真岡 入雲

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【お題:心の健康 20240813】

「えー、佐々木くんですが、二週間ほどお休みとなります。彼の担当分は後ほど振り分けますので、各自確認、対応をお願いします。では、本日もよろしくお願いします」

朝のミーティングで、誰かの意味深な休みを聞くのは今年度に入って五人目。
四月にひとり、五月末にひとり、六月に二人で、今日ひとり。
二週間がひと月になって、ひと月がふた月になって、半年になって、戻ってきたのは一人だけ。
でも、その彼もだいぶ辛そう。
時折壁に向かってブツブツ呟いてるし、目に光がない。
今でも、残業しまくってどうにか仕事を捌いているのに、更に追加とか無理だ。
先月二人応援が来たけど 、その応援者が休んだのだから目も当てられない。
とりあえず、目の前の仕事を片付けることに集中しないと、だ。
手と頭を動かさなければ、仕事は進まない。

事の始まりは一昨年の年末。
『会社の若返りを図る』とか最もらしい理由を掲げて、それまで会社を支えてきた所謂『ロスジェネ世代』に早期退職を求めた。
予定人数の倍近い人達が、会社に⋯⋯、いや、経営陣に見切りをつけて退職して行った。
噂では再就職も厳しい状況だと聞いたけど、幾人かはこれを機に起業したとも聞く。
問題は残された方で、仕事量は変わらない、むしろ増えているにも関わらず人手は減った。
上は最適化だの自動化だので対応しろと言うけれど、その検討をする時間すら取れない状況では対応できるはずもなく、日々ゾンビ化する社員が増えるだけ。

「⋯⋯はぁ」

送られてきた資料に目を通し、ため息を一つ。
佐々木くんの仕事の半分が降ってきた。
そりゃまぁ、彼に渡した仕事がそのまま返ってきただけですが、その前に追加された仕事はそのままでとか、無茶苦茶すぎる。

「井上さん、俺もう、無理です」
「加藤くん、頑張れとは言わない。優先順位を見直そう。優先順位の低いやつは、捨てよう」
「全部優先順位MAXですよ⋯⋯もう、捨てられるものがありません」

わかる、わかるよ、加藤くん。
けれど君の視野は狭くなっている。

「加藤くん、私達がいちばん優先すべきはなんだと思う?」
「今は⋯A社の案件ですか?」
「違うよ」
「えっ、じゃあ納期が近いH社の方ですか?」
「それでもない」
「えぇ、そうなると⋯⋯」

私は加藤くんの肩に手を載せる。

「一番に優先すべきなのは、心の健康よ」
「心の健康⋯⋯、ソレ、美味しいんですか?」
「さぁ?」
「井上さーん」
「ゴメンゴメン。A社の残りはどれくらい?」
「残り10%ってとこです。今日一日あればどうにか終われそうです」
「OK。じゃあ加藤くんは今日はA社の対応をお願い。残りは私に回して」
「えっ、でも」
「大丈夫。私、心は健康なのよ。加藤くんはA社の対応が終わったら、今日は帰っていいからね」
「あ、ありがとうございます」

画面に向き直り、手と頭を動かす。
日々目まぐるしく変わる世界の中で、私の心の健康を支えてくれているのは小さな生き物。
夜行性の彼らは、仕事が終わって家に帰った私をものすごい勢いで歓迎して出迎えてくれる。
決して夜中にあげるおやつが目当てでは無い⋯⋯はず。
猫や犬を飼うことも考えたけれど、犬は散歩が難しいし、猫は飼う直前でアレルギーであることが判明した。
落ち込む私に対して、ショップの店員さんがオススメしてくれたのが、小さくて大きなクリクリの目が可愛い、フクロモモンガ。
初めは二匹だったのが今では八匹にまで増えている。
でも、全然負担ではなくて、寧ろ癒されまくっている。
おかげで私の心は健康そのもの。
体はあちこちガタが来ているけれど。
そりゃまぁ人生半分も来れば、ガタつきもするので、コチラは何とか騙し騙しやっている。

「井上、K社の直しは」
「昨日終了して、今チェックに出してます。今日の午後には戻るのでエラーがあれば今日中に対応します」
「Y社は?」
「チェック終了で今まとめてます。十五分ください。後S社、W社、R社分も承認回します」
「お、おう。よろしく頼む」

仕事が楽しいかと言われると、昔ほどの楽しさはない。
あの頃は出来ないことを出来るようにするために、日々意見やアイデアを出し合って、皆で一つの仕事をやり遂げ、そこに達成感を見出していた。
今はと言うと、新しいことに挑戦するでもなく、ただただ与えられる仕事をこなす日々。
多少の改善や手順の変更はあれど、目新しいものはなく同じことの繰り返しのみ。
それは安全で安定していて良いことなのかもしれないけれど、少ない刺激ではやりがいが感じられず。

「はぁ、井上さん凄いっすね」
「う〜ん?単に経験値の違いよ。さぁ、やれることから終わらせようか」
「はい!」
「うん、いい返事」

心の健康を保てるかどうかは、人それぞれなのかもしれない。
取り敢えず今夜も私は、フクロモモンガ達に癒してもらいます。
それが、健康を保つ秘訣です。
体の方は⋯⋯うん、どうにかなってると思う⋯な。



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(´-ι_-`) 体と同じように心の健康診断も義務化すれば良いのにな⋯と思う。



8/14/2024, 3:24:46 AM