『夢見る心』
私は憧れている。何に?と訊かれれば、それは掴みどころのないもので、言葉に起こすともうそれは、私の思う憧れではなくなってしまう。
だから私はいつも、憧れを憧れのまま、胸の奥に仕舞っておく。取り出してしまえば、光に当てた瞬間に色褪せる布地のように、その輪郭が滲んで消えてしまう気がして。
ただ、確かなことがひとつある。それは何か遠くにあるものへの感覚ではない、ということだ。電車の窓の外、夕暮れの街が滲んで流れていく、あの瞬間にも。誰かの笑い声が角を曲がって遠ざかっていく、あの静けさの中にも。憧れはいつも、もうすでにそこにある。
手が届かないのではなく、手を伸ばした瞬間に場所を変えてしまう——そういう類のものだと思っている。追いかければ逃げる、でも追いかけずにはいられない。その不条理に、不思議と苦しさは感じない。むしろ、この感覚が続くかぎり、私はまだ何かを求めているのだと、それだけで少し、生きていける気がする。
言葉にできないものがある。それでいい、とは思わない。ただ、言葉にできないまま、それを大切に抱えていることが、もしかしたら書くことの始まりなのかもしれない。
『届かぬ思い』
どうして伝えたいことほど、言葉にはできないのか。
本当に言いたいのはこんな軽口ではないし、こんな愛想のない返事ではなかったはずだ。
それなのに、この口から溢れる言葉は自分の純真なる本心を、喉かどこかにある奇妙なフィルターを通ることで、少し歪んだ言葉が流れ出す。
言葉を少し歪めれば、それは全く違った意味になってしまう。
本当は素直に好きだと言いたいのに、好きかもと言ってみたり、素直に会いたいと言いたいのに、明日空いてる?と聞いてみたり、そんな無数の失敗が脳裏に浮かんでは消していく。
どうしてか、そんな気持ちを込める時は驚くほどに素直な言葉が溢れてくる。
ここで出さずにさっきやれと自分で自分に言いたくなるが、そんなことは徒労に過ぎず、こうやって失敗したと悶えることが、人間の定めであり希望であるのだろうと、何故だか少し自信が湧いてくる。
これもまた、気持ちを吐くことの良いところであるのだろうか。
次にまた、気持ちを伝えるときが来て、そのときにはもう少し、自分に素直になれたら良いな。この思いが届けば良いな。
『神様へ』
忘れられたらどれほど楽か。
狂えてしまえたらどれほど楽か。
それなのに私はいつも、きちんと覚えている。あの日の光の角度も、あなたの声の湿度も、自分がどれだけみじめだったかも。狂うことすら許されないように、意識はいつまでも澄んだままで、私を見ている。
神様、あなたはどうしてこんなふうに作ったのですか。忘れる力を、壊れる自由を、どうして私には渡してくれなかったのですか。
痛みを知るからこそ美しいものがわかる、などという言葉は知っています。でもそれはあまりにも、遠いところからの慰めに聞こえる。今夜の私には届かない。
ただ、少しだけ眠れたらいい。少しだけ、全部を手放せたらいい。それだけを祈っています。聞こえているかどうかも、わからないけれど。
『遠くの雲』
赤らんだ太陽が、遠くにそびえるビルとビルとの間に沈んでいく。今日ももう終わり。
いつも通りの帰り道から少しそれて、周りよりもずっと高くにある階段から帰ることにする。特に理由はない、ただの気まぐれだ。
段を一段ずつ踏みしめると、街がすこしずつ遠のいていく気がした。騒がしかったわけでもないのに、静かになっていく。風が耳のそばを通り過ぎて、髪をほんの少しだけ乱した。
踊り場で足を止める。見上げると、空の端に雲がいくつか浮かんでいた。遠くの、ほんとうに遠くの雲。夕陽に染まるでもなく、かといって白いままでもなく、どこか曖昧な色をしている。行き場を決めかねているみたいに、ゆっくりと、でも確かに流れていた。
べつに、どこかへ急ぐ雲なんてないのかもしれない。ただそこにあって、風に任せて、いつの間にか見えなくなる。それでいい、とでも思っているのだろうか。
そんなことを考えながら、また歩き出す。階段を降りきると、いつもの道に戻っていた。遠回りをしたはずなのに、そんな気がしない。何かが変わったわけでも、何かに気づいたわけでもない。ただ、雲を見た。それだけのことが、今日の帰り道にはあった。
『言葉にできない』
本当に思っていることは、言葉にできないことが多くある。
言葉というのは、どこか嘘くさい。「好き」と言った瞬間に、その気持ちは輪郭を持ちすぎてしまう。実際の感情はもっと曖昧で、もっと揺れていて、「好き」という言葉が纏う重さとも、軽さとも、少しずれている。
だから私はいつも、何かを伝えようとするたびに、言葉の手前で立ち止まる。これで合っているか、と。この言葉はあの感覚を裏切らないか、と。
でも考えてみれば、言葉にできないということは、それだけ本物だということかもしれない。言葉になった瞬間、感情は固まる。瓶に詰められる。そしてどんなに正確な言葉を選んでも、瓶の外に溢れたものが、いちばん大切だったりする。
言葉にできないまま、誰かの隣に座っていたことがある。何も言わなかったけれど、何かが確かにそこにあった。それで十分だったと、今は思う。
言葉にできないことは、失われたのではない。ただ、言葉よりも深いところに、静かに沈んでいるだけだ。