よらもあ

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4/15/2024, 4:29:39 PM

黄道十二宮のうち9番目、人馬宮の主人はある程度のことはそつなくこなすことができた。
それはおそらく、半人半馬のいて座にあてがわれたあらゆる逸話のなせることであり、そして何より彼自身の能力がそれを可能にしていたのだろう。

射手、または狩人としての能力はもちろんのこと、医学に長け音楽や哲学、はては農耕や法にも精通している。そしてそれらをひけらかすことなく、教えを乞う者には平等にその機会を与えてやる人徳者でもある。
その機会を与えられた一人として、蛇遣いは敬意を表して半人半馬の男を「師匠」と呼んでいた。
どんな小さな声で、囁くように呼んだとしても必ず気が付いて視線を向けてくれる姿を見るたびに蛇遣いの心は弾んだ。
向けられる視線の動き、それに合わせて緩められる口元。捻る首の動きや身体の向きを変える動き、迎え入れてくれるように動く腕の動かし方や四足の運び方、果ては応えるために出される声色の高さや喉の動きのその全てが蛇遣いが幼い頃より仰ぎ見て来た師の姿そのものだった。

粗暴なケンタウロスではなく、賢く弓引くケイローン。

ただ星空に浮かんだためなのか、よく見た師の姿のはずなのに違うものもあった。
弓引く姿はよく見た気がするが、実際にそれで狩りをしていただろうか?
物事をしっかり捉えておられたのに、衝動的に行動する方だっただろうか?
確かに師と過ごした記憶を有しているのに、些細な違いがあるのは気のせいだろうか?
奥方の姿形も知っているニュンペーのそれとは違う気がする。
時折、懐かしむように呼ばれるお子様の名前も違う気がする。
しかしそんなことはどうでも良いと思えるほどに、星空での再会を喜んだのは自分だけではないはずだ。

それなのに何故だろう「それは本当に蛇なのか?」と師に問われた瞬間、いつも側にいる蛇が竜に見えたような気がするのだ。
星空に浮かぶケンタウロス座を指し示され「君は誰を見ているのだ?」と師に問われればひどく不安な気持ちになるのだ。
蛇はいつも側にいるのに「そんなところに蛇がいるな」と師に言われると、全く見知らぬ蛇に思えて殺さねばならないかと惑うのだ。その惑いが恐ろしく、直ぐに蛇を守ってやらねばならないと罪悪感にかられるのだ。

そうして、師にとって自分がどれだけ未熟なままなのかをいつも蛇遣いは思い知らされる。
自分は立派になったのだと認めてほしい気持ちはあるが、おそらく師には届かぬ想いだろう。しかし同時に、蛇遣いはまだまだ教えを乞えることが嬉しくもあるのだ。


「……君は確かに、死を覆すほどに純粋すぎたのだな」
半人半馬の男はいつものように、少し困ったように眉を寄せて、けれどひどく優しい声色で蛇遣いへ届かぬ想いを口にした。





“届かぬ想い”

4/14/2024, 3:34:06 PM

黄道十二宮のうち3番目、双児宮の主人の片割れはただぼんやりとしていた。

兄と義姉は仲良くお出かけに行ってしまった。
妻は忙しなく右へ左へとよく働いている。
やる事がないわけではないが、今は遠くの名もない星空を眺めるのに忙しい。

元はただの男だったものが、戦士になり、いつしか英雄の名がつくようになった。
三界を震わせて死の運命にある兄と共に星になった弟の立場は、悪くはなかった。多少、兄恋しさに喚いたことを周りから揶揄される事はあっても、事実としてそれは仕方がなかったので特別腹を立てる事もない。
妻たちについてもそうだ。地上にいた頃はその麗しさに惚れ込んで略奪してしまったが、星空に浮かんでからはそれぞれ月や太陽に頭を下げ頼み込んで巫女であった妻たちを迎える事を許された。それはそれは嬉しくて、末妹の名を持つ惑星にまで改めて挨拶に行ったほどだ。
妻の惚れに惚れ込んだその麗しさは衰えを知らないらしい。
勿論、美しさとだけ言えば、地上一美しいといわれた末妹が美しいのだとは思うが、やはり妻へ向ける感情としてはそれとはまた別のものなのだ。
兄も同じように思うようで、兄は兄なりに義姉との関係性を略奪の頃とは違うやり方で構築していっている。本日の水入らずでのお出かけもそうだ。どうせ近所をぐるりと周る程度のものだろうが、それでもその穏やかな時間が兄と義姉には必要なものなのだそうだ。

兄のことはもちろん大切であるが、妹たちのことも同じように大切に思っている。流れる血が多少違ったとしても、大事な家族であるからだ。
以前、妻に言われた。もう一人の妹に会えないのは寂しくはないのか、と。
忘れたわけではない。忘れるわけがない。例え、悪女や悪妻と世間から後ろ指をさされていたとしても。賢く、苛烈で、美しいもう一人の妹。妻もそのことをよく知っていたからだろう、星空に迎えてやることができるならば妹の想いも長い時を経て昇華され救われることがあるかもしれないと。優しい妻は考えてくれたのだろう。

望まない訳ではない。会えるなら会いたい。思い切り抱き締めて、助けてやれなくてすまないと、兄を失ったことに動揺して先に逝ってしまったことを謝りたい。本当に大変な時に、何一つ力になってやれなかった。
きっと怒られるだろう。馬鹿なことをと理詰めで詰められ、何の反論も許されないだろう。けれど、最後には同じように抱き締めて許してくれるだろう。妹は、優しい娘でもあったから。

だから、神様へ祈ることしかできない。
人間として生き、人間として死んだもう一人の妹が、長い時を経てどうか楽園でほんの少しでも救われていることを。

祈りながらも、遠いどこかの星空に妹の姿を探してしまう時がある。
もしかしたら、兄や末妹のようにどこかに名が残っていないものかと。
その話をすると、兄は悲しげな顔をする。末妹は、自分も姉を探してしまうのだと話す。
妻は、ただただそっと側で寄り添ってくれる。

我ながら未練がましいものだが、星空にのぼった後にまで妻の姿を自分の側に置き留めたことを考えれば、確かに未練がましい男なのだろう。
兄の死を受け入れなかった頃から変わらないといえば、変わらないのだろうが。
その兄が言うには「彼女は人間として死ねたのだから、それは幸いなことだ」ということなのだが、その言葉を聞くとまた未練が募る。

人間として死ねたはずの兄を死なせてやれなかったのは、他ならぬ自分なのだから。

だからなのだろうか、神様へ祈りながら、遠くの星空を眺めることをやめられないでいるのは。







“神様へ”

4/14/2024, 4:38:46 AM

いつもはにっこりと綺麗に弧を描いている口元が、僅かに歪んでいる。
新聞記事の端からチラチラと視線が幼い我が子に注がれているのがありありと分かる。いつもならもう少しスマートな覗き見が、本日はけっこうな覗き加減になっている。

少し曇った空と同じような顔のパパに、我が子の顔もよく似ている。

そんな我が子の手元にあるのはてるてる坊主。ティッシュや画用紙、広告などを使って小さな手で頑張って作り上げているではないか。
テープなんていくらでもどうぞ。クレヨンやマジックは、できるだけ紙の上でお願いしたいけれど。ハサミの扱いはまだママにさせてね。

そんなこんなで完成していくいくつかのてるてる坊主。
明日のピクニックは果たして如何に。ニュースの天気予報では悪くはないけれど、我が子には我が子なりの天気予報があるからてるてる坊主作りはまだもう少し続くだろうか。

我が子の雨模様が何よりも苦手なパパのために、明日の快晴をママもお願いしないとね。





“快晴”

4/12/2024, 2:53:44 PM

土地も権利も、名誉も奪われた。
それと同時に信仰は併合され、名は上書きされ、新たな神となる。
愛した土地も、愛した人々も、時と共に擦り減り、消えていく。

このままでも良かった。
上書きされた名でも息はできた。
忘れ去られていく名でも物語は紡がれた。

誰を恨むことができるか。
何を憎むことができるか。

全ては愛しい人々の営みの行き着く先である。
それと共に消えていくことに、愛はあれども後悔などあるはずもない。

そう思っていたのに、そのまま天に、星空の中に残ってしまった。
愛した地上から、遠くの空へ。

それはそれで、そのままで良かった。
星空に浮かんでいても、地上とさほど変わりはなかった。
人々の営みに合わせて、奪われ、時には満たされ、信仰などあってないようなものだ。
自由気儘な身の上は、そういったものの性分にも合っていた。

それでも、それでもひとつだけ、どうしても失えなかった。
土地を失い、信仰も消えかけ、神格などあってないようなものでも、ほんの少しでもその名が人々の営みの中に残っているのならば望まずにはいられなかった。

愛おしい治癒の女神。
最愛のわたしの女神。

あなたは自分の名すら朧げであるだろう。
流れる歳月の中、神を創り上げた信仰ですらも確かなものに成り得ないのかもしれないが、わたしがあなたを信仰しよう。愛そう。あなたの存在をわたしと同じこの遠くの空へと導こう。

あなただけが、人でも獣でもないわたしの醜い姿を愛してくれたように。





“遠くの空へ”

4/11/2024, 12:27:58 PM

息ができない。

目が見えにくい。

舌が落ちる。

鼻が乾く。

耳だけが動く。優しい声がする。大好きな声がする。いつもみたいに名前をたくさん呼んでくれている。でもおかしいね。声が震えている。泣いているのか。側にいるよ。身体が動くようになったら、直ぐに行くから、泣かないで。

言葉にできないけれど。届かないかもしれないけれど。

起きたら、また遊ぼうね。


────大好きだよ。





“言葉にできない”

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