輝き
「ねぇおばあちゃん。なんでおばあちゃんのおはなは光ってるの?」
緑豊かな自然の中に、小屋のような一軒家が一つ。ここに住むのは笑いジワが深く刻まれた一人の老婆。夏休み上旬の今日は大姪の子が遊びに来ています。
大姪の言うとおり、大叔母の鼻やおでこは白く輝いていました。
「もしかしてまじょなの? だからここでくらしてるの?」
「あら。ふふ、魔女じゃないけど、魔法はあるのよ」
「まほう?」
舌足らずな声で聞き返す大姪に、大叔母は笑って立ち上がりました。ドレッサーの引き出しから古びたパクトを取り出します。
「不思議なお店で買ったのよ。ハイライトって言うの」
「はいらいと?」
「えぇ、お肌に塗ってツヤを出すものでね」
大叔母はパクトを開いてみせました。雪のように白い粉が敷き詰められたそれはほとんど使った形跡がなく、綺麗な平面をしていました。
「これが魔法みたいな粉なの。それか、呪いかもしれないわね……」
大姪は首を傾げました。大叔母は大姪がパクトに触れないように、すぐ蓋を閉めて引き出しの中に戻してしまいました。
「永遠の輝きをもたらすハイライトだって」
大叔母は自身の鼻の頭を擦って困ったように笑いました。
「困っちゃうわよね。こんな永遠をもらっても仕方ないのに。でもあのときは憧れてしまったのよ……」
大姪にはまだ難しかったようで、キョトンとして首を傾げていました。真っ白に発光している大叔母の顔をじっと見つめます。
「でも、おばあちゃんのおかおきれいだよ」
大姪はそう言って無邪気に笑いました。大叔母は驚いて目を見開き、そっと大姪を抱き寄せました。大姪はギュッと大叔母にハグをして応えます。
「そう。悪いことばかりじゃないのかしら」
「うん! びじんさん!」
「あら、うふふ」
老婆は心の枷が軽くなっていくのを感じました。そして甘えてくる大姪の頭を優しく撫でるのでした。輝く笑顔を浮かべながら。
ありがとう
「バレンタインのお返ししたら『あなたの告白を受け入れます』って意味になるんだって。知ってた?」
「は? 何それ?」
同僚に思わぬことを言われ、僕は固まった。急にそんなこと言われても、明日が問題のお返しの日だというのに。
「聞いたことないけど」
「街の子たちが話してたんだよねー」
「ローカルルールじゃない?」
「トランプじゃないんだからさ」
同僚の言い方はあまり本気っぽく聞こえなかった。多分彼もそんな噂冗談だと思ってるし、明日は噂など無視してたくさんのお菓子をお返しするのだろう。
「普通に『ありがとう』って意味でお返しするもんでしょ」
「色んな意味でな」
同僚は無関心そうに返事して仕事に戻りつつあった。切り替えが早いのは彼の取り柄だ。僕も彼を見習って人間リストの整理に取り掛かることにする。
「ところで最近不審死が騒がれてるから気をつけろよ」
「へいへい」
僕は適当に返事をしてこの話題を切り上げた。説教臭いのはあまり好かない。
僕たちは悪魔、またの名を天使。人の魂を喰らって生きる。
容姿が無駄に良いので多くの異性に言い寄られる。男の形をしている僕らには人間の女が近づいてくる。バレンタインの日なんかは顕著だ。
僕たちはそれを利用させてもらう。近づいてきた人間が次のターゲット。
だからお返しを渡して言うのだ。「ありがとう」と。
食べ物には感謝をしないとね。
星に願って
毎朝毎晩、祈り続けた。勝負の日が近づいている。
イメージトレーニングは完璧。友人も何度もシミュレーションに付き合ってくれた。
もちろん一番重要な準備もバッチリだ。あの甘い香りが鼻の奥にずっとこびりついている。この1ヶ月ほど試作品を弟に食べてもらっていたから心なしか彼の恰幅が良くなった気がする。
それらがあと少しですべて報われる。決戦は14日、バレンタインデーで。
……とまぁ、すべての物事は準備期間中が一番楽しいものだ。
長い間温めた気持ちも、度重なる練習も、何もかも無駄に終わった。呆気なく私は振られた。
気持ちのやり場がなくて、どうしても眠れそうになくて、私はベランダに出て寒風に当たった。空を見上げるとオリオン座が目に入った。リボンみたいな形をして空にでかでかと浮かんでいる。
「ちょっとくらい振り向かせてよ、お星さま」
何言ってるんだろう私。直後に襲ってくる気恥しさと言いようのない罪悪感。
まったくもう、明日の学校が憂鬱だ。
「もう全部忘れさせてください……」
懇願してもどうしようもない。風邪を引く前に私は部屋に戻ることにした。
翌日、学校に行くと何か様子がおかしかった。
友人はやけに同情的で、ほとんど話したことのない人たちからも視線を感じる。学校全体が浮ついた感じがするのは昨日がバレンタインデーだったからだろうか。
まぁ、私には関係ないんだけど。
そして何が一番おかしいって、私が学年一モテるとも噂されるイケメンに声をかけられたことだ。放課後、体育館裏に来てほしいという。
言われた通り行ってみたら「昨日から1日考えて考えが変わった」だの、「あなたの魅力に気づいていなかった」だのとわけのわからないことを言ってくる。
終いには「付き合ってください」と言ってくるんだからビックリしてしまった。人違いか、たちの悪いドッキリとしか思えない。
そりゃ心が揺らがなかったと言えば嘘になるけれど、申し出はお断りした。相手はショックを受けていたし、友達にはひどく驚かれた。でも、彼らには申し訳ないが、ドッキリかもしれないという疑いを拭いきれないのだ。
その晩、何気なく見上げた先にあったオリオン座にため息をつかれた気がした。とりあえず「私にもいつか好きな人ができますように」とお願いしたら、またため息の音が聞こえた気がした。
バイバイ
「じゃ、バイバイしよっか」
時間を忘れる密会の末、君はそう言って僕に笑いかけた。その言い方にムッとしてしまって、僕は別れる間際に不機嫌になった。
「僕、いつまでも子供じゃないんだよ。子供扱いしないでよ」
「えー? ごめん、怒らないで。仕方ないじゃん、私からしたらずっと子供みたいなもんなんだから」
「僕、もう君より歳上なんだよ」
「え!? もうそんなに大きくなったの。すごいねぇ」
「だから――!」
懲りずに子供扱いしてくる君は悲しげに笑う。君の姿は10年以上変わっていない。幼い頃何度も甘えて泣きついた記憶そのままである。
小学2年の頃、君は突然この世からいなくなった。幼い僕に詳細は語られず、僕の中の君は日々おぼろげになっていく記憶に囚われている。
「……次はいつ会える?」
「んー、またいつか、夢の中で」
「いつまで会える?」
「さぁ、どうかな。君が大人になるまで?」
明瞭な回答は得られない。この時間に終わりが来るのが恐ろしい、なんて言ったら、君はまた子供扱いしてくるだろうか。
「じゃあ、そろそろ起きる時間だよね。バイバイ」
「……うん、バイバイ」
手を振ると同時に視界がぼやけていく。一度瞬きをして目を開いたときには無機質な天井が視界に入ってきた。
君の姿はない。いつか、バイバイの言葉は永遠の別れを示してしまう。それを分かっていながら僕は大人に向かっていつもの日常を開始していく。
旅の途中
世界旅行に申し込んだ。聞いたことのない会社の企画だったけれど、値段もお手頃だし、死ぬまでに一度は世界を回ってみたかった自分にとっては夢のような企画だった。目的地が非公開となっているのは気になったが。
世界旅行に行ける人は抽選で決められるらしい。見事自分は当選した。当日集合場所に集まっていたのは、性別も年齢も様々な老若男女10人だった。倍率が如何程のものだったのか知らないが、この中に選ばれたのだから自分は幸運だと思った。
自分たちは見たこともない乗り物に集められた。バスとも飛行機とも形容しがたい、何らかの金属の塊だ。座席なんか金属剥き出しで座り心地は最悪だったが、まぁ格安のツアーなんだから文句は言うまいと思って飲み込んだ。
窓には黒い布が貼られていて、今どこを移動しているかはもちろん、空を飛んでいるのか地を這っているのかすら分からなかった。
ガイドらしき人が移動中に妙なことを言った。「旅の途中に自分を見かけたら逃げてください。絶対に見つからないでください」と。
その意味を理解しないまま1つ目の目的地についた。
ちょうど1年前に友人と遊びに行ったところで、新しい場所に行けることを期待していた自分としては残念な結果だった。
しかし落ち込んでいても仕方がない。昨年の旅行では目的地の一つが改装工事中で、思うように見て回れなかったのだった。そのことを思い出して自分はそこに向かうことにした。街並みは昨年と全く変わらない。全て記憶の通りである。
そして目的の観光場所はと言えば、未だに改装工事を行っていた。
妙だと思った。たしか半年ほど前に工事は終わっていたはずだ。新たな工事を行っているのか?
そのとき、頭の中に嫌な予感がよぎった。バッと振り返ると、人混みに紛れて見覚えのある2人組が歩いている。心臓の鼓動がうるさい。道なき道を走って、あの未知の乗り物へと戻っていく。
それから自分は乗り物から一歩も降りなかった。旅行者たちは段々と数を減らし、最後には自分ひとりになった。
多分あれはタイムマシンだった。タイムマシンの試験を兼ねていたから謝礼を差し引いて格安になっていた。
同じ時代に同じ人間が2人いてはいけないのだ。旅の途中でいなくなっていった彼らは、自分に会ってしまったのか、あるいは他の何かに巻き込まれたか、今となっては真相は分からない。