「はぁ。また贈り物ですか」
「ええ。サメが知らせてくれました。人手が増えるのはありがたいですね」
「うーん……」
ありがたいような、そうでないような。ぶつぶつと呟く乙姫とは対照的に、報告に来た亀は鷹揚に笑った。
「何が姫様を悩ませていますの?」
「悩んではいませんが……どうせ今回も手を焼く方でしょう?」
「そうですねぇ……確かに、ご気性は少し荒いですが、重労働でも意欲的な方ですよ。私なんかの前鰭では竜宮城の補修改善や増築は難しいですし」
そう言って亀はふわふわと微笑む。その包容力たるや。亀の甲より年の功とはよく言ったものだ、と思う。
いつの頃からか、時折、地上から人間が贈られてくることがあった。簡素で味気ないラッピングとは対照的に、龍や鯉などの美しいペイントを施されてやってくる贈り物──もとい、人間たちは竜宮城の存在も知らずに贈られてくるのだ。同意がない。それは、少し可哀想じゃないかと思う。別に乙姫は人間を寄越せと言ったことはないのに。無理やりは良くないんじゃないか。それに。
「人間ってもう少し柔らかな雰囲気の方はいらっしゃらないのかしら? それこそ浦島太郎様みたいな正義感溢れる方でも良いわ。──なんと言うか、こう、地上から送って頂く方々って、ウツボみたいな荒くれ者の魚相をしているんだもの」
「人間たちは人相(にんそう)と呼ぶらしいですよ」
そうじゃなくてね、論点はそこじゃなくてね。言いかけた言葉も、言語化できない違和感も泡になって、海面へと駆けた。このまま泡が地上まで上がって、音になって、贈り物をしてくださる方に伝わってくれないかしら、と現実逃避。
「でもまあ、ラッピングも贈り物のセンスもありませんわよね」
「そう思う?」
「ええ、両足をコンクリートで固めるなんて包装の仕方、美しくはないですもの」
「それは本当にそうね。─── それに、なぜ全員血塗れの状態なんでしょうね?」
お題/あなたへの贈り物
凡そ一週間ぶりの我が家は、他人行儀な香りがした。否、自分が気付いていなかっただけで、これがこの家の匂いだったのだろう。めぐる生活のなかで鼻腔が慣れきっていたことを今更乍知る。なんだか、無性に嬉しかった。この家の住人であると、そう思わせてくれるみたいで。
「おかえり」
ドアを開く音を聞いた女が小走りで出迎えてくれた。その体温を腕の中に感じる。久々の香りは、確かに家に漂う香りと同じだった。
肩に埋まった顔。震える睫毛。連綿と紡ぐ呼吸。七日ぶりに抱いた女の肩はこんなに小さいものだっただろうか、と思う。細胞の全てが彼女の存在に歓喜して、触れた箇所が粟立っている。同時に、虚しい。普通に暮らしていれば、これまた普通に享受できる幸せを、彼女にはこれっぽっちも感じさせてやれない。そしてそこまで理解していながら戻ることも変わることも私はできない。停滞した感傷は、それでも新鮮に私を蝕む。
「……ごめんね、長い間帰ってこれなくて。アイツら頭硬くってさぁ」
「いいよ。帰ってきてくれるなら、それで」
「何も状況は変わんなかったのに」
「いいってば。わたしは理解されたいなんて思ってない」
「だめだよ、それは」
「ねぇ」
そっと頬を撫でられた。ついで、名前を呼ばれる。愛していると、言われた気がした。彼女の一挙手一投足、それから柔らかな瞳であるとか、円やかな愛を含んだ声色だとか、触れる手つきだとか。彼女の生み出すもの全てが私という命を肯定していた。それは決して勘違いではない。事実として、私たちはこんなにも愛しあっているのに。
「でも私はやっぱり両家に納得して欲しい。そのために今回も赴いたのに。だって、このままじゃ一生きみは軟禁生活だよ」
「でもあなたがいる。他に何か必要? 両親たちの理解? 外界の知識? 社会との繋がり? ……ばかみたい。そんなの全部いらない!」
吐き捨てた彼女の瞳が悲痛に揺れていた。なんだか堪らなくなって唇を塞ぐ。このまま呼吸を忘れたい。彼女の隣にそっと横たわって生きて、死にたい。ただそれだけの話なのに。なんでこんなに否定されるんだろう。
「わたしたちを認めてくれない社会が決めたものなんか、なんの価値もないよ」
「……そうだとしても、足掻くのをやめることはできない」
「わかってる」
あと何度こんな生活を繰り返す? あと何日彼女を閉じ込めていれば世界は変わる? 自問自答を繰り返しても、返ってくるのは伽藍堂。
嫌になるくらい同じ毎日は、私たちが愛し合うことを認めてくれない。今はただ、誰もわたしたちを引き剥がすことのできないよう、強く抱きしめあうことしかできなかった。
お題/そっと
「まだ見ぬ景色を見に行こう!」
「あんのかよ、そんなの」
「あるさ! きっと」
「どうだか」
フンと鼻を鳴らす俺とは対照的に、そいつは努めて明るく笑う。行こうよ、と差し出す手は人が作り上げた安っぽい光に照らされているというのに、彼女は人知の及ばない神様の様に見えた。犍陀多に蜘蛛の糸を垂らした仏様。或いは「光あれ」と仰った父。そういった類の存在。──否、事実そうである。
この世界が『誰か』によって作られた箱庭であると、一番最初に気付いたのは彼女だ。そして、ここから出ようと画策したのも。
「にしてもさ、ここから出れてもその後はどうすんの?」
「そうだなあ。さっきも言ったように、先ずは見たことない景色を見に行こう。世界の外に何があるのか知りたいな」
「その後は?」
「『創造主』に会おう。私や君を作り、この世界の『筋書き』を書いた人がいるはず。その人に会って、変えてもらおうよ」
人類が滅ぶという『筋書き』を。
揺るぎない決意を秘めた瞳が揺れている。光のプリズムの如く見る角度から視覚的な温度が変わる。それはきっと、見る人間によっても。彼女の、美術品のように完成されたすばらしいつくりのかんばせは、確かにこの世界が造られたものだという証明に思えた。それでも。
隣あって触れる温度はいきものの熱さ。素材の異なる服、薄い素膚の下で流れる血。それらが複雑に絡まって、巡って、身体をあたため。ああ、こんなにも生きていると実感するのに。
「……作り物なのか、俺たち」
「そうだね」
お題/まだ見ぬ景色
始まりはいつも世界の終わりと共にくる。
爆煙の中から現れたソイツはにこやかに微笑んでいた。
「やあ。久しぶりだね。会えて嬉しいよ」
「クソが。お前には二度と会いたくなかったのに」
「随分な言い様だなあ。僕と今世で会うのは初めてだろう?」
「だからだよ」
舌打ちしても悪態を吐いてもソイツは笑顔を崩すことはなかった。いっそ子供みたいな純新無垢な微笑みはコイツの所業とは正反対で、だからこそ気持ちが悪い。
「前世でも、前前前世でもあんな惨い殺し方したのにまだ僕を殺したいんだ? とんだサイコパスだねきみも」
「その言葉そっくり返すぜ。いい加減にしろよ、なんで何度殺されても世界を壊そうとするんだよお前は! 何回も転生を繰り返してでも終わらせたいのか!? そんなに憎いかこの世界が!」
声に混ざる血と怒り。魂の底から湧き上がるそれをどれだけ乗せて伝えても目の前で悠然と笑う笑の前には届かない。
「なんでだよ、なんでなんだよ。何がお前を拒絶した? 誰がお前を否定した? あと何度繰り返せばお前は諦めんだよ!」
「何度でも。君が生まれ変わるのをやめるまで」
しん、と空気が変わった。いつも笑みしか浮かべていない顔から感情が抜け落ちていた。
「ねえ、君は、君自身がなぜ何度も生まれ変わるんだと思う?」
「は?」
「教えてあげるよ。君が世界に望まれているからだよ、ヒーロー。僕という悪がいるから、君が望まれる。つまり、僕がいなければ君は望まれないし、きっと転生もしない」
わかるかい? とソイツの声は続く。聞いちゃいけない、と瞬間的に思ったが、脳髄の奥までそいつの甘い声は響いた。
「僕が世界を壊そうとする限り、何度だって君と会える」
会えて嬉しいよ、先程と同じ言葉を繰り返したソイツは、先程よりもずっと甘ったるい顔で笑った。
お題/始まりはいつも
人生に3度モテ期があるという。ならば、人生を色鮮やかに染める出来事は何度あるのだろうか。
忘れられるわけもない。海馬に色濃く刻みつけられている。
喜怒哀楽のその全てを私はあの日々から教わった。そのどれもが鮮烈で網膜や脊髄の隅々まで焼き尽くすほどの光だ 。
光が濃ければ濃いほど闇は深くなる。あの強烈な日を知ってしまった後では、今という人生は無味乾燥でしかない。
暗いだけの部屋で昨日が終わった。今日もきっとそうなるのだ。無機質でなんの味も手触りもしない、そういう日々を過ごしている。
お題/忘れたくても忘れられない