『待ってて』
「待っててね」そう言って、かつて夕暮れ時まで毎日のように遊び尽くした遊び場に、別れを告げたあの日。
いや、本当は待っててなんて明確な別れもなく、いつの間にか離れて、その距離が、二度と埋まらないものになってしまった。
まるで約束を破ったかのような微かな罪悪感だけが、大人になった今の私に残っている。あんなに鮮明だった鉄錆の匂いも、夕暮れのチャイムが鳴る瞬間の焦燥感も、日々の忙しさに塗りつぶされていく。
「待ってて」なんて、本当は遊び場に向けた言葉じゃなかったのかもしれない。それは、あの場所で無邪気に笑っていた「かつての自分」を、そこに繋ぎ止めておきたかっただけの、私のわがままだったのだろう。
『伝えたい』
私には伝えたいことがあるのです。
世の中にはたくさんの事があるとは思いますが、それを誰かの心へ正確に手渡す方法は、あまりにも未完成なものばかりです。
口に出した瞬間、思っていたことの半分も伝わらずに空気に溶けてしまった経験が、誰にでもあるのではないでしょうか。大切なことほど、声にすると陳腐になり、あるいは喉の奥でつかえて、結局は沈黙の中に逃げ込んでしまう。私たちはそうやって、無数の「言えなかったこと」を抱えて生きています。
だからこそ私は、こうして「書く」ことを選びます。
文字ならば、震える声も、迷った時間も、すべてをインクの中に閉じ込めておける気がするからです。形のない感情に輪郭を与え、誤解を恐れずに言うならば、私の孤独とあなたの孤独を繋ぐための、ささやかな試みとして。
情報の濁流に流されないように、杭を打つように。私はここから、静かに言葉を紡ぎたいのです。
『この場所で』
生きている。僕はこの場所で生きている。それは変え難い真実のはずだ。それが嫌ということはないし、嫌なことがあるのは自分から出た錆であることくらいは、重々承知しているつもりだ。
それでも、ふと視線を上げれば、六畳間の窓枠にはいつもと同じように西日が差しているし、読みかけの文庫本は机の上で開かれたまま、僕の帰還を待っている。
「この場所」とは、単なる緯度経度で示される地点のことではない。僕が吸って吐いた息の蓄積であり、選び取ってきた、あるいは選ばざるを得なかった無数の選択肢が積み重なってできた、地層のようなものだ。
錆びついた部分があるのなら、それもまた一つの味わいとして、今の生活に馴染んでいる。美化するつもりはないけれど、この雑然とした部屋の空気は、案外、僕の肌には合っているのかもしれない。
ここから逃げ出したいと願う夜もある。もっと広い世界、もっと鮮やかな景色がどこかにあるはずだと、地図アプリを眺める日もある。けれど、結局のところ僕は、ここでお湯を沸かし、コーヒーを淹れ、今日という日を閉じるのだ。
その繰り返しが「生きる」ということなら、悪くない。そう思えるくらいには、僕はこの場所に根を下ろし始めている。
『誰もがみんな』
誰もがみんな、心を持ってる。
嬉しがったり、悲しがったり、いっぱい何かを感じてる。
けれど、その心の形や色は、外側からはこれっぽっちも見えないから厄介だ。
たとえば、朝の満員電車で足を踏んできたあの人にも、家に帰れば愛する家族がいるかもしれないし、あるいは誰にも言えない孤独を抱えて必死に吊革を握っているのかもしれません。コンビニのレジで無愛想だった店員さんが、実は直前にとても悲しい知らせを受け取っていたとしたらどうだろう。
私たちは、すれ違う他人のことを「背景」か何かだと思い込んでいる節がある。自分だけが物語の主人公で、自分だけが複雑な感情の海を泳いでいると錯覚してしまう。
でも、本当は違う。
誰もがみんな、平気な顔をして、それぞれの地獄や天国を抱えて歩いている。
隣の人の沈黙が、安らぎなのか、それとも助けを求める叫びなのか。
私たちには、その心の蓋を開けて覗き込む権利はないし、透視する能力もない。できることといえば、ほんの少しだけ「想像」することくらいだ。
目に見えないその重さを想像すること。
「もしかしたら」という余白を、相手との間に持っておくこと。
それが、誰もが持っている心に対する、せめてもの敬意なのかもしれない。
『時計の針』
カチッカチッ
と時計の針が進む音が部屋の中に響いている。
普段なら、生活音にかき消されてしまうその無機質なリズムが、今夜はやけに耳につく。まるで「お前は今、何を生産しているのか」と、一秒ごとに問い詰められているような気分になるから不思議だ。
デジタル全盛のこの時代に、わざわざ針のある時計を置いているのは、時間の経過を「数字」ではなく「量」として捉えたいという、私のささやかな拘りだったはずだ。しかし、こうして静まり返った部屋で対峙していると、減っていく残量をまざまざと見せつけられているようで、少しだけ息苦しくなる。
針は止まらない。私の思考が堂々巡りをしている間も、世界は容赦なく前に進んでいる。ふと、スマホの画面を点灯させてみる。音もなく切り替わるデジタルの時刻表示には、あの秒針が刻むような切迫感はない。そこにあるのは、ただ結果として提示される現在地だけだ。
私はまた視線を壁の時計に戻す。カチッカチッ。その音は、私を追い立てる警鐘なのだろうか。それとも、まだここに居てもいいのだと肯定する心臓の鼓動なのだろうか。