:こんな夢を見た
灯が消えた理由は些末な前置詞のように思い出の端に置かれている。
日常は残酷に平坦で、
記憶の中の盛り上がりを平らにしていく。
友人がくれる「忘れた方が楽だよ」という言葉は、雑巾がけの後の床のように濡れた冷たさを呼び込むだけだ。
忘れることは簡単じゃない。
忘れることは、あの人が教えてくれた全てを一つずつ封じていくことだ。
私はそれができなかった。
代わりに私はその声を、その動作を小さな儀式にして、日々を編み直す作業をしている。
誰かに語りかけるように、時々声を出したりする。
声は必ずしも返ってこないが、空気の中に私の声が反響するのは嫌いではない。あの人に向けられた言葉は、いつからか日々の習慣になった。
「 今日ね 」と唐突に始めると、私は些末なことや、見た映画のくだらない批評を続ける。返事はない。しかしその独り言が、私を宥め、あの人に届くような気持ちにしてくれる。
そして朝に紅茶を淹れるとき、あの人が好きだったレシピを手順通りに淹れ、窓辺にそのカップを置いては飲まないまま冷ましておく。微かに温かいだけで、それが生きている証明のように感じられるから。
日が沈んで、いつものようにカップを洗いに部屋に入ると、ふと、アルバムが目に留まった。
苦しくなるから、と棚に押し込んだのを思い出した。
何年開いてなかっただろうと椅子に腰掛け、噛み締めるように一枚一枚、写真とあの人のメモを辿っていく。
愛おしさと、そのどことない心地良さに、いつの間にか眠りに落ちてしまった。
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初めて手を繋いだ日の風が、まだ私の掌のひらに張り付いているような気がする。
いや、正確に言えば、それは「今」なのかもしれない。夢の中で私は、あの日の風の冷たさも、指と指の間に伝わったほのかな震えも、まるで目の前で起きている出来事のようにもう一度受け取っている。
写真は色あせ、文字は滲み、アルバムの角は擦り切れていたのに、ここでは光が白く鋭く射して、その一枚一枚の輪郭がしっかりと保たれている。
日々はいつも少しずつ剥がれていくものだと誰かが言ったが、今の私の胸の内にあるのは、剥がれかかった紙片をもう一度貼り合わせるような行為だ。
つまりこれは忘却の進行を阻むための、夢という名の抵抗なのだろうか?そんな考えが浮かぶ前に、私はもうあの人の顔を見ていた。
あの人は台所の入り口に立って、古いカーディガンの袖を指で軽く引っ張っている。笑うと頬に小さな窪みができるところまで、あまりにも正確に再現されている。針が落ちレコードが擦れる音、朝の紅茶の蒸気、二つのカップが並ぶ光景。一見するとありふれた朝の一場面だが、夢の中にしてはあまりにも生活的で、続いている。
それが逆に、これが夢であることを忘れさせた。
あの人は「ねえ」とだけ言って、私の方へ歩み寄る。
指先の温度が、本当にあるかのように伝わってきた。
ここでは時間の刃が鈍っていて、出来事は切り取られたまま揺れている。初めて会った日の景色も、最後に見た病室の蛍光灯の白も、同じ冊子の中の頁のように並んでいた。
ただし順番は混ざっていて。夢というのは、時間を整列させるのが本当に下手だといつも思う。
思い出すのではない。思い出されるのだ、と私は気づく。忘れかけていた手触りや匂い、どうでもいいように思えた会話のぶつ切れが、夢の内部でゆっくりと立ち上がってくる。
—— それらは私が自発的に呼び戻したのではなく、夢の屋根裏から梯子が降りてきて、ひとつずつ引っ張り出してくれたような感覚だ。
窓の外では雨がまだらに降っている。
土手沿いの花、濡れたアスファルトと、切り分けてくれた柑橘の残り香、古い本の紙の匂い。あの人はそれらを名前で呼んで、私に教えてくれた。
「 これ、好きでしょ? 」と手渡すように差し向けられる香りを、夢の中の私は確かめるように深く息を吸っている。呼吸ごとに、忘れていた声のトーンが戻ってくる。
アルバムはここにはないけれど、走り書きのメモは淡く浮き上がって、台所のテーブルに散らばっている。そこには「やること」リストと呼べるような雑多な言葉があり、まるで生活の端材のようにして日常を支えていた。
季節は巡り、桜の枝先は夢の縁で振るえ、川沿いの土手の匂いが瞬間的に拡がる。だが、この夢の季節は標本の中のように固定されていて、散るはずの花びらが空中に滞る時間がある。散ることすら忘れられている花の群れを眺めながら、私は奇妙な安心を覚える一方で、それが長くは続かないことも同時に感じている。
夢の中の私たちには喧嘩もあった。
ささいなことに腹を立て、言葉に詰まった夜。
けれど些細な不協和音が二人の間を通り過ぎても、結局いつも笑いが戻った。そうした不完全さもまた、この場にあって、私たちを本物にしている。
あの人がキッチンで紅茶をこぼして「 あー、だめ 」と自分を責める様子、私が古いタオルでそれを拭き取りながら「 大丈夫 」と言う習慣。
今思えば、私が「 大丈夫 」と言うのを聞くためだけに、あの人は何度も紅茶をこぼしたのかもしれない。
その不器用さ。
—— 不服だと言いたげな眉を寄せる仕草、私に嘘をつくとき謎に張り切って顔が歪むところ、靴紐を解くときの手つき、寝ぼけながら私を呼ぶ声 ——
それらは全部、今ここで愛おしく確かな資料だ。私はそれらを飽かずに眺める。夢は、思い出を摩耗させるよりも先に、その表面の埃を払って見せてくれる。
そして、ときどき夢は優しく残酷だ。
あの人が私の手を取る度に、胸の中に小さな亀裂が生まれる。温度が伝わるたびに、どこかで現実の壁が薄くなるのを感じる。
夢の端々にちらつくのは、記憶と現実の取り違えだ。
目が覚めた時 私はどれほどのものを持ち帰れるだろう。どれほどが現実の皿の上に、冷めたまま残るだろう。
私は夢に助けを求めたわけではない。
けれど夢は答えをくれる。
忘れていた日々をほんの少しだけ現れては消していく。それは慈悲でも、拷問でもなく、むしろ礼儀正しい追憶の仕方だ。
私はこの時間をかき集める。
匂いを、指先のしわを、あの人の笑いのニュアンスを。
どうして人は、こうした些細なものを失うと大きな穴を感じるのだろう。
失われたすきまに風が吹き込むと、学生時代の教室の匂いや夏の砂の熱が戻ってくるみたいに、過去は断片で襲ってくる。
夢は最後に、静かに戸を閉める。音が遠ざかり、色が薄くなり、あの人の輪郭が柔らかく溶けていく。
その瞬間、私は恐れずに笑う。
なぜなら私は確かに触れていたのだから。
冷たくもなく、ただ確かな温度が掌に残った。その温度を胸に抱えて、現実のテーブルに腰を下ろすときを待つ
━━━ 目を開けた後に誰かに語るための言葉を保存しておきたいから。
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そして今、
私は座り、湯気の立つカップを両手で包みながら、夢の音と匂いを一つ残らず渡すつもりで、小さく息をつく。
「 こんな夢を見た 」
1/23/2026, 2:30:09 PM