『ずっと隣で』
昔のことを思い出すと、自分のことを少しだけ別の人のように感じてくる。
今ではしないことやできないこと、逆に今だったらやるのにとか、そういう今の自分と違うところがたくさんあって、そういうところを振り返る度に、今の自分とは違うなと思う。
でも同時に、今と変わらないなと思うところもたくさんあって、やっぱりこれは自分なんだ、好きなところも嫌いなところもあるけれど、浮かんでくるあの景色は、紛れもない自分の記憶なんだと再確認すると、心がキュッとなったり、あったかくなったりする。
例えば、あの時うまく伝えられなかった言葉や、不器用だった振る舞い。思い出すだけで少し俯きたくなるような不格好な日々も、不思議と今の自分を形作る大切な一部になっている。
きっと、過去の自分はどこか遠くへ消えてしまったわけじゃないんだと思う。
目まぐるしく変わっていく景色の中で、新しい自分に何度も上書きされているように見えて、本当はただ、同じ道を少しずつ列をなして一緒に歩いているだけなんだ。
嬉しかったことも楽しかったことも、悔しくて泣いた夜のことも、全部抱えたままの「あの頃の自分」たちが、今の自分のすぐ隣で、静かに寄り添ってくれている。たまにひょっこりと顔を出しては、こうして胸の奥を揺さぶっていくのだ。
だからこれからも、新しい日々の中で迷ったり立ち止まったりした時は、ふと心の中で隣を見てみようと思う。
そこには間違いなく、不器用ながらもここまで歩いてきた自分の確かな足跡と、そっと背中を押してくれる変わらないあたたかさがあるはずだから。
『平穏な日常』
カーテンの隙間から差し込んだ朝焼けの光で目を覚ます。そこから少し、布団の中でうだうだと温もりを味わいながら、そろそろ起きるかあと嫌々ながら身体を起こしていく。
冷たいフローリングに足裏が触れると、まだ夢の縁を彷徨っていた意識が少しだけ輪郭を取り戻す。小さくあくびを一つこぼしながら、静まり返ったリビングへと向かった。
洗面台の前に立ち、水道の蛇口を捻る。冷たい水で顔を洗うと、ようやく「今日」というキャンバスの前に立たされたような心地になる。キッチンにある湯沸かし器のスイッチを入れ、お気に入りのマグカップにドリップのコーヒーバッグをセットする。コポコポという湯の沸く控えめな音が、まだ目覚めきっていない部屋の空気に溶け込んでいく。この、誰に急かされるでもない静かな数分間が、私はたまらなく好きだ。
窓の外からは、遠くを走る車の音や、どこかの家で朝食の準備をしているであろう微かな生活音が聞こえてくる。今日という一日に、映画のような劇的な展開や、人生を揺るがすような大事件はきっと待っていない。決まった電車に揺られ、目の前のやるべきことと向き合い、また夜になればこの部屋へ帰ってくる。そんな代わり映えのしない軌道を描く日々を、退屈だと嘆く時期もあった。
しかし、マグカップから立ち昇る湯気を見つめ、一口その苦味と温かさを味わうと、強張っていた肩の力がふっと抜けていくのを感じる。何事もなく朝を迎え、淹れたてのコーヒーを美味しいと感じられること。この「何もない」ことの連続こそが、実は何よりも得難く、精巧に積み上げられたガラス細工のようなものなのだ。
時計の針が、出発の時間を静かに告げている。私は最後の一口を飲み干し、今日という平穏な一日をまた確実になぞるために、玄関のドアを開けた。
『愛と平和』
日々の生活を送っていると、意図せずとも刺々しい言葉が耳に飛び込んでくる。SNSを開けば見知らぬ誰かが互いを責め立て、ニュースからは絶えない対立の報告が流れてくる。私たちを取り巻く社会は、驚くほど些細な違いから摩擦を生み、絶えず不穏な火花を散らしているようだ。
そんな終わりのないノイズから逃れるように、私は深くため息をつき、お気に入りのアルバムを再生する。
部屋を満たし始めるのは、声高なスローガンや大げさな理想論ではない。ただそこにあるのは、不器用なほど真っ直ぐなメロディと、ささくれた心をそっと撫でるような温かい歌声だ。画面の向こうで続く怒りの連鎖も、日々の生活で蓄積された理不尽な焦燥感も、その豊かな音の波に包まれている間だけは、不思議と輪郭を失って静かに溶けていくのを感じる。
完璧なユートピアなど現実のどこにも存在しないし、明日になればまた新たな波風に晒され、現実に立ち向かわなければならないことはわかっている。争いや諍いに疲弊することも多いにある。それでも、このアルバムには愛と平和が詰まっている。
『過ぎ去った日々』
部屋の片隅にある段ボール箱を整理していたら、随分と昔に使っていた手帳が出てきた。パラパラとページをめくると、そこには当時の自分が何に悩み、何に喜んでいたのかが、拙い字で書き殴られていた。テストの点数が悪くて落ち込んだ日のこと、友人と些細なことで喧嘩をして口を利かなかった一週間。あるいは、帰り道に見つけた野良猫が人懐っこくて嬉しかったという、他愛のない日常の記録。
当時の自分にとっては、その一つひとつが世界のすべてだったのだと思う。特に悩みを綴ったページからは、ヒリヒリとした焦燥感すら伝わってくるようだった。けれど、何年も経った今、すっかり色褪せたインクの文字を追っていると、不思議と胸の奥が温かくなる。あんなにも深刻に思い詰めていた出来事が、今となってはひどくちっぽけで、どこか愛おしいものに感じられるのだ。
「ああ、こんなこともあったな」と、思わず口角が上がる。あの頃の私が必死に生きていた不器用な日々は、今の私を形作るための大切なピースだったのだろう。過ぎ去ってしまった時間は決して取り戻すことはできないけれど、記憶の底で優しく発酵し、今を生きる活力へと変わっていく。
窓の外に目をやると、いつもの見慣れた景色が広がっている。特別なことは何もない、ありふれた今日の連続。それでも、いつかは今も過去になるから、そのとき思い返して、くすりと笑えるような日々を過ごしていたい。
『絆』
アスファルトから立ち昇る陽炎を見るたび、ふと思い出す風景がある。
小学校の裏山にあった、古い廃材や段ボールを寄せ集めて作った小さな秘密基地。自分と、近所の友人たち数人で作り上げた、あの頃の自分たちにとっての世界のすべてだった。
手や膝を泥だらけにしながら秘密基地の「防壁」を補強し、誰かが家からこっそり持ち出したぬるい麦茶を回し飲みする。ただそれだけのことが、どうしようもなく誇らしかった。やがて町に夕焼けのチャイムが鳴り響くと、魔法が解けたように慌てて荷物をまとめ、「また明日」と短く約束して、それぞれ違う方向へと走って帰るのだ。
今ではその裏山も削られ、見通しの良い無機質な住宅地に姿を変えてしまった。彼らとも進学や引っ越しを機に疎遠になり、最後に言葉を交わしたのがいつだったかさえ定かではない。大人になった自分が今、街角で彼らとすれ違ったとしても、互いに気づくことすらないだろう。
形あるものはとうに消え去り、無邪気な約束も時間の中に溶けてしまった。それでも、夕暮れのひぐらしの鳴き声とともに、背中を押し合うようにして笑い合ったあの熱を帯びた記憶だけは、今も自分の中で静かに呼吸を続けている。
永遠に続くと思われたあの狭くも豊かな世界で。
そこには確かに絆があった。