「何ずっと見てんの?」
友人の國田がそう言った時、私は空を見ていた。
「空」
私がそう答えると國田は笑い出した。
その様子を見て真面目に言ったのにと少し不貞腐れる。
そして空から目を離した私だったが國田がツボにハマって笑いだすとまた空を見上げた。
今日は雲が理想的な量の晴天だった。
透けてそのまま宇宙が見えそうな空色と眩しい日光は何故か私の視線を釘付けにした。
それこそ友人が笑い転げるくらいに。
笑いやんだらしい國田が私の肩を叩いて「帰ろうぜ」と言ってきた。
そこから真っ直ぐ二角ほどすぎた交差点で私は國田と別れた。
手が千切れそうなくらいに手を振りながら声が涸れるどころかひび割れそうなくらいな大声で叫ぶ國田が私が彼と会った最後の景色だった。
その日の翌日、学校に登校すると國田が交通事故で死んだことを知った。
そう言えば今日は1人で國田と一緒じゃなかったなと気づく。
それくらいだった、國田の死は。私の日常の中では死んだ瞬間ですらその後も國田は生きていた。
シュレディンガーの猫というやつがあったのかもしれない。あるいは知らぬが仏というやつかもしれない。
どちにしろ私は國田が死んだ時は悲しまずその後ようやく気づいて悲しんだ。
それを私は歪だと思った。
その日の帰り道、私は空を見上げた。
見えたのは私の日常の空だった。
お題空に向かって
ここまで読んでくださってありがとうございました。
銀杏を目一杯身につけたイチョウの木を尻目に私は並木道を歩いていた。手には古ぼけたフィルムカメラが収まっていてそのずしりとした重さが自分の思い出、つまり写真たちの重さのように感じられた。
友達にはフィルムカメラなんか何故もっているのかとよく聞かれるが私はその答えを返すことはできてなかった。確かに携帯の方がすぐどう撮られたのか分かるし補正もされている。
そしてトドメを指すように枚数制限に果てしない差がある。
スマホの方が圧倒的にいい。フィルムカメラの完敗である。でもそれでも私はフィルムカメラが好きなのだ。どうしてだろう。時代に置いてかれた感がして可愛く思えるからだろうか。
現像するまで何が映るか分からない神秘的な面があるからだろうか。
あるいは枚数が少ないからこそ命を込めれるからか。
その全部か。私には分からない。でも私はフィルムカメラが好きである。
そうして写真を撮り続け気づくと空はオレンジ色になっていた。
帰らなきゃ。そう思って帰り道に急ぐ。
すると路傍の石に転んでカメラのシャッターを押してしまった。写真はどうなっているか分からないけどもそのまま家に帰り全ての写真を現像した。
そして現像した写真たちをつぶさに見ていき転んだ時の写真を見た。それは大して華やかな風景でなく近くの公園にありそうな風景だった。
しかしそれをずっと見続けていると中央の花が力強く咲いていることに気づく。そしてそれを祝福するように日光が辺りに降り注いでいた。
成程。私がフィルムカメラが好きな理由が分かったかもしれない。
私は一期一会が好きなのだ。フィルムカメラは偶然の宝石箱なのだ。
お題もう二度と
ここまで読んでくださってありがとうございました。
更新久しぶりです。
チッチッチッ…。
父の代から置いてある古時計が時を打つ。
もう数十年動き続けているがまだその針に狂いはない。
決められたテンポで打つ時計の秒針が私の万年筆の音と重なる。
チッチッカカッチッカッカッカッチッチッチッカッカッ…。
文字を書く手が止まる。万年筆のインクが無くなってしまったのだ。ペン先のインク窓を開けてインクを注入する。文房具好きにとって至福の時間だった。
インクの装填が満タンになるとまた文字を書き始める。
ひたすら書いていると書くための言葉が頭から溢れてきて勝手に手が動く。
その言葉の奔流を捉えて故意的に堰き止めて小出しにする。
そうして書いた文の表現を正す作業をしていると陽光が私の目を差した。
時計を見ると針はすでに日を跨ぎ朝の5時を回っていた。
しかし私は休眠を取らず書き続けた。
更に針が動いて7時を回る頃に私はようやく書く手を止めた。席を立って台所に行くと棚からティーバッグを取り出してポットにお湯を注ぐ。その間にもう一度己が書いた文を読み直す。読み終えるとカップに紅茶を注いだ。
湯気が立ち上って共に紅茶の芳醇な香りが鼻を通る。口をつけると心地よい苦味と先と同じく紅茶の風味が私の喉へと滑っていった。
今日は土曜日で妻も子供も遅くまで寝ている。
この1人だけの時間が私にとっての平日の終わりを告げていた。父代からの古時計は規則正しく控えめに音を鳴らしていた。
お題静かな夜明け
ここまで読んでいただきありがとうございます。
随分と久々な更新になってしまいました。
明けましておめでとうございます。
幾星霜、という言葉が浮かぶほどに私は長い間、何かを待っていた。
もう私の老化した脳からは風化してしまった何かを私は待っていた。
今日もいつもの様に待っていた。
その時、枯れ木のような肌に水が染み渡る感覚があった。
雪だった。
雪は私に身を切るような寒さを与えなかった。
ただ私の全てを包み込むような感覚があった。
私は全てを思い出した。
私は雪を待っていたのだ。
遠い遠い昔、友達が言ったのだ。
雪をもう一度降らすと。
当時、地球ではもう温暖化が取り返しのつかないところまで来ていた。
緩やかに滅びゆく世界の中でその友達は雪を取り戻すとそう私に言ったのだ。
それは世界を救うというのと同義だった。
私も一緒に取り戻すと言った。
けれど友達は首を縦には振らずに笑って言った。
お前は待ってろと。俺が起こした偉業を記録して世間に広めてくれとそう言った。
だから私は雪を待っていたのだ。
その次の日から音沙汰のなかった友達との約束を果たすために。
そして私は踵を返して街に戻った。
私の誇らしい友達を自慢するために。
お題雪を待つ
ここまで読んでくださってありがとうございました。
心ってさどこにあると思う?
そう聞くと大抵の人たちは脳だって答える。
でも少数だけど心は心臓にあるっていう人だっている。
僕は後者を信じたい。
なぜなら僕の友達は心臓なんだから。
勘違いしないで欲しい。心臓の鼓動で勝手に妄想してイマジナリーフレンドを作っている可哀想なやつじゃない。
僕の心臓はもうこの世にない。
一年前の秋ごろに事故に遭った。
車に下校してる時、はねられて。
僕は体の全身が折れたりしていたけど生きていた。
けど僕と一緒にいた友達は即死だった。
すぐに救急車に運ばれた。
僕は緊急治療室へ。友達は死亡判定で安置室へ。
僕の方ももう死にかけだった。
心臓の動脈が何箇所も衝撃で破裂していたんだ。
なんとか生かそうと医者達が大勢で僕の延命措置をした。でも心臓を移植しなければ助からなかった。
普通なら助からなかった。でもあったんだ。
すぐ近くに綺麗な心臓が。友達の心臓は健康だった。
頭を打ってしまって死亡したから。
友達の遺族は僕に心臓を提供してくれた。
きっと友達ならそうしただろうからって。
それで僕は今、生きている。
精神の心と肉体の心。
どちらにも意思が宿っていると僕は信じたい。
僕の友達は僕の心臓として生き続けてるって。
じゃないと悲しくて耐えられないからさ。
だから僕は信じるんだ。
お題心と心
ここまで読んでくださってありがとうございました。
更新遅れてすみません。