「叶わぬ夢」
細い畦道に君がいる
幼げにはしゃぐ君がいる
青い空に大きな希望を持つ君が...
風がザアザアと鳴いている
空から降り注ぐ光が眩しくて
私は目を瞑ってしまった
気づけば君は遥か遠く
君はどんどん遠くへ進んでしまう
私は追い掛けたくても動けない
私には見守る権利も持っていない
だから、願わくば
私の言葉が届くように
私よ
純粋無垢であった私よ
もし仮に私が君に追い付き
話しかけたならば
君は何を言うだろう
果たして君は
希望を抱くのだろうか
はたまた失望するだろうか
私にはそんなことも分からない
ただ、どうか
前を向いて希望を無くさぬように
何度転んでも、立ち上がれるように
ずっと上を向いていて欲しい
そして、もう会えない大切な人を
忘れないで...
了
「透明」
ふと、目が覚めた。
部屋は暗く、月明かりが入り込んでいる。
いつ間に寝てしまったのだろう。
そう思いながら襖を開けた。
襖を開けたその先に広がっていたのは、
月下に眠る草木と秋虫が鳴らす涼しい音。
そして、空に輝く夜の主。
私は呆然と立ち尽くしていた。
特に理由も無く、縁側に出た。
床の軋む音が、静寂の楽園に響く。
左右を見ても、明かりは見当たらない。
この屋敷に月より輝いていいものは存在しない。
加えて、私以外の人の気配も無い。
私は人間を求めて彷徨った。
ひたひた
ギィギィ
嗚呼、誰もいない。
思えば、私は誰なのだろう。
自らの事も思い出せない。
私は歩く屍か?
ならば...
考えていた途中、なんの変哲も無い襖に目が止まった。
代わり映えのない、ずっと見ていたはずの物に。
その襖に触れようとした時、
自らの手が震えていることに気付く。
この襖を開いた時、お前は人ではなくなると。
そう訴えているように。
私はその震えを黙らせた。
一度開けると決めたのだ。
誰にも邪魔はさせぬ。
私はもう止まることはないと決心し、
私はその襖に
手を掛けた
襖を開けた瞬間理解する。
私は「ここに居てはいけなかったのだ」と。
襖を閉じることなく、自室へ戻る。
己の悪夢を止める為に。
了
「終わり、また始まる、」
我が盟友であるお前が天高く飛び立ったのは確か、四月のことだったか。思えば、小学生からの付き合いだったな。本当にお前はよく悪知恵の働く人間で、私も共に莫迦をしたよ。
そんな過去も、日が経つにつれて霧がかるようになってきた。果たして、私から記憶が完全に消え去るか、記憶が消える前に私が逝くか。考えずとも後者の方が現実的か。そして、時間は私の記憶から消えるだけでは満足しなかったらしい。覚えているか?公園の中央にあった枝垂桜を。アレはもう消えてなくなった。時間は「記憶からも消え、この世からも消える」がお望みだと。お前が完全に忘れ去られるのも時間の問題だろう。三十の頃に天涯孤独になったお前は尚更だろうな。
私も今年で還暦を迎える。死が私の背後に立っているかのような感覚を覚えることも増えた。そして愚かなお前は四十を数える前に逝きよった。この大莫迦者め、死に急ぐ理由はなかったろうに。
なあ、私からはお前の姿は見えん。だが、お前からは私の惨状を見ることができるだろう。ならば、聞かせてくれ。お前の目には私はどのように映っている?
若しくは、お前は私の隣にいるとでも言うのだろうか。輪廻転生が実在するのであれば、墓石の下に生えている草となっていてもおかしくはない。まぁ、草にでも生まれ変わったのなら笑い物だがな。
どうだ、お前の命は。
終わったか?
それとも始まったか?
私の「人生」は、そろそろ終わりを告げそうだ。いい加減な事を言うなとお前は言いそうだが、自分の事は自分が一番わかる。㠯󠄂て二年、といったところかな?土産話、纏めとくさ。
じゃあな、今度はお待ちかねの再開だ。
了
「願いが1つ叶うならば」
ふと、目が覚めた。時計は午前八時を示している。
本来ならば焦らなければいけないが、生憎今日は夏休みの真っ只中。焦る必要は無い。朝食はどうしよう、と少し悩んだ末、目玉焼きと、昨日余ったキャベツの千切りで済ませる事にした。
朝食のために起き上がり、用意をする。キャベツは冷蔵庫から取り出すだけ。目玉焼きも油を引いて焼くだけ。料理を殆どした事の無い人でも簡単に再現出来てしまう程に手短で確実である。その単純作業をさっさと終わらせて、食事を摂る。特にテレビも見ずに黙々と、生きるための行動をしていた。その空間は余りにも静かで、聞こえてくるのは自らが発する咀嚼音と、エアコンの音と、時偶遠くから聞こえてくるクルマやバイクの音。余りに色彩の無い生活。最近、私はこんな生活に嫌気が差してきた。
そんな生活を繰り返していたある日、ふらっと本屋に立ち寄り、買いも、読みもしない本を見つめながら店内を散策していると、旅行雑誌が目に入った。私は見つけた瞬間、とてつもない好奇心が湧き上がった。何の味気もない生活を送っていた私にとって旅行というものは、手軽で非日常を体験することができる代物であった。
そんな、日本の津々浦々の観光地をまとめたガイド本の中で、ある場所が目に留まる。上高地という場所であった。
そこからの毎日は自らの好奇心の為だけに動いた。自らが必要だと思う日用品をリュックサックに詰め込み、上高地までの経路及び交通費と宿泊料の確認。そして、山に入るのだから、登山用のブーツやジャケットも揃える。今まで何もしていなかった分、金はある程度余裕がある程には残っていた。また、寝る時は「早く時間よ過ぎろ」と願い続け、そんな夜を何度も経験した。そして念願の日はやってくる。
八月初旬、バスタ新宿へ向かい、待機所で夜行バスが来るのを待っていた。久しく忘れていた、心から沸き立つ好奇心と未知への恐怖。こんな気持ちになったのはいつぶりだろうか。少しだけ過去を振り返る。
そんな事をしている内にバスが到着した。その時の目は、まるで心踊らされている少年少女の様。バスに向かう一歩一歩が喜びに満ちている。自分が何者であったかすらも消し去る程の歓喜である。今となって考えてみると、あの時の私は少し不気味でもある。
煌びやかな都会の摩天楼が遠ざかる。また明後日には帰ってくるが、バスに乗り込み、少し冷静になった私には、名残惜しく感じた。だが、もう戻れない。このバスは最後まで走り続ける。目的地に私は胸を高鳴らせながら、早めに眠りに就くことにした。明日はどんな一日になるかを考えながら。
微細な振動と走行音に目を覚ました。外を見ると、雲が少し確認できる程度で、いい観光日和とも言える程度には晴れていた。腕時計を見ると五時過ぎといったところ。もう一度寝ようと考えたが、日も既に登っていて、座って寝るのが少し苦に感じる私は、起きることにした。
気づけば三つのダムを越えて、周りは川の侵食によって創り出された谷と天高く聳え立つ山々であった。
「ついに来たのだ」と、先程の眠気など忘れ、一人静かに歓喜していた。そして、バスから降りた時、真っ先に感じたのは寒さである。夏真っ只中だったこともあり、多少涼しくなるだろうと考えていたが、私の想定を上回るほど寒かった。近くの電光掲示板を見ると「19℃」の文字。山地の寒さを甘く見ていた私を自分で少し戒めながら、穂高連峰を見上げた。
まるで、時が止まったようだった。
普段、都会では見ることのない、壮大で荘厳な山並み。
山を、自然を畏れるという感覚を初めて覚えた。
あの衝撃は忘れることは決して無いだろう。
しかし、ここに来て突っ立っている訳には行かない。少し周辺を歩いてみよう。そう思い、橋の周りを散策した。少し先に見える橋は河童橋というらしく、景色とも合った美しい橋である。その橋の上から見る梓川は日光が反射し、水の透明度とも合わさって、宝石の様だった。そして、水のせせらぎと鳥のさえずり、澄んだ空気。汚れた心が優しく水で洗われているよう。この時を永遠にする事はできないかと考えてしまうほど、この時間が気に入った。
ある程度周りを散策し終わると、今度は明神橋を目指して進み始めた。ここから先は熊がよく出るという。熊よけの鈴も着け、森へ入る。青々と繁っている草木と、僅かな隙間から入り込む薄明光線に、益々進む意欲がました。
歩き続けて一時間半が経っただろうか、明神橋が目と鼻の先に見えていた。先程までは視界に丸々収まっていた穂高連峰も見上げなければ視界に入らないほどに大きくなっていた。そんな雄大な自然を堪能しながら、明神橋の先にある休憩所でお茶を買うことにした。
休憩所に近づけば近づく程人は増え、休憩所には各自アイスを買って食べたり、食事を摂っている人など、様々な休み方をしている。私も休みながら水分補給をするために自販機へ向かう。自販機へ辿り着いた時、私は現実に引き戻された。麦茶が600mlで250円。流石に財布を開く手が止まった。ちらりとリュックサックの中にあるペットボトルを見る。中の水は残り僅か。潔く買うことにした。
さて、多少たじろぐ事はあったが、水分補給という重大目標を達成し、ベンチへ腰掛ける。何気に山道を一時間半歩いていたので、座った瞬間足が悲鳴を上げ始めた。仕方がないので小一時間程ここで休憩し、来た道を戻る事にした。
河童橋周辺へ戻り、遅めの昼食を済ませて、売店の横にある椅子に座り込んだ。朝からバスに箱詰め状態で歩いたのだ。疲労感が全身を駆け巡る。それと同時に瞼も重くなる。そのまま結局、眠気には勝てず眠ってしまった。
目を覚まし、時計を見る。時刻は午後三時。そろそろ宿泊するホテルへ向かおう。といっても、ホテルは目の前にあるのだが。
チェックインを済ませて、ベッドへ飛び込む。寝てはいたが、座った状態での睡眠だったため腰があまり休まらない。その状況下ででのベッドは正に極楽。故に夕食まではベッドで横になり時間の経過を待つことにした。
外ではまだ多くの人がハイキングを楽しんでいる。
そんな小さな幸せの音が、心に響く。もう心には霧ひとつ無い、爽やかな白が輝いていた。
日も暮れて夕食の時間になり、コース別の料理に舌鼓を打つ。今日は非日常の連発であり、暇な時間など訪れない。ここ最近で一番濃密な時間を過ごしている。また、外を見てみると、明かりが少ないため星空がよく見える。昼には地に、夜には空に宝石は存在するこんな場所こそ、私が求めていた物なのだろうと、満足感に包まれながらも、食事を終えた。
その後、湯船に浸かり、一日の疲れを抜く事に専念した。この時には既に「次はいつ来ようか」などと、幾分か先の事を考えたりもした。
風呂から上がり、体を拭き、自室へ戻る。まだ午後九時だが、明日の下山に備えて早めに眠ることにした。電気を消し、部屋が暗くなる。しかし、段々と目が暗闇に慣れて、星明かりに照らされた部屋がよく見えるようになった。そんな部屋の中で、一つの願い事をした。
「もう一度、大きな喜びや感動に出会えるように」
その願いを最後に、私の意識は星々に消えた。
川のせせらぎと鳥のさえずりで目を覚ます。贅沢な寝起きである。時刻を確認すると朝食まであと一時間。思った以上に余裕があるため、ゆっくり身支度をしようと立ち上がる。その時、両足に電流が走ったかの様な痛みが起きた。この夏休み、ずっと家に籠っていたからか、筋肉痛になったのだ。
こればっかりはどうしようも無いので、痛みに耐えながら、歯を磨き、顔を洗い、髪を整える。そして、朝食もゆっくりと口に運びながら楽しんだ。朝食後は少し自室で休んだ後、チェックアウトを済ませ、ホテルを後にする。
筋肉痛のため、予定よりも早めに下山する事になったが、後悔は無い。やり残した事はあるが、また来ればいい。まだ見ぬ感動を未来に残す。そうすれば、少なくともぼんやり生きるなんて事はなくなるだろう。そう思いながらバスで下山した。
帰りの昼のバスの方が行きよりも早く新宿に着くらしく、少し残念に思えた。だが、今の私には希望に満ちた心がある。その為か、心做しか色彩が豊かになったように感じられた。
また、日常が戻ってくる。でも、色彩の無い生活に戻ることはないだろう。今の私なら、未来の事をずっと考えていられる。私は大切なものをようやく見つけられたのだ。
了
「嗚呼」
冬の季節、年末に近づくに連れてイベントも増え、大衆は盛り上がりを見せる。そんな誰しもが喜びに満ちる時間の中で、私は黙々と過ごしていた。
仕事も終わり、会社を出て主要道路に沿って駅へ向かう。機械的に植えられた木、舗装されたレンガの道、人の手が加えられた世界を私は傍観する。
念の為に言うが、決してこのような世界を否定したい訳では無い。むしろ、私たちの生活はこれらの加工によって成り立っているのだから有り難く感じる。ただ単に、少しだけ味気ないと感じてしまうのだ。
無論、少し歩けば歩道も街路樹も建物も形や色を変える。それによって様々な個性が出る訳だが、それらは偶然の産物ではなく、人が考え作り出した人工物であり、面白味に掛ける。
きっと私は浪漫を追い求めている人なのだろう。我ながら、面倒臭い人間に育ってしまったものだ。自分の浪漫が満たされることが無いとわかっているのは自分自身であろうに。
そう考えながら、道行く人々に目を向ける。至って普通のサラリーマンが殆どであるが、その他にも派手な色の服装をした人や、全身を高級ブランドで固めた人、おそらく何も考えずに服を選び、着ている人など、多種多様な服を着た人々を見掛ける。
そして、そういった人たちは何を考えて生きているのだろうかと、疑問に思う事も多々ある。壮大な夢を持っていたり、はたまた絶望していたりするのだろうか。おそらく、その問いに答えは出ないだろう。
そんな要らぬことを考えるのが、私の日常である。
考えている内に駅に着いた。次の電車は5分後との事、時間も少し余裕があるため、水を自販機で買うことにした。ここ最近はクレジットカードだったりQRコードだったりと、支払いの仕方も多様化の兆しを見せている。私個人としては支払いが格段に早くなるため、喜ばしい事だと思ってはいるが、同時に手段や方法が増えていくのは面倒だとも感じる。まぁ、そこは一長一短であるから特に気にすることも無い。目的はどの道同じであるのだから、これ以上この事について考えるのは止しておこう。
水を買った後、改札を通りホームへエスカレーターで上がる。その途中で先程買った水を飲み、少しだけため息をつく。朝の天気予報によると、あと一時間後には雪が降るという。もし、雪が積もったならば、一部の路面は凍結し、明日の電車にも影響を及ぼす可能性がある。全く勘弁してもらいたい。子どもの頃は雪が降れば大はしゃぎしていたのに。
ただ、決して雪が降ると盛り上がらない訳では無い。「雪が降る」というイレギュラーに私は未だに心を踊らされる。ただ、その副作用が余りにも手痛いのだ。本当に、大人というのは心から喜ぶ事が出来ない生き物なのだろうか。
そんな事を考えている内に電車が到着した。既に人が多く乗っていたものの、少し強引に乗り込み、電車の扉に張り付いた。この状態はかなり苦しいものの、少しの辛抱である。私も立派な一人の大人として耐えて見せよう。どの道、ほぼ毎日経験している事であるから、慣れてはいるのだが。
電車の中を無心で過ごし、自分の自宅の最寄り駅が近づいてきた。周りの人に声を掛けながら、降りるドアへ近づく。そして、駅に着いた時、息苦しい金属の箱から開放される。全身を隈無く動かせる事に感謝をして改札を出る。ここから先はただひたすら歩くだけ。そう思っていたその時、目の前で白い何かがゆらりと落ちている事に気づいた。どうやら、ついに降り始めたようだ。
傘も持っていないため、少し小走りで帰ることにした。バス停近くの交差点を渡り、家への小さな坂を進む。そうして、自宅の屋根が見えてきて一安心。これ以上コートを濡らしたくなかっなので、更に足を早める。そうして、やっとの思いで玄関前に着いた。
もう、かなり雪は強くなっていて、これはもう積もるだろうと諦めが付いた。それはともかくとして、コートをハンガーに掛け、クローゼットにしまう。一日お世話になったのだ。ゆっくり休ませてやらなければいけない。
そして、次は夕食である。夕食はあまり食べずに済ませたいので、リンゴ一つで済ませることにした。何ともつまらない食事ではあるが、グッと気持ちを抑えて食べ進める。食べ終わると、紅茶の準備をして静かに嗜む。
慌ただしい時間の中で、ゆっくりと気を休められる数少ない時間。この時だけは無に帰すことができた。
労働というのは疲れるもので、お風呂に入ってから直ぐに寝てしまう事にした。 シャワー浴び、湯船に漬かり、体を拭き髪を乾かす。慣れ切った作業を済ませ、ベッドに入る。歳をとるのと比例して睡眠時間も増えている様に感じる。私はすっと目を閉じた。
嗚呼...今日という日が終わる
明日も同じ事を繰り返すのだろう
また...何も無い一日が始まる
思考回路が鈍化していく中で、求めてもいない明日の事を考える。
そして、気づけば私の意識は闇に包まれていた。
了