ぼんやりとした薄暗い空間で、自分ただ一人。まるで浮いているような感覚だった。ふと、段々と明るくなってゆくのに気づいた。朝がやってきたのだ。私は「今日は休日だ」と自分に言い聞かせながら、不動を望む意識を無理矢理覚醒させた。十二月に入り、十分なまでに冷え切っていた。今日は小雨、雨の日は決まって気が重くなる。
陰鬱な気分のまま、朝食の用意のためにキッチンへ向かった。たが、食欲も湧いておらず、気の沈んでいる私には、朝食を考えることすらもせず、食パン二枚と水一杯で済ませることにした。私は、決まって一階のリビングの奥のサンルームで朝食を取る。皆が想像するのは、大抵モダンでシンプルなサンルームだろうが、私の邸宅は時代錯誤も甚だしいダークオークの洋館であり、街からも少し離れた山の麓にある。そしてそのダークオークが醸し出す雰囲気は、私をより陰鬱な世界へと引き込んだ。
朝食が食べ終わり食器を洗う、といっても皿が一枚とコップが一個程度である。さっさと片付けてから、リビングへ行き、ソファに座り込んだ。今日も今日とて何も無い。物静かで意味の無い一日である。そして、その「無」そのものの様な一日を、作業の如く消費する日々が続いていた。
しかし、今日は少し変化があった。
家の門の呼鈴が押された。そして、押されたことにより、チャイムの音が家の中を駆け巡る。特に動揺することもなく、私は玄関の扉を開けた。どうやら荷物の配達だと。「何か荷物を送ってくれるような友人はいただろうか」を考えながらも、私は配達員に「ありがとう」と、形だけの感謝を伝え、扉を閉めた。
荷物の送り主は、久しく会っていない親からであった。
内容は手紙と、子供の頃、好き好んで食べていた菓子だった。「そんな事を未だに覚えていたのか」と、私は微笑した。そして、久々に感情を見つけた。
先程の「ありがとう」も然り、人との交流も少なくなっていた私に、言葉の感情なんて消え失せていた。取り繕った言葉で生活を送るのが日常と成り果てていた。子供の頃に、なにか嬉しいことがあると、満面の笑みで「ありがとう」と言っていたその言葉も、今ではこの有様である。私は言葉の感情を無くしてから、どれほどの時間を消費したのだろうか。少し、過去を惜しくも感じた。
だが、今の私の在り方が嫌いな訳ではない。ただ、子供の頃の言葉の感情が、少し恋しいのだ。自分に正直であり続けることが出来たあの日々は、お金や宝石よりも美しく、高価であった。
しかし、そんな事を思いながらも時は進む。先を急いでいるかの様に、慌てて走っている。そんな過ぎていく時間の中で私は、時間が過ぎれば、心からの「ありがとう」を、感情のある言葉を発する事は出来るのだろうかと考えた。が、時間は時に再生を促し、時に破壊をもたらす。そんな簡単に崩れ去ってしまいそうな質問を、私は静寂に問いかけた。
了
2/14/2025, 2:31:20 PM