bois

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4/5/2026, 7:12:19 AM

うん、そう。そうなんだ。うん、落ちてた。えっ、いやなんとなく、覚悟もしてたし。そうかなって。うん、えー…はは、うん。はい。あんまり悩んでる時間もなくて。そう!すぐ!もう申し込み済んでる人ばっかりで、まだ受講申込書ももらってないの1人だけって気がする。えっ?いやーだって、いきたいとこないし、フリーターってもさあ、うちのまわり知ってるら?バイトなんてあるわけねーのよ。ご近所のお手伝いしてお駄賃もらうか、親に口きいてもらってそれっぽく雇ってもらうかくらいでさあ。こっちでバイトして浪人のがまだなんぼか社会にいれるっつーか、でも金そりゃかかるけど。なー金だよお!金なんてねえよぉ!でもま、いちおう、こう、うん、今はほらタイミーとかもあるだら。うん、うん、だからもうそれでいいってことにしとかんとさ、もう、いやほんとそれでいいだら。な。うん、ありがと。

4/4/2026, 7:24:50 AM

 言葉が下手だ。

 書く文章なら多少は書けるんじゃないかと思っていた。
 なんてことだろう、わたしは言葉が、文章が、喋りでも書き文字でも、ともかく下手だったのだ。「書けている風」に取り繕うことができることもあった、というだけなのだ。
 考えてみれば要約がひどく苦手だった。
 つまり、その文の目的を把握できていないということなのだ。
 何のために書かれたのか、何を伝えようとしているのか、理解できていないということだ。
 かつて、わたしはそれでいいと思っていた。
 文は、何かを伝えるために書かれるばかりではないと思っていたからだが、なんのことはない、それはわたしの姿が反射しているだけだったのだ。
 わたしは、何かを伝えるために文を作ったことがないということなのだ。
 
 それは、もう、目も当てられないほど、下手だろう。

 目的を見据えることが、そもそもわたしは致命的に下手なのだ。何となく生きているから、何かのために何かを頑張るということがほぼない。全くないわけではないのは、周囲から求められて何かを達成することはあるからだ。例えば部屋の片付け、例えば受験、就職、定期的な規制、適度な人付き合い、喜ばれる服装、振る舞いなど、そういったことだ。
 ほんとうに、目的を持って言葉を選び、文を組み立てている人がいるのだろうか。所謂美文と呼ばれる近代の作品なら、目的があるのだろか。あるのだろう。目的ないし、狙い。

 その文を説明するときに必ず現れる何か、明確なたった一つが、このずらずらと続く文字から立ち昇るということなのだ。ろう。たぶん。

 そんなばかな。

4/2/2026, 3:12:12 PM

手の、人差し指を、逆の手で横に引っ張ると、いつかどこかのタイミングでこの水かきみたいなところは、裂けるんだろうな、と思うのに、そこまで引っ張る力もないのだ。水掻きが裂ける前にたぶん骨が外れるだろうし。
踵の上、アキレス腱のところもどうかすると切れるんじゃないかと思う。あとは膝の裏、少し曲げると出てくる2本の腱。手首を逸らすと時々見える腱も。切れるんだろうけど切れずに日々を過ごす。時々想像して、胃の中からひんやりと迫る恐怖感を楽しんだりして。いや足がすくみ腰が抜けそうになるのであまり楽しくはないはずで、でも想像はしてしまう。切れるよな、と思う。
 思うだけだ。
 いや時々映画で見ることもある。
 目とか、爪とか、体のどこか先端部とかより腱が怖い。怖くて見てしまう。起こりようがないという世界に対する信頼があってそれらをエンタメとして見れてしまう。
 見れてしまっていた。
 起こりようがない。
 起こりようがないわけがない。
 起こりようが、ない、わけがなかったのだと、今日のニュースを見て思う。
 起こりようがないようにしていただけだ。
 起こしていいと思えば起こってしまう。つまり、やろうと思えばできるのだ。やろうとなんて思わないはずだったのに、思うようになってしまった人たちがいて、それを、なんで止められないのか。
 どうして。
 今の世界を維持したいのなら、それは禁忌だと強く訴えてそに価値観を押し付けるように共有させなきゃいけなかったんじゃないのだろうか。
 どうして。
 誰かの派手なアクションのために数多の死体がうまれるアクション映画を、どうして、見ていられない。あの舞台セットのような死に方を、強いられている人が、現に、いるのに。
 

4/2/2026, 3:52:08 AM

しがつばかというやつだ。
四月はたしかに、能天気が似合う。世に花が咲みだれ虫が飛び交い始めて生物は皆交尾のとき。性行為というのはどうしてあんなにばかっぽいのだろう。
特に哺乳類のそれだ。たとえば鮭のように産卵した卵に精子をかけるだけというなら随分スマートにできそうなものなのに、なぜ腰をふるようになっているのか。
「あ、じんこうじゅせいならいいのか。」
まあそうだ。とはいえ、快楽を目的とするならやっぱり腰を振ることになり、顔が見たければ足を開くことになり、よりにもよってその間に腰を振っている者を配置することになり、ほらもう…すごく、ばかっぽい。なんだろうな、でもこれをやっている人は少なくはないのだ。人間やるのって、ばかっぽいな…としみじみする。
だから四月ばかである。
「ばかってあれだろ、プランクとかそっちのさあ…」
嘘をつくというのはまあ、イタズラの一種であり、イタズラならなんでもいいのではないか。たとえばこう、朝っぱらからゆうわくしてみるとか。
「しないけど。」
エロコス。
「しないけどな。」
際どい下着。
「しないけどな。」
だからつまり、せっくすは動作として大変にばかっぽい。必死で、愛しい。だからばかばかしいせっくすがしたいという話なのだ。
それをどうエイプリルフールにこじつけるかという話だ。
だってやっと新年度だ。
やっと帰ってくる。

4/1/2026, 6:46:39 AM

どうしても手が動かない。脳にコールタールをかけられたように、ただ日常の雑事の順序(順序!)を考えるだけで精一杯だ。
書きたいのか書きたくないのか。
書けばきっと楽しいだろう。指先も目も体も気持ちもそのとき通り抜けるなにかを好んでいる。たぶん、待ち侘びてもいる。
でもギアが。
マニュアルにいれたいのに、切り替えたが最後、このオートマで動く日常にある必要な合間が消える。
すると、家族との雑談が減り、電車で酔うようになり、買い忘れが増えて、睡眠時間が縮む。
睡眠時間が縮む。そんな。すでに寝足りないのに。

ということは、寝るべきなのだ。たっぷり寝て、そうすればギアを切り替えることができるようになる。コールタールは溶剤がいるんだったか。だから、余裕を。のうみそに。

しかしいつ寝るべきか。朝の時間は決まっている。それをずらすために相談すべき相手が無限にいてとても無理だ。起きる時間はずらせない。寝る時間をはやめたらいいのか。しかし、家の者全てが寝静まったあとにほんの5分でいいから起きていたいのだ。関わろうとしてくる声や手が現れないところで5分でいい、息がしたい。1人になる時間が欲しい。他人の気配がなく、不意に話かけられる心配も呼ばれる心配もない時間が欲しい。自分だけの拙い言葉を気の済むまでこねくり回し、時々踊って、時々歌って、時々はリズミカルにキーを叩いて、問いかけも応答も自分からしかやってこない時間。
自分の中からしか意外性がやってこない時間。

その幸せな時間は、書けば立ち現れるのだった。

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