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11/13/2024, 12:57:51 PM

:また会いましょう








街の喧騒が遠のき、
冬の夜空が澄んだ冷たさをもたらしていた。
駅から少し離れたこの場所に立てば
都会の眩い光がふと消えてしまうかのようで。


目に映るのは青白い街灯の光だけだった。







彼と出会った日も、この季節の寒い夜だった。
美しく飾られたショーウィンドウに見蕩れていたら、
気づけば隣に彼がいて、背を少し丸めて冷えた手をポケットに押し込み、赤いマフラーに顔をうずめていた。
火照った鼻先と、どこか気怠そうなその仕草が妙に印象的で。

大勢の人が行き交う中、彼から目が離せなかった。


ふとした瞬間に私の視線を拾うと、彼は少し微笑んだ。


その笑顔が、まるで季節外れの朝顔のように
冷たく透き通る空気の中で儚く美しく見えた。







それ以来、自然と何度か会うようになった。
約束はなく、決して親密とは言えない、けれど何か確かな繋がりがあるような、そんな微妙な距離感があった。

彼との会話はささやかで、短いものだった
けれど、隣にいるだけで不思議と心が満たされた。

あの夜道を共に歩くときの沈黙と静寂が、
今ではかけがえのないものになっていた。







月日が経つにつれ私の心は彼への想いで満ちていった。

しかし、それを言葉にする勇気は出ないまま、知り得ないであろう彼の心の内を考え始めた。彼もまた私に同じような思いを抱いてくれているのか、それともただの優しさで私に付き合ってくれているだけなのか。その答えは知りたくないような、知るのが怖いような気がした。

心の中で抱く彼への想いが風船のように膨らんでいくのと同時に、彼が私にはあまりに遠い存在のように感じられたからだ。
その穏やかな横顔は私を安らぎとともに痛みで満たし、度々胸の奥をきつく締め付ける。







ある日、彼は突然「遠くへ行く」と呟いた。


まるで何でもないように口にしたその言葉はあまりにもあっけなく、冷たい風と共に私の胸を貫いた。
理由は語られず、また私も、問うことが出来なかった。

頭で理解しようとするよりも先に、心が強く揺さぶられ視界が歪んでいるのを感じた。
急に地面が崩れ落ちていくかのような感覚に陥り、言いようのない不安が頭から爪の先まで支配していく。



心のどこかで、

この瞬間が来ることを恐れていたのだと思う。



俯きながら彼の言葉を涙とともに飲み込んだ。







それから数日が経ち、彼が去る前夜。

私は再びあの夜道で彼と並んで歩いた。
いつもと変わらない彼の振る舞いと街を包む静寂が、かえって苦く、苦しかった。
言いたいことは山ほどあったはずなのに、結局、私の口は開かなかった。




当然のことなのかもしれない。




自分の心の奥底にある言葉を、
夜空の星にすら囁くことができなかったのだから 。




駅へ向かう道を二人で歩きながら、
私はその一歩一歩が、二人の間にぽっかりと大きな溝を生み出していくようで、酷い焦燥感に襲われた。

いつもより少し早足の彼の背中を追いかけるように歩いていると、不意に彼が立ち止まりこちらへ振り返る。

軽い足取りで私に駆け寄っては何か言葉を口にするわけでもなく自身の赤いマフラーをそっと首から取り外すと、ふわりと私の首に巻いた。





思わず息を呑んだ。





そのマフラーはほんのりと彼の温もりを帯びていて、彼がそっと整えてくれるたびに、鼓動が聞こえてしまうのではないかとさえ思った。

彼の顔をこんなに間近で、
正面から見つめたのは初めてかもしれない。
ずっと横顔ばかり見ていた気がして、どうして今まで気づかなかったのだろうと、心臓が切なく軋んだ。






見つめ合う間、私は何も言えなかった。
ただただ、彼の顔を永遠に忘れることが出来なくなるまで、脳裏に焼き付けようと、じっと見つめた。

その胸の奥には燻った言葉が渦巻いていたが、どうしても口から出なかった。
どれだけ言葉を尽くしても、この関係を縛りつけたくない。彼が去ることが、私にとっても、彼にとっても、正しいことなのだとどこかで信じようとしていた。





「じゃあ、またね。」





彼は、いつもの柔らかな笑顔を浮かべていた。
その顔はあまりにも穏やかで、まるで何事もなかったかのように。
けれど、その瞳の奥にはほんのわずかに揺れる影が見えた気がした。

それは彼が初めて自分の心を私に見せてくれた瞬間だったのかもしれない。

その表情が、今まで見た彼のどんな笑顔よりも愛おしく、そして痛ましかった。



数秒の沈黙を過ごした後、
彼はゆっくりと背を向け、歩き出した。
小さな足音が徐々に遠ざかるたび、マフラーから伝わる微かな温もりが切なさに変わっていく。彼の背中はやがて街の雑踏の中に溶け込み、冬の街に溶け込んで見えなくなった。



私はひとり、冷たい夜の中で立ち尽くし、赤いマフラーと共に凍りついたような静けさの中に取り残された。

ふと空を見上げると、雪がちらつき始めていた。

静寂の中、
彼の言葉が何度も耳の奥でこだます。






それを、






















私は



あの夜、かき消すように心の中で呟いた言葉を



そっと、口に出してみた 。





















「また会いましょう」