常識という押し付けがましい価値観が社会に蔓延ってきたのはいつからだろう。
その常識をよしとしなかったものを抑圧したのは誰だろう。
これは私の抑圧された世界の話だ。
私は殺人鬼を父に持った。地獄のようだった。他の人が見れば美しいと思える世界も私にとって狂気と猜疑に溢れた世界だった。毎日毎日、ねちっこくいじめをしてくる学校の悪ガキども。
それを許しむしろ扇動している学校の教師。
何もかも自分にとって信用ならない世界で理不尽は容赦なく濁流の如く私にぶつかってくる。
それがおよそ23年に続いた。
そして私は大学までなんとか進学し、地元と離れたところに就職した。
都会だったから家賃と物価は苦しかったが、あの地獄の責苦のようなものに比べたら随分マシだった。
結果には厳しいがちゃんと結果を見て褒めてくれる上司、失敗したら飲みに誘ってくれる優しい同僚、満ち足りた日々だった。
生活が貧しくともこんな生活が続くのであれば構わないと思った。
あの日の悪夢のようなニュースがなければ。
夏が過ぎたはずなのにまだ暑さを引きずった夜だった。
何故かよく眠れなくて気まぐれにニュースを見るとそこにはメモリアル殺人鬼ニュースというのがあった。
嫌な汗がどっと溢れた。
案の定、その事件は父の話だった。
その次の日周りからの目はガラリと変わった。
戻ったというべきかもしれない。
会社の上司は結果が出ても出なくとも叱ってきて同僚はあからさまに自分の足を引っ張ってくる。
思わず笑みがこぼれてしまった。今、思い返しても猟奇的な笑みだと思った。
自分の心の中の何かが切れた音がした。
お題私の当たり前
ここまで読んでくださってありがとうございました。最近更新遅くてすみません。
この先に何かがあるのか。この先へ行かねばならない理由があるのか。そう自分に問いかける。
生まれてから親に抱かれてから親が死に自分が老いるまで歩き続けても尚、最北の地は見つからなかった。
けれど歩みは止めなかった。ただ老人となった私は知りたかった。己の一族が辿り着こうとした道のりを。
私は連れ合いを持たなかった。だから後を一族の悲願を受け継ぐものはいなかった。自分の代で終わらせるつもりだった。この因果を良くも悪くも断ち切るつもりだった。
老いた私は歩き続ける。それは私の人生の経過を示しているのかもしれない。
やがて冬が終わり春の風が東から吹いてくる頃、辿り着いた。そこはただ寂れただけの祠だった。
何も感慨が湧かなかった。人生を心血を注いで目指した先がこんなものが指標だったとはと落胆した。
けれど義理として祠に祈った。
すると私はその祠の神に出会った。神は言った。
私の一族は追放された神の系図でその神罰として果てのない道のりを歩まねばならなかったのだと。
私は得心した。すると枯れ果てた声が漏れ出て僅かしかない水分が溢れ出てやまなかった。
神はただ優しく私を見ていた。
お題「その道の先に」
ここまで読んでくださってありがとうございました。
さかなというのは、どんな色をしてどんな形をしているのか。犬とはどんなものなのか、その一切を少年は知らなかった。本来なら白色以外の色すらもわからないはずであった。けれども1人の親切な研究員が小さな小さな窓を作ってくれた。それで少年は小さい世界で色とりどりの本来の世界を見ることができた。
その景色はやがて少年の心に好奇心という炎で焼き焦がし、少年はずっと待っていた。
いつかここをでられる日を。
終わりなき白い空間で。
「窓越しに見えるのは」
燦々と照る太陽が肌を焼く。思わず太陽に手をかざしてしまうほどに太陽は眩しかった。ガリガリ君を齧りながら塾へ向かい密室特有の蒸し蒸しした暑さに身悶えながら机に齧り付く。
家に帰って風呂を浴びてお気に入りのバンドのプレイリストを流す。3曲目に入ったあたり、不意に
「そのバンドいいよなー」という声が聞こえた。こんなマイナーなバンドを知っている身内がいたのか。と思いながら、あたりをキョロキョロ見渡すと、真正面を見た時、ぱっちりと特大の蝉と目があってしまった。「キィヤアアア」とうら若き乙女もかくやな絹を裂くような悲鳴を上げ、その場から尋常じゃない勢いで離れた。
「まぁ落ち着けよ。」とのんびりした調子でいいながら器用な仕草で足を組みながら机でふんぞりかえっている蝉に私は「ヒイイ」という情けない声をあげながら台所の隅でプルプル震えることしかできなかった。
これが私と喋る蝉の蜻蛉の出会いであった。
その日、なんとか蜻蛉と話せるようになったのは、夜の0時を回った頃だった。まだ慣れきれずに少し青い顔で蜻蛉の話を聞いた。蜻蛉はここの近くの久山という山で育ったらしい。
そして自分だけ何故か喋れるらしい。
その日はもう夜遅かったので、まだ喋り足りなそうな蜻蛉を無理矢理帰して、寝た。
次の日も変わらず、塾へ行った。
いつもと違うのは、家に帰ると巨大な蝉がヨッとチャーミングな動きで私を出迎えることだ。
私達は昨日からなんの話をするかは決めていた。何故なら蝉と人間では話す話題が違うからだ。
何度も試行錯誤を繰り返しようやく互いが話せる話題が蝉トークであった。
例えば私が「蝉っていつも死んでると思ったら急に驚かせてくるから、腹ただしい。まるで現実世界のゾンビみたいだ。」というと蜻蛉がすかさず「セミだって今を必死に生きているんだ。そんな最期まで抵抗しようという気高い意志を気持ち悪いと一蹴するのか?」と論破する。ような展開が何日も続いた。
後退することなんてないし私が論破できるわけでもない。そんな日がずっと続くと思っていた。
ある日いつもの如く家に帰ると蜻蛉がぐったりとしていた。どうした?と聞くと蜻蛉は消え去りそうな声で「もうすぐで死ぬんだ」と言ってきた。
そのまま看病?したが、虚しく蜻蛉は死にかけから1日で死んでしまった。
無心で蜻蛉を土に埋めていると涙が溢れて止まらなくなった。蝉も実はいい奴かもしれない。そうたいして赤く焼けてもない空を見上げて思った。
そして歩き出した途端、サクッという軽快な音がして下を見るとそこには蝉の死体を踏んづけた自分の足があった。その日、とある町で1人の少年の絶叫が聞こえたという。そして私が蝉が再びトラウマになったというのは、自明の理である。
お題夏
ここまで読んでくださってありがとうございました。
少しグロ描写を書いてしまったことにお詫び申し上げます。
険しい山道を登る。そのまともな足場がない山道はそれだけでも老体の私の体を疲弊させた。
やっとの思いで山頂に辿り着くと私は頂上のベンチに腰掛けてフッと息を吐いた。
その前方には沢山のコスモスの花が咲いていた。
あの頃は一輪だけであったのに。
そう振り返るとともに私はかつての親友との思い出を振り返った。
大学3年生の頃、私は登山サークルに所属していた。
とても雰囲気が和やかで人は少ないが落ち着ける場所だった。そんなサークルで私の親友こと晃と出会った。サークルの歓迎会の時、大学1年生だった私と晃は馬が合いすぐに腹を割って話すような仲になった。
山ではいつも組となってお互い登山でもかけがいのない相棒であった。
ところが話は戻り大学3年生の頃いきなり晃がサークルを辞めてしまった。
当時の私は驚いてすぐに晃の家を訪ねた。
玄関のチャイムを鳴らすと晃が私を出迎えた。
もう私が来た理由に察しがついたのか、自室にわたじ招き入れ、事のあらましを語った。
晃曰く、親が外国に移住したいそうだ。
晃の両親はかなり自由奔放な人でいつも晃は振り回されているのだという。
1人で暮らせば?と聞くと、晃はそれも言ったがそうしたら仕送りはしないし家族の縁を切ると脅してきたらしい。なんとも強情な両親である。
どうしようもなく、暫くお互い沈黙していたが、
突然私の口から「最後に鳶山登ろうぜ」という言葉がついてでた。
しまったと思ったが、思いの外、晃も乗ってくれて今度行くことになった。
鳶山とは、私達が1番最初に登った山だった。
標高は低いのにやけに道が険しく、2人で汗をダラダラかきながら登り終えたことを覚えている。
その次の日曜日、私達は鳶山に登った。
幾多の山を登ったおかげで以前よりもスムーズに登ることができた。頂上に登ると晃が突然、種を取り出した。コスモスの花らしい。
種は二つあった。1つはこの山に埋め、片方は晃の新たな家に埋めたらしい。
持ってきた水筒の水をコスモスにあげた。
水で湿ったコスモスの花は晃の家のコスモスと共鳴するように艶々と輝いていた。
お題君と最後に出会った場所
ここまで読んでくださってありがとうございました。