春。新しい生命の息吹が感じられる瑞々しい草木の匂いがする季節。私は桜の化身と出会った。
あれは中学3年の頃である。遊びにかまけていた私は都立の受験に至って危ない状況にあった。今日も塾に行ってご飯を食べて寝るだけの一日になるだろう。そう思ってしまうと気分が重くなる。歩いていると桜並木に出た。どの桜も美しく流麗だった。だが一つだけ格別の木があった。その巨体は大地に深々と根を張り桜の散る儚さと何があっても壊れぬことのないような猛々しさが同居しているような木だった。時間を忘れてその桜を眺めていると一つの青い桜の花びらが落ちてきた。変わっているなと注目していたらその花びらは地面につくと同時に人の女の姿を取った。あまりにもショッキングな光景すぎて私が二の句も告げなくなっていると「ねぇ何をしてるの?」と話しかけてきた。
言葉喋れるんだ…。
彼女?に動揺していると彼女が自己紹介してきた。
予想通り彼女は桜の精で、花が散る頃にまた消えてしまうらしい。それから私は彼女と毎日通学路で話をした。楽しくてそれだけのために外へ出るほどだった。
そんなある日いつもの通り桜の木に到着するとそこに彼女はいなかった。驚いて桜を見ると花は全て散ってしまっていた。悲しくて寂しくて下を向いているとたくさんの花びらがどこからともなく飛んできて私を覆い隠した。綺麗な光景だった。さようならと言われといるとともにまた来年とも取れたものだった。
それから私は冬になってまたこの桜に来た。新芽がピョコッと生えてきて頼りなくとも力強い生命の息吹が感じられた。
お題桜散る
ここまで読んでくださってありがとうございました。
この物語はフィクションです。
更新が遅れて申し訳ありません。
私はよく夢を見る。幸せな夢ではない。
いつも何かに追いかけられている。焦って脚がすくんで動かなくなってしまったりする現実感は夢の世界が本当の世界だと勘違いさせてしまうほどだ。私は勿論こんな毎日夢の中で逃走中のようなものをやりたくないと思っている。でも悪いことばかりではない。
夢は人にさまざまな啓示を与えてくれる。有名なベートーヴェンをはじめとした偉人の中には夢の中の出来事から着想を得たと述べていたという。
夢を見る。それは自分の想像の領域の中で自分だけのストーリーを汲み出すことのできる力である。
だから私は悪夢には嫌悪を抱くが夢に関しては何も思わないようにしている。心の中に響くはショパンの幻想即興曲。さあ今日は一体どんな夢を見せてくれるのだろうか。
お題夢見る心
この物語はちょっとフィクションです。
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更新が遅れて申し訳ありません。
天つ風 雲の通路 吹き閉じよ をとめの姿 しばし留めん。中学2年生の時に百人一首の宿題があった時に覚えたものだ。何も知識もない私からみるとこれを詠んだひとは下衆い人なんだなと思った。
それから3年半ば少し経った私は今その歌を反芻している。家で作ったサンドウィッチを食んで真っ白なきゃんばすに絵の具という情報をこぼしている。
絵を描こうと思ったのは中学3年生の頃だ。絵を描くより本を書く方が好きだった私は絵がとても下手で98点だったのに評定は四だった。だから内申点もとりたかったし絵を練習し始めた。すると存外これが楽しい。目が自分なりに上手く描けると舞い上がってしまう。
やがて私は絵師を志すようになった。志望校もかなぐり捨てて美術の専門高校に入った。
でも生まれつきの不器用さゆえか凡人より上程度の実力にしか到達することはできなかった。
だから単位が吊り橋の様に危機的な状況になっている。教師にも親にも怒られて私はこの道はダメなんだろうか。と思いながら何となくふらっとこの丘に立ち寄った。公園っていうのはつまらないものだなと私は思うけど描いてしまう。私にはこれくらいがちょうどいい。やっぱり普通に進学すべきだったのだろうか。
絵を描いていると気分が重くなってしまってすぐに描くのをやめてしまった。雲を眺めてあれは羊だ。あれはアイスだとか幼児がやる様な遊びをしているといきなり天が割れた。文字通り。雲が晴れて青空が切り裂かれてそこに何が蠢いている。それは白い龍だった。あまりの美しさに私は無意識に筆を握っていた。
写真とか無粋なことはしない。このキャンバスにこの光景を閉じ込めたかった。何かが変わって何かが終わる音がした。これが芸術というものか。美しさの化身である龍は鳴いた。その音はどんな名曲にも勝る天上の音色だった。背景を描き終わって龍に取り掛かろうとしたら雲がまた集まり出した。待って、待ってくれ。まだ見ていたい。天つ風が雲を吹き閉じてくれる様に私は願った。その詩人の気持ちを身をもって理解した様な瞬間だった。それから5年私の家の壁には美しい空と真っ白な龍の様なシルエットが浮かんでいた。
お題遠くの空へ
この物語は半分フィクションです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
この世にはあらゆる写すものがある。
絵、歌、造形、そして「言葉」、星の数程あるこの世界を写すことができる。だが全てを写せるわけでわない。所詮空間とそれを写すのに使うものを別のものなのだ。今、私はその全てを使っても写すことのできない光景を見ている。始まりは仕事を定年で辞めてから少し経った後、昔からの友人から星を見に行かないかという誘いが来た。勿論受けた。
暫く退屈だったし体を動かしたいと思ったからね。
早朝に家を出て集合場所の駅につくともう友人は到着していた。こうして私と友人の2人旅が始まった。
山を歩くのはいつぶりだろう。若かったときはどうともなかった山道は今は荒れ果てた険しい山道に思えた。2人ともども息が切れて山の頂上に着く前に休憩を取った。年はやはりとりたくないものだな。と思った。弁当を食べて少し横になっているともうすっかり日が暮れてしまった。今日はこのまま寝てしまおうか。と友人が言ったのでここで寝た。深夜、私は尿意を感じて外に出た。すると光の玉のようなものがふよふよと私に近づいてきた。何だ!?鬼火か?と私が青い顔をしているとそれは蛍だった。一匹ではない。数百匹に及ぶ群れが美しく儚げな光景を生み出していた。すぐに友人を起こすと戻ってきて写真を撮った。
だがあまり綺麗だとは思わなかった。
幻想的な光景とは写せないものなのだなと思った瞬間である。その後私達はすっかり満足してしまって山を下りてしまった。
お題言葉にできない
この物語はフィクションです。
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私は散りゆく花弁の一片。ちょっとした風が吹けば地面に叩きつけられてしまうような不安定な存在。
でも風に乗るからこそ美しく見える。
だから私はいつも風に乗ってしまう。そう周りの考えという木枯らしに。誰かに反抗するなんて何年ぶりだろう。そう思いながら殴って気絶してしまった上司に目をやってみる。この上司は別に殴ってしまっていいだろう。裏社会の人間だしあまり慕われたし知名度があるわけでも無いから。私は堅気ではなく裏社会での仕事を生業としている。昔から刀の稽古をつけられて忍刀で相手の首をスパッとやるのが私の仕事だ。
だからなのか幼いときはやたらと殴られて体に主従関係を刻み込まされた。だから私は基本的に雇い主及び上司に絶対服従である。だがしかし何事にも例外があるものだ。こんな上司なんて上司と認識していない。
ろくに仕事もしないし誰かにも慕われてないのに何かと人に文句を言ってくる小煩い輩だった。
今日だって雇い主の事を馬鹿に来たので少し身の丈を教えてやっただけなのだ。そう、決して私の私情などではない。あの上司のたるみきった腹まるでお餅のようだな。お餅か…。家に帰るついでに買うか。そう思うほど私は和菓子が好きだ。特に大福。いつも仕事着に携帯している。だから時間感覚が狂ってしまう裏社会にいても季節だけは細かく分かる。
桜餅が昨日売られていたということは先週から春が始まったということだ。
春といえば春の定義って花が咲いて暖かいことだろう?だから私はいつも血の華を咲かせて返り血で暖かいから年中春ということだなという鉄板ジョークがある。勿論この社会でも受けるどころかドン引きされているのが全部だ。
春という恋愛のシーズンでもあるこの時期を血に染めてしまうのはとても心苦しいのだが止めることはできない。桜の花は春爛漫。血の華も春爛漫である。
お題春爛漫
この物語はフィクションです。
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