卑怯な人

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ふと気づくと、私はトウヒの森にいた。一面が星明かりに照らされた、幻想的な世界。そして瞬時に「これは夢なのだ」と理解した。特に、私以外の動物がいる訳でもなく、風や葉擦れの音が心地よく響いている。森のそよ風に私は包まれていた。

しばらくして、ここにいては仕方がないと、私は前へ歩き出した。不思議と恐怖心は湧かず、寧ろ安心すらしていた。それと同時に、何か大切なことを多く忘れている様な、後悔をしている様な曖昧な気持ちが私の心を駆け巡る。一体何を忘れたのか。私は何に後悔しているのか。そんな事を考えながら歩いている途中、ふと夜空を見上げると、驚く程鮮明に星々が見えた。

その時、まるで星々の明かりに抱かれているような、
暖かな感覚を覚えた。その暖かみは私の心に何かを訴え掛けているような、そんな不思議な暖かさだった。そして、何故か無性に懐かしさが私の心に現れた。私自身、都会の生まれであり、こんな自然とは無縁の生活を送ってきた身である。だからこそ、この懐かしさは偽りであり、気の迷いなのだろうと自分に言い聞かせ、目的も無く進み続ける。

相変わらずの風景で私の足音と風と葉擦れの音のみが響く世界。一生ここで空を見ていたいと思う程に美しい森と空が広がっていた。

歩き始めて少しは時間が経っただろうか、忘却と後悔の疑問は姿を消していた。そして、少し開けた場所に出た。森の中にぽっかりと穴が空いたような、そんな小さな草地がそこにはあった。

そして、その奥に誰かがいた。
驚きはしたが、妙に見覚えがある。

「誰だろう?」

私は目を凝らした。
背は低く、ほんの少し猫背の老婆がわたしの方を向いて佇んでいた。


あぁ...どうして私は直ぐに気づかなかったのだろう。
しばらくあなたと会っていなかったからだろうか。
懐かしさと後悔で、心が締め付けられた。

その老婆は、私の曾祖母であった。

忘れもしない。5年前の1月4日、私はあなたの家を訪れた。そして日が暮れ、家に帰る時間になった時、扉を閉める間際にあなたは「また、遊びにおいで」と、私にそう言ってくれた。そして、私はその言葉に「また直ぐに来るよ」と笑顔で答え...

それが、あなたとした最期の会話だった。

今、目の前に会えなくなった筈の人がいる。結局、私はあなたとの最期の約束を果たすことは出来なかった。出来ないと思っていた。でも、これが私の夢で、想像でしかないとしても、ようやくここで、その約束は果たされる。そして、あなたが私に問いかける。

「あの頃と変わらない声がする。またお話をしよう。積もる話もあるんだろう?」

それを聞いて、涙が溢れた。あの時の後悔から、やっとわたしは開放された。ずっとあなたに会いたかった。
そして、謝りたかった。あなたが亡くなって、もう約束は守れないと勝手に諦めていた。何を考えても無駄だと、あなたを追憶から追い出そうとしたことを。

そしてこの5年間、色んなことがあった。自分も大きく成長した。積もる話もある。だから

「久しぶり、ひいおばあちゃん」

また話そう。
あの頃のように

そして、
昔の様に、明るい声を...
忘れたくなかった、あの声を...

もう一度聞かせて欲しい


                了

2/15/2025, 4:30:45 PM