「ひそかな想い」
お久しぶりです。
ここまで来る時に雪が降り始めてしまって、少しスーツが濡れてしまいました。困ったものです。個人的には、こんな日は晴れて欲しかったんですが...
そうそう、少し相談をしたいことが...
今年の春から晴れて大学生になるのですが、どうしても不安を拭いきれなくて。こういう時はどうすれば良いのかを聞きたくて...
私も、貴方がどのように答えるのかを考えましたとも。でもやっぱり本人に聞いておきたいなと...
あと、大学2年生になったら就職の事も考えないといけなくなるんです。まだまだ、自分の夢が定まらなくて少し将来が不安で...
こう考えてみると、自分は将来を求めていないようにも思えてしまう。ほんと、イヤな成長の仕方をしてしまった...
あ〜あ、貴方が、答えてくれたらなぁ...
「そろそろ始まるわよ」
おっと、母からの催促だ。
それじゃあ話はここまでだね。おばあちゃん。
「抹香の順番は、あんたが3番目よ」
思っていたよりも早いんだね。まぁ、異論はないけど。
もっと話したいことがあったけど...ここでお別れだね。
自分もいつかはそっちに逝くのかなぁ...
まぁ、待っててね。
おばあちゃん...
了
「手紙の行方」
ある夏の日、私は一人、港の上に立っていた。
燦々と輝く太陽。
残り少ない命の中で使命を果たそうと鳴いているセミ。
自らを大きく主張する入道雲。
そして、どこまでも続く水平線。
人類が畏れた海が、光の反射で宝石のように輝いていた。
私は、紙切れを入れた瓶を持って果てを見つめていた。
瓶はしっかりとコルクで閉まっている。水が入ることは無いだろう。
私がしようとしていることは、ボトルメールである。
小説や映画などでは、ボトルメールは遭難した時に利用される印象が強いが、今の私は遭難した訳でもなく、助けを求めてすらもいない。寧ろ、希望に満ち溢れていた。
「一体、誰にこの手紙が届くのだろう」
考えるだけでも、得も言われぬ期待が湧き上がった。
その時、遠くから友の声がした。どうやら、そろそろ船が出るようだ。「直ぐに行く」と言い、友の後を追いかける。
船へ向かう中、私は未来を思った。
果たして、この手紙は誰に届くのか。
これがどうしても気になったのだ。
私が知る手立ては無いが、思うぐらいは自由だろう。
と、想像を膨らませた。
砂浜で、顔も歳も知らぬ少年が拾うか。はたまた漁師がこと瓶を見つけるか。もしかしたら、誰にも届かない?
考えては見たものの、正直言ってそんなことはどうだっていい。その瓶を投げることで、私の目的は果たされる。私はただ、生きた証を残したかった。
「届かなければ意味が無い」と皆は思うだろうが、
私はそうは思わない。例え、永遠に見つけられなかったとしても、そこに在り続ける。それだけで、私の不安は和らぐのだ。
船に乗る時がきた。別に特段重い決断をする訳でもないため、特に緊張はしていなかった。私がこれからすることと言えば、「瓶のいつまで続くか分からない旅」を見送ることのみ。
一生涯の別れとなるだろうと、私は瓶に語りかけた。
そして、瓶からの返事は、瓶を投げることで交わされる。瓶は大きく放物線を描きながら、水飛沫を上げ、大海原へ旅立った。
私は、彼の旅の無事を願い、未来を託した。
そして彼は、段々と波の光に包まれた。
何の後悔も無いかのように...
了
ふと気づくと、私はトウヒの森にいた。一面が星明かりに照らされた、幻想的な世界。そして瞬時に「これは夢なのだ」と理解した。特に、私以外の動物がいる訳でもなく、風や葉擦れの音が心地よく響いている。森のそよ風に私は包まれていた。
しばらくして、ここにいては仕方がないと、私は前へ歩き出した。不思議と恐怖心は湧かず、寧ろ安心すらしていた。それと同時に、何か大切なことを多く忘れている様な、後悔をしている様な曖昧な気持ちが私の心を駆け巡る。一体何を忘れたのか。私は何に後悔しているのか。そんな事を考えながら歩いている途中、ふと夜空を見上げると、驚く程鮮明に星々が見えた。
その時、まるで星々の明かりに抱かれているような、
暖かな感覚を覚えた。その暖かみは私の心に何かを訴え掛けているような、そんな不思議な暖かさだった。そして、何故か無性に懐かしさが私の心に現れた。私自身、都会の生まれであり、こんな自然とは無縁の生活を送ってきた身である。だからこそ、この懐かしさは偽りであり、気の迷いなのだろうと自分に言い聞かせ、目的も無く進み続ける。
相変わらずの風景で私の足音と風と葉擦れの音のみが響く世界。一生ここで空を見ていたいと思う程に美しい森と空が広がっていた。
歩き始めて少しは時間が経っただろうか、忘却と後悔の疑問は姿を消していた。そして、少し開けた場所に出た。森の中にぽっかりと穴が空いたような、そんな小さな草地がそこにはあった。
そして、その奥に誰かがいた。
驚きはしたが、妙に見覚えがある。
「誰だろう?」
私は目を凝らした。
背は低く、ほんの少し猫背の老婆がわたしの方を向いて佇んでいた。
あぁ...どうして私は直ぐに気づかなかったのだろう。
しばらくあなたと会っていなかったからだろうか。
懐かしさと後悔で、心が締め付けられた。
その老婆は、私の曾祖母であった。
忘れもしない。5年前の1月4日、私はあなたの家を訪れた。そして日が暮れ、家に帰る時間になった時、扉を閉める間際にあなたは「また、遊びにおいで」と、私にそう言ってくれた。そして、私はその言葉に「また直ぐに来るよ」と笑顔で答え...
それが、あなたとした最期の会話だった。
今、目の前に会えなくなった筈の人がいる。結局、私はあなたとの最期の約束を果たすことは出来なかった。出来ないと思っていた。でも、これが私の夢で、想像でしかないとしても、ようやくここで、その約束は果たされる。そして、あなたが私に問いかける。
「あの頃と変わらない声がする。またお話をしよう。積もる話もあるんだろう?」
それを聞いて、涙が溢れた。あの時の後悔から、やっとわたしは開放された。ずっとあなたに会いたかった。
そして、謝りたかった。あなたが亡くなって、もう約束は守れないと勝手に諦めていた。何を考えても無駄だと、あなたを追憶から追い出そうとしたことを。
そしてこの5年間、色んなことがあった。自分も大きく成長した。積もる話もある。だから
「久しぶり、ひいおばあちゃん」
また話そう。
あの頃のように
そして、
昔の様に、明るい声を...
忘れたくなかった、あの声を...
もう一度聞かせて欲しい
了
ぼんやりとした薄暗い空間で、自分ただ一人。まるで浮いているような感覚だった。ふと、段々と明るくなってゆくのに気づいた。朝がやってきたのだ。私は「今日は休日だ」と自分に言い聞かせながら、不動を望む意識を無理矢理覚醒させた。十二月に入り、十分なまでに冷え切っていた。今日は小雨、雨の日は決まって気が重くなる。
陰鬱な気分のまま、朝食の用意のためにキッチンへ向かった。たが、食欲も湧いておらず、気の沈んでいる私には、朝食を考えることすらもせず、食パン二枚と水一杯で済ませることにした。私は、決まって一階のリビングの奥のサンルームで朝食を取る。皆が想像するのは、大抵モダンでシンプルなサンルームだろうが、私の邸宅は時代錯誤も甚だしいダークオークの洋館であり、街からも少し離れた山の麓にある。そしてそのダークオークが醸し出す雰囲気は、私をより陰鬱な世界へと引き込んだ。
朝食が食べ終わり食器を洗う、といっても皿が一枚とコップが一個程度である。さっさと片付けてから、リビングへ行き、ソファに座り込んだ。今日も今日とて何も無い。物静かで意味の無い一日である。そして、その「無」そのものの様な一日を、作業の如く消費する日々が続いていた。
しかし、今日は少し変化があった。
家の門の呼鈴が押された。そして、押されたことにより、チャイムの音が家の中を駆け巡る。特に動揺することもなく、私は玄関の扉を開けた。どうやら荷物の配達だと。「何か荷物を送ってくれるような友人はいただろうか」を考えながらも、私は配達員に「ありがとう」と、形だけの感謝を伝え、扉を閉めた。
荷物の送り主は、久しく会っていない親からであった。
内容は手紙と、子供の頃、好き好んで食べていた菓子だった。「そんな事を未だに覚えていたのか」と、私は微笑した。そして、久々に感情を見つけた。
先程の「ありがとう」も然り、人との交流も少なくなっていた私に、言葉の感情なんて消え失せていた。取り繕った言葉で生活を送るのが日常と成り果てていた。子供の頃に、なにか嬉しいことがあると、満面の笑みで「ありがとう」と言っていたその言葉も、今ではこの有様である。私は言葉の感情を無くしてから、どれほどの時間を消費したのだろうか。少し、過去を惜しくも感じた。
だが、今の私の在り方が嫌いな訳ではない。ただ、子供の頃の言葉の感情が、少し恋しいのだ。自分に正直であり続けることが出来たあの日々は、お金や宝石よりも美しく、高価であった。
しかし、そんな事を思いながらも時は進む。先を急いでいるかの様に、慌てて走っている。そんな過ぎていく時間の中で私は、時間が過ぎれば、心からの「ありがとう」を、感情のある言葉を発する事は出来るのだろうかと考えた。が、時間は時に再生を促し、時に破壊をもたらす。そんな簡単に崩れ去ってしまいそうな質問を、私は静寂に問いかけた。
了
もしも、未来の記憶が見られるのなら、貴方はどう思うだろうか。歓喜するだろうか?もしくは絶望...いや、予想どうりのつまらない未来だったりして。
しかし、その「記憶」は絶対的なのであろうか。私たちが進む道を変えることで、「記憶」に変化は起きるのだろうか。私はそう疑問に思った。
例えば、古代ギリシアの価値観では、人生は既に決まっており、偶然も一切無く、変えることは出来ない。しかし、唯一アポロン神の神託を授けられた時に限り、自身の人生を変える(選択)することが出来たという。
アポロン神の神託でも、有名なのはレオニダス一世の話だろう。彼はテルモピュライの戦いに出征する直前、アポロン神から神託を授かった。その内容は、
「お前が死ぬ」か「国が滅びるか」の二択であった。
その二択の中で、レオニダス一世は国の未来をとった。
レオニダス一世は自信がスパルタの王であるが故に、死なねばならないと、覚悟を決めたのである。そして、王は次の世代に国を、スパルタを託しテルモピュライの地で散った。
それを踏まえて私は、未来は転換期を迎えなければ変えることが出来ないと考えた。そして、未来の記憶を見ることは、自らの在り方を決定付ける恐ろしい行為そのものであるとも考えた。場合によっては、自らの死を直視することになるからだ。
だが、「未来に残す」には意義がある。例え自らが死ぬことになったとしても、先人は我々に何かを託した。ならば、私たちもそれに続こう。模索しながら、自らの一生を全うするのだ。
しかし、先人が残したものに比べれば、我々が残すものは微々たる量だろう。それは事実である。しかしながら、希望が無ければ進めない。何も残らない。
私たちは、一生彷徨い続けることになるかもしれない。転換期を見失い、挫折し、歩みを止めたくなるかもしれない。それでも私は、未来に私たちが、貴方が必要なのだと信じ続ける。
最後まで進み続けよう。未来を見続けよう。遠くで誰かが君を待っている。
了