同居はしていた。キスはした。セックスも、どこまでをそう呼ぶのかわからないが、素肌の敏感なところに触れ合うやり取りはした。それで、2年。生活の中の齟齬は噛み合うことなくお互いに小さな不満を溜めながら、けれど大きな喧嘩もなく、2年。嵐のような喧嘩とか、それに伴うドラマチックな仲直りとか、互いに気持ちを吐露しあって大泣きするとか、そんなこともなく、季節のイベントは過ぎた後に思い出し、誕生日も生年月日を書くときにああ過ぎてたなと思ったし、相手の誕生日は思い出しもせず、ただ生活があって、でも信頼があって、互いになんとなく慰められもし、安心感もそこにはあって、それでよかった1年が経って、政治的な立場について対立したのだ。おれはどうしても怒っていた。あいつは怒るなんて嫌だという態度で、怒ることはネガティヴな反応しか引き起こさないと思っていて、波風は立たない方が安定して生活できると思っているようで、じゃあ結局同性婚には賛成か反対かさえはっきり意見も言わず、なるようにしかならないんだからと目を逸らしたのだ。テレビを一緒にみなくなり、時事ネタを互いに避けるようになり、ただ日常があって、そうしてもう1年。デモに行ければよかったのだ。デモでも、読書会でも、講演会でも、ボランティアでも、映画の舞台挨拶でもなんでも、どうにかしようとしている人たちが集まるところに、おれが行けていれば、誰かと話して、どうにもなっていない現実を愚痴れる相手を見つけていれば。けれど、その勇気はでなくて、ただ飲み込んでいる不安と怒りは、ときどき外に出たがって、もうそこにはあいつしかいないのだった。どうしてもこれだけはと口を開くと、あいつとおれとで前提になっている世界が違いすぎて、後から後から説明する必要が出てくる。やがて辛抱強くそこにいた影は、ふいっとどこかに去るのだ。それでおれもほっとする。だって、説明できるほどおれだってわかってない。でもこんなのおかしいって思うんだ。おかしいって、変えるべきだ、変わってくれ、変わるはずだ、変わってないなんておかしいって。なんにもおかしくないだろう、と考える人はいて、それはあいつもそうで、でも別に、同居人だし、不満はないし、生活は淡々と穏やかに回る。はずで。そこにおれとは違う考えの人がいてくれて、どうやらそれはおれの生活の中での多数派の意見であり、だからおれはエコーチェンバーにはまらずにいられるかもしれない。嵌っていても、まだ、違う意見があることをおれはちゃんと知れていると思って、納得できている、はずで。でもだめだった。人が死ぬのに、と思ってしまって、もう、だめだったのだ。その苦しみを見ないままでいたかったのだろう。よくわかる。知らないままで穏やかに生活していたかっただろう。よく、わかる。でも人が死ぬんだよ。なにもできないけど、どうしてって思うだろう?思うだけじゃなにもかわらないけどそれでも、どうしてだよって思うんだよ。その気持ちはなんか、おれが、特に特技もなく、人を惹きつける外見的特徴もなく、経済的な余裕もなく、いいことも悪いことも目立った経験さえ何もなく、趣味でつながるともだちもおらず、漫然と息をしているだけのおれのなかの、なんか最後のところにある。人が死ぬのは嫌なんだよ。死なないでくれって思っていて欲しい。死にたい気持ちにならないような環境を誰だって受け取っていいはずだ。だって、死なせたくないって思ってないの?なんで?思うだろ?いやこんなのは押し付けだ思ってなくたっていいに決まってるでも、なんで?ってなってもうだめになったのだ。もうだめになって、穏やかに別れて、別に、おれは生活が苦しくなって、それだけだ。部屋が狭くなり引越し費用で貯金は底をつき、時給の仕事が休めなくなる、それだけだ。疲れているときかわりに食事を持ってきてくれる手はないし掃除してくれる手もないから、適当なものをとりあえず口に入れるし、汚れを見ないふりをして、それだけで。だって、なんで?って思うんだ。なんでだよ。おれはそう思っちゃうんだよ。思っちゃうのになんでおれは何にもしていないのだろう。あいつはなんでなんにもしないことを指摘さえしなかったのだろう。
1/14/2026, 1:35:22 PM