チリーン、チリーンと鐘を鳴らす。
涼やかな音が心に染み渡ってくる。
私が鳴らしている鈴はとある恩人から譲り受けた物だった。
うっすら青みがかったガラスの表面に川を想起させるような水色の波線と金魚が描かれている。
それを鳴らしながら私は恩人との出会いと別れを思い返した。
あれはまだ私が小学生の頃、チョウにつられて歩いていると親とはぐれてしまったのだ。
チョウが手の届かぬところに行ってしまってふと後ろを振り返ると両親がいなかった時ほど心細かったことはなかっただろう。
道の真ん中で人目を気にせず大声をあげて泣いていた。
たくさん人はいるのに誰も自分を助けてくれないで、そそくさとその場を立ち去る中、恩人だけが、私を助けてくれた。
ちょっとどころか完全に時代錯誤の袴姿に大きな傘みたいな帽子に私が貰った鈴をつけてチリーンチリーンと鳴らしながら私に近づいてきた。
そして私を落ち着かせるように優しい声で
「ご両親のところまでお届けしよう」と言ってくれた。
そして私は恩人の手を握りながら、両親のところへ向かっていった。
両親のところへ辿り着くと恩人は帽子に付けていた鈴を外して私の前でチリーンと鈴を鳴らしながらこう言った。
「鈴にはね、不思議な力があるんだ。とても涼やかな音は心に響き渡って落ち着かせてくれるし私にとっては恩人とのあった証なんだ。」
と言って私に渡した。
そして恩人は名前も告げずに人混みの中へ消えていってしまった。
あれから随分と経ってしまってもう高校生だがその貰った鈴は今も私の学生鞄に自身の存在を主張するとともに私が恩人とであった確かな証にも思えた。
お題鐘
ここまで読んでいただきありがとうございます。
読者の皆様方にはこれ鐘じゃなくて鈴じゃないかと思われる方もいるとは思いますがその思いは心の内にしまっていただきたいと思います。
世界で最強と呼ばれた戦士を知っているだろうか。
戦士の名は李書文。かつて中国に存在した八極拳の開祖、挑んでくる武闘家たちをことごとく一撃で粉砕し戦う相手全てを殺した武闘家。そのあまりの強さゆえに最後には毒殺されたとも言われている。
何故、彼の一撃はあまねく全ての武闘家を仕留めるに至ったのか。
キリスト教の聖書に出てくる士師の1人、素手で獅子真っ二つに引き裂くサムエルの如き剛力を持っていたのか。
否。
ギリシャ神話に描かれているメドゥーサ殺しの英雄ペルセウスの如く神の加護と知恵があったのか
否。
李書文が使っていた八極拳をはじめとした中国武術の文献を見ると、日々の鍛錬をすると「クンフー」と呼ばれる力がついてくる。それによって中国と武術家などは岩を破壊したり踏み込みだけで石畳を割る力さえも生み出すことが出来る。
李書文はこの「クンフー」という地味な鍛錬を積み重ねあの極地に至ったのだ。
また李書文は弟子にこう言っている。
「千招有るを恐れず、一招熟するを恐れよ。」
これはあらゆる技をこなす者ではなく一つを極めた者を恐れよ。という意味の言葉である。
つまり何でもかんでも例えるなら八極拳全ての技を習得するのではなく、一つの初歩でも技を極めろという教えである。
彼はこの教えを身をもって実践している。
李書文は確かに素手で戦う武闘家だが、「神槍」の李書文とも言われる。
その由来は李書文が槍の一突きだけを鍛錬し続けた結果、誰もその槍が見えないまま突き刺さることから呼ばれた。
つまり現代でも言えることは、自分が何か始めたいと思ったことをちゃんと最後まで続ければ、素晴らしい技術に昇華させることが出来るということだ。
だからこそ何でもかんでもすぐ投げ出さない心が大事なのだ。
お題つまらないこと
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ちょっと説明文ぽくなってしまいました。
「なぁ」大雨が降る中、前にいる友人に声をかける。
「何?」友人は傘と一緒にくるりと私の方へ向く。
「明日、もし晴れたらまたあの丘に2人でいこうぜ」
「いつも言ってんじゃん。そのセリフ。」
「まぁそうだけどさ。」そう言いながら傘をくるくる回す。
ちょっと水飛沫が上がり、友人が目を少し釣り上げて「かかったんですけど。」と私を咎める。
「ごめんごめん」と言いながら「あの日」を思い返す。私たちの世界は環境汚染が進み、雲が常に空を覆い隠し雨が常時降るようになった。その雨の降り始めた日を私達は「あの日」と呼ぶ。
「あの日」のせいで被害を被ったのはたくさんあるが中でも達筆する事は青空の下で寝転ぶことができなくなった事だ。
「あの日」がくるまで私達はよく晴れると地元では西が丘という丘の野原に寝転んで雑談をしていた。
だからもう晴れて私たちが寝転ぶことができないとわかっても私はいつも友人にさっきの口上を言っている。帰り道の半分に差し掛かる頃、急に友人が歩みを止めて空を見始めた。
「どうした?」と私が近寄ると、友人は傘をいきなり落とした。いけない、このままでは友人が濡れてしまうと思い、私の傘を友人に翳して気づいた。
傘を手放しても雨に体が濡れない。不思議に思って、私も空を見上げた。そこで私たちが見たのは万金にも値する「あの日」ぶりの青空と虹だった。
パシャリパシャリと友人が連写を始める。私も釣られて連写を始める。
これが私たちにとって最後の青空になった。
数年後、私達は成人し開発者になった。
それから更に数年が経ち、私達は発明品の完成に差し掛かるところだった。
「準備できてる?」私が聞くと友人が「もちろん」と返す。
「それじゃっいくぞ!」と私がボタンを押すとともに空が映った。私たちが撮った最後の青空が全世界の雨を遮り偽りの青空を生んだ。
こうして私達は再び青空を取り戻した。
ただ願うならもう一度、もしも明日雨が晴れれば。
お題明日もし晴れれば
ここまで読んでいただきありがとうございます。
更新遅れてすみません
ザザンというかすかな波の音が鼓膜をかすかに鳴らす。そこは白浜の海岸で私はそこを両親と手を繋いで歩いていた。
とても仲睦まじく誰から見ても仲良し親子のようだった…。
パチリと目を開けるとそこにはいつも通りの自室が広がっていた。
私は幼い頃、海のあるところで育った。
どこで育ったのかは両親が教えてくれなかったので海がある所としか呼べなかった。海があるところでは楽しく美しい記憶が残っているのに、今、私が生きるこの場所では苦難ばかりが続いてばかりだ。
何故、あの楽しい海のある所を離れたのかを両親は話してくれなかった。両親は秘密主義者なのだと思う。
海のあるところを離れて約18年、大学生になった私は両親の制止を無視して一人暮らしを始めた。
一人暮らしの生活は両親が制止したのも分かる辛さがあった。
ご飯はバイトであまり稼いでいないのでわずかなお米ともやしだけで家は家賃削減のため四畳半で、布団はツギハギだらけで誰が見てもみすぼらしいキャンパスライフを送っていた。
みすぼらしい生活を紛らわすように朝早くに近所を散歩することが私の日課である。
散歩が終わると大学の講義に行って帰ってくるとバイトで帰ってくると、寝る時間である。
私は寝る前、嫌なことがあると巻貝を吹く。
巻貝のあの音は私の記憶の海のある所を呼び覚ましてくれるからだ。
お題遠い日の記憶
ここまで読んでいただきありがとうございます。
人々の叫び声がする。どこかで赤子の泣き声がする。
そんな世界をぶっ壊してやりたい。そう思って勇者をやってきた。
幾度も己を狙ってくる狡猾な魔物を退け魔王軍の幹部を倒し遂には魔王城まで乗り込むことができた。
四天王を倒して謁見の間へ辿り着いた。
その先にいたものを見た時私は後悔した。ああここにくるべきではなかった。夢物語を胸の中に思ったまま暮らしていた方が良かった。
私が剣を抜かずにいたのを見て魔王の少女がよく通る透き通った声で「少し話しても良いでしょうか」といってきた。沈黙を了承と受け取ってたのか侵略のあらましについて語り出した。
魔族は昔から迫害されていたこと
このままでは一族が滅んでしまうこと
それは一つの国としての正当防衛だった。
先程まで邪悪な敵と思っていたが違ったのだ。
私は世界を救うヒーローではなく国に単身で乗り込んできた大量殺戮犯だった。
沈黙が続いた。
しかし突然、沈黙を裂くように抜刀音が鳴り響いた。
「終わりにしよう」そう口から漏れ出てきた。
すると魔王が「はい」と答えた。
そして私はその少女の首を…。
その後のことは思い出そうとすると頭痛がする。
ただその魔王を倒した後、私は闇に堕ちて「俺」は世界を気の向くまま「情動」のまま攻め込んだ。
これが俺という存在が生まれた歴史だった。
お題終わりにしよう
ここまで読んでくださってありがとうございました。