よらもあ

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黄道十二宮のうち3番目、双児宮の主人の片割れはただぼんやりとしていた。

兄と義姉は仲良くお出かけに行ってしまった。
妻は忙しなく右へ左へとよく働いている。
やる事がないわけではないが、今は遠くの名もない星空を眺めるのに忙しい。

元はただの男だったものが、戦士になり、いつしか英雄の名がつくようになった。
三界を震わせて死の運命にある兄と共に星になった弟の立場は、悪くはなかった。多少、兄恋しさに喚いたことを周りから揶揄される事はあっても、事実としてそれは仕方がなかったので特別腹を立てる事もない。
妻たちについてもそうだ。地上にいた頃はその麗しさに惚れ込んで略奪してしまったが、星空に浮かんでからはそれぞれ月や太陽に頭を下げ頼み込んで巫女であった妻たちを迎える事を許された。それはそれは嬉しくて、末妹の名を持つ惑星にまで改めて挨拶に行ったほどだ。
妻の惚れに惚れ込んだその麗しさは衰えを知らないらしい。
勿論、美しさとだけ言えば、地上一美しいといわれた末妹が美しいのだとは思うが、やはり妻へ向ける感情としてはそれとはまた別のものなのだ。
兄も同じように思うようで、兄は兄なりに義姉との関係性を略奪の頃とは違うやり方で構築していっている。本日の水入らずでのお出かけもそうだ。どうせ近所をぐるりと周る程度のものだろうが、それでもその穏やかな時間が兄と義姉には必要なものなのだそうだ。

兄のことはもちろん大切であるが、妹たちのことも同じように大切に思っている。流れる血が多少違ったとしても、大事な家族であるからだ。
以前、妻に言われた。もう一人の妹に会えないのは寂しくはないのか、と。
忘れたわけではない。忘れるわけがない。例え、悪女や悪妻と世間から後ろ指をさされていたとしても。賢く、苛烈で、美しいもう一人の妹。妻もそのことをよく知っていたからだろう、星空に迎えてやることができるならば妹の想いも長い時を経て昇華され救われることがあるかもしれないと。優しい妻は考えてくれたのだろう。

望まない訳ではない。会えるなら会いたい。思い切り抱き締めて、助けてやれなくてすまないと、兄を失ったことに動揺して先に逝ってしまったことを謝りたい。本当に大変な時に、何一つ力になってやれなかった。
きっと怒られるだろう。馬鹿なことをと理詰めで詰められ、何の反論も許されないだろう。けれど、最後には同じように抱き締めて許してくれるだろう。妹は、優しい娘でもあったから。

だから、神様へ祈ることしかできない。
人間として生き、人間として死んだもう一人の妹が、長い時を経てどうか楽園でほんの少しでも救われていることを。

祈りながらも、遠いどこかの星空に妹の姿を探してしまう時がある。
もしかしたら、兄や末妹のようにどこかに名が残っていないものかと。
その話をすると、兄は悲しげな顔をする。末妹は、自分も姉を探してしまうのだと話す。
妻は、ただただそっと側で寄り添ってくれる。

我ながら未練がましいものだが、星空にのぼった後にまで妻の姿を自分の側に置き留めたことを考えれば、確かに未練がましい男なのだろう。
兄の死を受け入れなかった頃から変わらないといえば、変わらないのだろうが。
その兄が言うには「彼女は人間として死ねたのだから、それは幸いなことだ」ということなのだが、その言葉を聞くとまた未練が募る。

人間として死ねたはずの兄を死なせてやれなかったのは、他ならぬ自分なのだから。

だからなのだろうか、神様へ祈りながら、遠くの星空を眺めることをやめられないでいるのは。







“神様へ”

4/14/2024, 3:34:06 PM