前でアレルギーであることが判明した。
落ち込む私に対して、ショップの店員さんがオススメしてくれたのが、小さくて大きなクリクリの目が可愛い、フクロモモンガ。
初めは二匹だったのが今では八匹にまで増えている。
でも、全然負担ではなくて、寧ろ癒されまくっている。
おかげで私の心は健康そのもの。
体はあちこちガタが来ているけれど。
そりゃまぁ人生半分も来れば、ガタつきもするので、コチラは何とか騙し騙しやっている。
「井上、K社の直しは」
「昨日終了して、今チェックに出してます。今日の午後には戻るのでエラーがあれば今日中に対応します」
「Y社は?」
「チェック終了で今まとめてます。十五分ください。後S社、W社、R社分も承認回します」
「お、おう。よろしく頼む」
仕事が楽しいかと言われると、昔ほどの楽しさはない。
あの頃は出来ないことを出来るようにするために、日々意見やアイデアを出し合って、皆で一つの仕事をやり遂げ、そこに達成感を見出していた。
今はと言うと、新しいことに挑戦するでもなく、ただただ与えられる仕事をこなす日々。
多少の改善や手順の変更はあれど、目新しいものはなく同じことの繰り返しのみ。
それは安全で安定していて良いことなのかもしれないけれど、少ない刺激ではやりがいが感じられず。
「はぁ、井上さん凄いっすね」
「う〜ん?単に経験値の違いよ。さぁ、やれることから終わらせようか」
「はい!」
「うん、いい返事」
心の健康を保てるかどうかは、人それぞれなのかもしれない。
取り敢えず今夜も私は、フクロモモンガ達に癒してもらいます。
それが、健康を保つ秘訣です。
体の方は⋯⋯うん、どうにかなってると思う⋯な。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 体と同じように心の健康診断も義務化すれば良いのにな⋯と思う。
【お題:君の奏でる音楽 20240812】
トクン、トクン、トクン
規則正しい鼓動
すぅ、すぅ、すぅ
静かな部屋に響く寝息
ふぴーっ、ふぴーっ、ふぴーっ
寝息とともに奏でられる高い鼻息
トクントクンすぅふぴーっ
トクンふぴーっすぅトクン
すぅふぴーっトクントクン
君の奏でる音楽が
僕を幸せにしてくれる
トクン、トクン、トクン
すぅ、すぅ、すぅ
ふぴーっ、ふぴーっ、ふぴーっ
君の奏でる音楽が
僕を誰よりも癒してくれる
「ねぇ、鼻の詰まり取ってあげてって言ったよね?」
「え、だって起こしたら可哀想じゃん。こんなに気持ちよさそうに寝てるのに」
「それはわかるけど」
「でしょう?もう、天使みたいに可愛い」
「はいはい、わかりましたわかりました」
「僕たちの娘は世界一可愛いんだ。絶対、嫁にはやらない」
「一生独身でいて欲しいの?」
「そ、そういう訳じゃ⋯⋯」
「孫も目に入れても痛くないくらいに可愛いって言うよ?」
「くっ⋯⋯」
「私は、この子が幸せになれるなら、応援するけどなぁ」
「い⋯⋯」
「い?」
「いじわる⋯⋯」
「ぷっ、ふふふっ、はははっ」
「な、何笑ってるんだよ!」
「あ、起きちゃった」
「えっ?」
ふあぁぁん、ふあぁぁん
「あー、ごめんごめん、大きな声出してゴメンね」
「娘ちゃんには優しいねぇ」
「えっ?」
「オムツだよ。あー、おしり拭き寝室だわ。取ってくるね」
「あ、ありがとう」
トントントントン
ぐつぐつぐつぐつ
カチャカチャカチャ
ジュージュージュージュー
いつも僕たちの食事を準備してくれる君
ぱたぱたぱた
コツコツコツ
きゅっきゅっきゅつ
ジャージャージャー
いつも僕たちの身の周りの世話をしてくれる君
君の奏でる音楽も僕を幸せにしてくれる
「ふぴーっ」
「ねえ、綿棒って何処だっけ?」
「テレビの横の棚、上から二段目にあるよ」
「ありがとう!⋯⋯もう1つ」
「なにー?」
「愛してるよー!」
「⋯⋯私もーっ!」
娘も君も、僕の大切な家族だよ。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 短めに。
【お題:麦わら帽子 20240811】【20240818up】
幼稚園の時の夏の制服、帽子が麦わら帽子だった。
それから小学生に上がってからの数年は、夏外で遊ぶ時は帽子を被りなさいって言われて、大抵は麦わら帽子を被っていた。
高学年になると麦わら帽子は何故か恥ずかしくて、普通の帽子を被っていたけれど、まぁ麦わら帽子の方が涼しかったのは確かだ。
中学、高校と夏に帽子を被った記憶は少ない。
どちらかと言えば、冬に寒さとお洒落で被っていた記憶ばかりだ。
で、今だけど。
「夏って言ったら、スイカと花火に蚊取り線香でしょう」
「いやいやいや、ビールに枝豆、そして冷や奴だよ」
「夏?ゲリラ豪雨じゃないっすか?」
「夏はフェス一択っすよ!」
「海!プール!水着の女の子!」
「安西さん、それセクハラです〜」
「えっ、マジで!」
みんなでワイワイ騒ぎつつも、視線は画面で手は忙しなく動く。
お盆ソレなに美味しいの?状態の我社では、世間の連休中も普通に出勤して残業している。
何故なら八月は繁忙期だから。
それでまぁ、世間の連休に浮かれている人々と自分達の境遇の差に絶望しそうになっていたところ、何とか気を紛らわせようと始めたのが、『夏と聞いて思い浮かぶもの』という、あまり頭を使わずに済む話題。
「私は麦わら帽子かねぇ」
八人居るメンバーの中で、最年長の大場さんが呟くように言った。
「あ、私も昔はそうでした。でも今は麦わら帽子のイメージが変わっちゃって⋯⋯」
「あー」
「うん、確かに」
「『夏!麦わら帽子!』じゃなくなったな」
「うん?どういうことだい?」
大場さんの年齢だとこれはわからないかも知れないけど。
他のメンバーは皆頷いている。
そうだよね、こう言うの好きな人たちが集まってるもんね、うちの部署。
「『海賊!麦わら帽子!』とか、『麦わら帽子!ルフィ!』っていうイメージに変わったな」
「そうそう、そうなのよ」
「言われてみると、そうだね。海を背景に麦わら帽子が描かれたイラストがあるとして、何を連想するかって言われたら」
「海賊」
「ルフィ」
「ONE PIECE」
「って、なっちゃうよね。ONE PIECEを知らない頃なら確実に『夏』ってなるけど」
皆のその様子に大場さんは腕を組んでコクコクと頷いている。
「なるほどねぇ。そう考えると、そのONE PIECEって言うのは凄いね。一部とはいえ、人間のイメージをガラッと変えたんだから。私にはできない事だ」
「本当、凄いっすよね。これが日本だけじゃなく世界での話だし」
うんうん、凄い話だ。
そしてそれが、自分たちと同じ日本人がやってのけている事に、勝手に誇りを持ってしまう。
作者の先生と知り合いでも何でも無いのにね。
人間て意外と単純な生き物なのかもしれない。
「ふむ、で、福留さんの今の『夏と聞いて思い浮かぶもの』は?」
「今はそうですね、カキ氷です」
「フラッペも美味しいですよね」
「マンゴーとか堪らない」
連日の猛暑で食べたくなるけど、家に帰る頃にはお店は閉まっている悲しさ。
お陰で近所のコンビニでガリガリ食べる冷たいアレとか買って帰る毎日ですよ。
「あ、カキ氷のシロップって味は全部一緒って話し知ってる?」
「違うのは匂いだけなんだっけ?」
「そうそう」
「いつも思うんだが、ブルーハワイって何味なんだろうな」
「えっ、ハワイの味じゃないんすか!」
「ハワイの味って何だよソレ」
「ブルーハワイは、今はラムネ味が主流らしいっすよ」
「ラムネ味⋯⋯、そうなるとラムネ味って一体⋯⋯」
どうでもいい事で盛り上がりながら夜は更けて行く。
手は忙しなく動き、視線は画面に釘付け。
このまま、あと数時間は会社に拘束されるのだ。
きっと今日も、終電ギリギリの時間まで帰れないだろう。
無事解放されて家に帰って、レンチンしたコンビニのお弁当を食べるのではなく、金髪のぐるぐる眉毛のコックさんの美味しい手料理が食べたい、とか思う程度には私の疲労は蓄積しているようだ。
あー、この忙しいのが終わったら、美味しい食べ物食べ歩きするぞー!
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) サンジさんの飯、食べたいなぁ (✽´ཫ`✽)
【お題:終点 20240810】
「お疲れしたぁ」
夢すらも見ない、深い深い眠りを叩き起されたような気がした。
意識は一生懸命状況を理解しようとしているのに、脳がそれを拒否してうるような、そんな感覚。
ぼうっとする頭とは対称的に、視界は驚くほどクリアで先程挨拶をくれた(多分、『彼』だと思うのだが、まぁ、彼ということにしよう)彼の日本人には無い、南国の海の色を連想させる瞳と、眩い光をキラキラと反射させている少し癖のあるプラチナブロンド、そして彫刻のように整った顔に視線が釘付けになった。
「片山さん、片山 拓美さーん、聞こえてっすかぁ?」
バリバリの西洋人顔の人物の口から出る、流暢な日本語、しかもウェイ系。
偏見だと言うのは重々承知なのだが、やはり違和感は拭えない。
取り敢えず彼の質問に対して私は、無言で頷く事で返事をした。
さて、問題はここが何処なのかという事だ。
まず、私の家で無いことは確かだ。
何故なら私の家は六畳ほどのワンルームマンションだったので、ここのようにだだっ広い部屋ではない。
それから、日本でもない、恐らくだが。
目の前の窓らしき物の向こう側に見える景色はグランドキャニオンだと記憶している。
因みに右手側の窓の向こう側は金色の稲穂が頭を垂れている一面の田園風景、その対面には中世ヨーロッパの古城が見える。
「まだちょっと喋るのは厳しいかもっすがぁ、そのうち喋れるようになるんで焦らないで大丈夫っす」
取り敢えず、また頷いておいた。
その様子を見て、金髪の彼は人好きのする顔でニカッと笑った。
彼は手元のタブレットに視線を移すと、二、三回タップして正面のグランドキャニオンが見えている窓を指さした。
「あっち見てて欲しいっす」
彼のその言葉に私はまた無言で頷いた。
彼は満足気に頷いて話し出した。
「これから片山さんの人生をダイジェストで見て行くっす。で、右上んとこに『0』ってあるっすよね?」
確かに彼の言うとおり、右上に0と表示されている。
言われるまで気が付かなかったのだが、初めからあったのか、さっき表示されたのかは定かではない。
「あれ、片山さんのポイントっす。あ、今0なのはまだ始めてないからっす。で、あのポイントの使い道なんすが⋯⋯、あー、はい、了解っす。スンマセン、ポイントの使い道はダイジェストを見た後で説明するっす」
「はぁ⋯⋯」
「あ、喋れるようになったっすね。気になる事があったら遠慮なく聞いてくれて良いっす。んじゃ、始めるっす」
彼がタブレットに触れると、辺りが一気に暗くなった。
そして、聞こえてくる心音。
何処か懐かしいような、苦しいようなそんな気分にさせられる。
『ほあぁ、ほあぁ、ほあぁ、ほあぁ』
赤ん坊はこの世に産まれ落ちると、大声で泣く。
母親の体内という、自分にとって最も安全で優しい場所から、訳の分からない世界に送り出された不満と恐怖を抱いて。
「はい、右上に注目っす。ポイントが1になったっす。普通⋯⋯、つまり欠損や先天性の疾患が無ければ、通常は1ポイントっす」
「欠損や先天性の疾患があった場合はどうなるんですか?」
「時と場合によるっすが、大抵は大幅にポイントが加算されるっすね。100から5000の間ぐらいで」
「え、そんなに?」
「そうっす。でも、加算が多い場合はすぐにここに来る事が多いっすけど」
つまりココは、死んだ人間が来る場所って事か。
「んじゃ、続き行くっす」
映し出される場面が変わっていく。
自分では覚えていない、赤ん坊の頃の出来事がまるで映画のように映し出される。
年若い父と母が、赤ん坊の私に向かって話しかける。
慌てて困ったような顔をして、二人顔を見合わせた次の瞬間に笑いあう、そんな両親の姿を私は覚えていない。
二人はいつも無表情で、時にはお互いがそこに居ないかのように無視を決め込んで、冷めた関係の父と母しか記憶が無い。
こんな幸せな時期があったのかもしれない、そんな事すら考える事もないほどに。
ふと、ポイントに目をやると、そこには15の表示があった。
今映し出されている私は、多分二歳くらいだと思う。
この状態でこのポイント数が、多いのか少ないのか私には判断がつかない。
映像は止まることなく流れ続け、私の知る両親の顔になった頃には、ポイントが100近くまで増えていた。
だが、それよりも気になることがある。
「すみません」
「はい、なんすか?」
「あの、あれは何でしょう?」
私が指さしたのは、細いロープのようなもの。
私の首の後ろ辺りからプラーンと垂れ下がっている。
髪の毛かとも思っていたのだが、少し違うようだ。
「あ、あれっすか。あれは糸っすね。糸が纏まったものなんで紐とかロープとか呼んだリもするんすけど」
うん、答えのようで答えじゃないような⋯⋯。
「えーと、その糸っていうのは?」
「あー、そっちっすね」
そっちと言うか、どっちもと言うか。
「俺達は選択の糸って呼んでるっすね。生きてると色んな場面で選択するじゃないっすか。例えば、朝パンを食べるか、ご飯を食べるか。足元のボールを拾うか、蹴るか、無視するか、とか、意識してなくてもほんのちょっとの事でも選んでるっす。生き物ってやつは」
「何となく言いたい事はわかります」
「分かって貰えて良かったっす。んで、その選択ってどれかを選んでるんすけど、こう、十本ある糸から一本引き抜くって感じじゃなく、十本の糸を選んだ一本を軸に撚り合わせてるってのが本来の形っすね」
「撚り合わせ⋯⋯」
「そうっす。選択しなかった他の糸もいらない糸じゃなく必要だった糸なんすよ」
「なるほど」
言われれば、妙に納得出来る。
複数の選択肢があるからこそ、ひとつを選べる。
つまり選択肢がひとつしかなければ選択のしようがないから、そこに『選択する』という行動は起きない、という事だ。
だから選ばれなかった物も必要な物だった、という事になる。
「選択肢の数も、選択する回数も内容も、それこそ千差万別っすけど、その選択の結果がその生き物の生死に大きく関わってくるって言うのは、全てにおいて共通の掟っすからね」
「掟か。あ、それであれはポイントに関係はあったりするのかい?」
「あー、どうっすかね、あんま関係無いかも知れないっす」
「そうなのか⋯⋯」
こうやって話してる間にも、映像は止まる事なく流れていく。
そしてポイントが少しずつ加算されていき、例の選択の糸も徐々に太く長くなって行った。
小学校に入学して、友達が出来て、あぁ、あんなに目を輝かせて野球をしていたのか。
勉強も頑張っていたな、うん、理科とか算数とか、答えがハッキリしているものが好きだったな。
「選択の糸は重要な選択であればあるほど、選択肢が細かくなるっす。つまり、太くなるんっすよ。そして、人との関わりが多くなればなるほど、深くなればなるほど太くなっていくっす。だから大人になると、色々と慎重になって、歳を取ればそれだけ糸を撚るのに時間が必要になって行くっす」
「逆に言うと重要な選択が少なくて、人との関わりも少なくて、浅い関係しか構築できていなければ選択の糸は細いって事?」
「大体そんな感じっす。ただ例外もあるっすよ。片山さんみたいに」
「私が例外、ですか?」
「そうっす」
「え、それって⋯⋯」
「まずは、最後まで見るっす。片山さんの人生」
「あ、はい」
小学校六年の夏、両親が離婚した。
そこから私の人生はガラリと変わった。
母親と暮らすことになった私は、転校し大好きだった野球を辞めた。
母の実家で暮らす事になったのだが、母は一週間もしないうちに置き手紙ひとつで居なくなった。
『拓美をよろしく』
たったの七文字。
しかも便箋なんかじゃない。
コンビニのレシートの裏に殴り書きされた、別れの七文字。
前日の夕飯前、着飾って出かける母を見たのが最後。
それ以降、母とは一度も会っていない。
ここに私の選択など無かった。
加えて、祖父母は懸命に私を育ててくれたが、大学に通えるほどの金銭的余裕はなく、また足腰が弱り始めたことから、私は高校を卒業して直ぐに働き、祖父母の介護と家の家事とゆっくり休む間も無かった。
その二人も四年前に相次いで他界し、住んでいた家は伯父の持ち物となり、私は家を追い出された。
そのまま働いていても良かったのかも知れない。
ただ、祖父も祖母も亡くなり、母の居場所は分からない。
父とも12歳以降、一度も連絡を取っていない。
父と母に、祖父と祖母に、そして伯父にと、人に流され生きるだけだった自分の人生を変えたいと思った。
だから、高校を卒業してから18年務めた介護施設を辞め、自分のことを知る人がいない街へと向かった。
同じ仕事を選んでも良かったのかもしれない。
けれど、どうせならと、ずっとやってみたかった仕事を選んだ。
惣菜屋の店員。
料理を作るのは好きで、何処か理科の実験に似ている。
上手く行けば嬉しいし、美味しいものが食べることが出来て、失敗したら何がダメだったのか分析して次に繋げる。
祖父母へ食事を作るのも苦ではなかったし、美味しいと言って貰えるのが何よりも喜びだった。
そうやって働き始めて四年が経とうとしていた。
給料は安く、たくさん貯金ができるような暮らしではなかったが、充実はしていたと思う。
夢は小さくても良いから自分の店を持つこと。
そのために貯金して、調理関係の勉強も頑張った。
「美味そうっすね」
「有難うございます」
働いている自分の姿をこうして見るのは、なんだか不思議な感じがする。
この時点でのポイントは、1,346ポイント。
何となくだけれど、少ないのかな、と思った。
惣菜屋も四年も働いていれば常連さんとは顔馴染みになるし、二、三言葉を交わす事もある。
大して内容がある会話でもなければ、相手の名前さえ知らない仲での会話だけれど、顔は知っている、少し話したことがある、たったそれだけの事でも心暖かになれる。
「私の選択の糸、長くなりましたね」
「そうっすね。前職の介護士もこの惣菜屋も沢山の人と関わる仕事っすから。関わりはそう深くは無いっすけど」
「なるほど。この太さや長さは一般の人と比べるとどうなんです?」
「ん〜、一般と言うか、同年齢の男性平均と比べると、だいぶ細いし短いっす」
「あ、そう、ですか」
「やっぱ、結婚して子供がいると選択の糸は太く長くなるっすよ。人の命を授かったり、一生を共にするっていう選択をしてるんで」
「あ、はい⋯⋯」
つまり独身で子供のいない、いや、魔法使いな私では太刀打ちできないという事ですか。
「あ、この先ちょっとショックかもしれないっすが、見て欲しいっす」
「へっ?」
あぁ、そうだ、思い出した。
二、三日に一度、500円を握りしめて、弟とお弁当を買いに来る四歳位の女の子。
髪の毛は伸びっぱなしで、服も綺麗とは言えない。
弟くんも同じで、身奇麗ではない。
一緒に働いているパートさんたちの話では、母親と弟と三人暮しで、母親は夜の仕事をしていて、弟の世話は彼女が殆どしているらしい。
半年くらい前に近くのアパートに越してきたらしいけど、その頃はまだ二人とも身奇麗だったと。
ああなったのは、三ヶ月前位だとも言っていた。
そして丁度その頃から、彼女は弟と一緒に弁当を買いに来るようになった。
『お金をくれるだけ、まだましなんだよ』
『そうそう。学校の給食だけで生きてるって子もいるらしいから』
『助けてあげたいけどね、なかなか難しくて』
『親の権利って奴さ。まぁ、義務を果たしていないのに何が権利だって話しだけどねぇ』
『私らにできるのは、惣菜とご飯の量を少しだけ多くしてあげる事ぐらいかね』
二人手を繋いで歩いて行く後ろ姿を見送りながら、パートさん達は話している。
私達はそれからも、少しだけご飯や惣菜を多めに盛ったお弁当を彼女に渡した。
時には新商品の試食という事で、追加で惣菜を渡したりもしていた。
あの日も彼女と弟は五百円玉を握りしめて弁当を買いに来た。
ただ何時もよりも、遅い時間だったので、その日の売れ残りの惣菜も弁当とは別にパックに入れて渡した。
初めは驚いた顔をしていたが、やがてにっこりと笑って二人で『ありがとうございます』と頭を下げて行った。
ふたりがいなくなったあと、そこに小さなポーチが落ちているのを見つけた。
中にはラミネート加工された写真が1枚と、住所と電話番号が書かれた紙が丁寧に折り畳まれて入っている。
写真には父親らしき人に抱かれた女の子と母親らしき人に抱かれた赤ん坊が、笑顔で写っていた。
私は店をパートさんにお願いして走った。
あの子にとって大切な物であろうこのポーチを返さなくては、と思って。
日々の運動不足が祟り、すぐに息切れを起こした私は、体力作りにマラソンでも始めるか、とか考えながら走った。
視界に道路を渡ろうとしている姉弟を捉え、声を掛けようとした瞬間、体が勝手に動いた。
青信号の横断歩道に足を踏み出した二人が、眩いヘッドライトに照らされる。
自分のどこにそんな瞬発力があったのだろうか、と思うほど早く私は二人の腕を引き歩道へと投げるように彼女たちをふっ飛ばした、自分の体を代償にして。
視界いっぱいに舞い散る、自分が作った惣菜。
右腹部に感じた、重い衝撃。
歩道に飛ばされた姉弟の何が起きたのか理解出来ていない顔。
そして、女の子の手元に落ちている小さいポーチ。
ものすごいスピードで宙を舞い、回転しながら落下する体、そしてそこに来る二度目の衝撃。
回転して落ちた先は車のボンネット、そしてフロントガラス越しに見えたあの顔は、12歳の時に別れてから初めて見る、年老いた自分の父親。
「あ、選択の糸が⋯⋯」
ボンネットの上から落ちた私の周りをぐるっと囲むようにして、首から外れた選択の糸落ちている。
そして、選択の糸の端、つまり首についていた側が少しずつ、太くなって?いる。
「丸くなっ⋯⋯た?」
円を描いたのではなく、首に付いていた端が丸く球体になったのだった。
「終点っす。人生の終わりって事っすね。因みに反対側の端は起点って呼ばれてるっす。起点も終点みたいに球体になってるっすよ。ただ、ちっさ過ぎて肉眼では見えないっすけど」
「へぇ」
「あと、選択の糸は、あ、来たっす」
彼がそう言うと現れたのは、大きい蜘蛛だった。覚めるような水色の体毛に背中?の部分に大きな五芒星が描かれている。
蜘蛛は選択の糸を器用にクルクルと丸くまとめると、それを持って行ってしまった。
「あれは?」
「蜘蛛っすね。色んな奴がいるっす。水色はレアキャラっすね。あとは、ポイントが、おっ結構いい感じっす。9,682ポイントっと」
タブレットに打ち込んで彼は笑った。
ん?九千?さっき見た時は1,400も無かったのに?
「じゃぁ、ポイントの使い道の説明をするっす」
そう言って彼は話し出した。
まず、ポイントとは何かと言う所だが、早い話がポイントはその人物に対する神々の『いいね』だそう。
私のポイントは姉弟を助けようと体を張った事、そして事故の相手が父親であった事が神々の興味を惹いたそうで、ポイント数が爆増したのだとか。
そして、そのポイントを使って色々できるということだった。
例えば現世での知り合いの事を知ることが出来る。
時間を問わず、過去、現在、未来、つまり自分が知り得なかった事もポイントで知ることが出来る。
ただ、ポイント数はそれなりにかかるけれど。
次に次の生(人間とは限らないので敢えて『生』とする)でのギフトの購入。
例えば人間なら、容姿や生まれる家庭環境、才能、場所、国、そして世界などを決めることが出来る。
またこのポイントは持ち越しが可能らしく、前の生で獲得したポイントも使える。
何だかゲームのようだ、と思ったのは私だけでは無いと思う。
まぁ、私の場合は無課金で暇な時間に少し遊ぶ程度だったけれど。
「では、片山さん、何か希望はあるっすか?」
「⋯⋯⋯⋯あの姉弟の、20年、いえ、30年後を見ることはできますか?」
「30年後っすね。そうなるとポイント数は、500ポイントになるっす。いっすか?」
「えぇ、お願いします」
初めに映し出されたのは、弟くんの様子。
結婚して、あぁ、子供もいる。
親子でキャッチボールをしている。
良かった。
そして次は、お姉ちゃんの様子。
場所は、海外かな?
あぁ、シェフになったのか。
忙しそうだけど、楽しそうだ。
うん、良かった。
「後は、どうするっすか?」
「⋯⋯次の生が何か知ることはできますか?」
「それはポイント必要ないっす。片山さんの次の生は⋯⋯森の人っすね」
「え、オランウータンですか?」
「あ、違うっす、エルフの方っすね」
「エルフ⋯⋯、はぁ」
「あれ?嬉しくないっすか?」
「いえ、嬉しいと思います。ただ実感が湧かないだけですね」
「そっすか。えーと、ポイント使って何かギフトつけるっすか?片山さんは⋯⋯今までの分も合わせると、合計107,568ポイントもあるっす。普通1万あれば良い方なんで、破格っすよ。で、どうするっす?」
「⋯⋯なら、生き物と会話できる能力ってありますか?」
「えーと、あ、あるっす。36,000ポイントになるっす」
「では、それを」
「後はいいっすか?」
「えぇ、後は自分で努力します」
「了解っす」
彼に挨拶をして、開けられた白い扉から出ると、少しずつ自分という形が崩れていくのがわかった。
記憶の一つ一つが、細胞の一つ一つが消えて行く。
そして私はまた起点に立つのだろう。
受けた生の終点に向けて歩き出すために。
━━━━━━━━━
(´-ι_-`) 長くなった〜( .ˬ.)"
20240813 up