改札を出て、いつものようにコンビニに寄り食べたくもないコンビニ弁当とお茶を買う。店から出てはぁ、と息を吐くと白いかげろうが立ちのぼった。寒さのせいで空気がしんとしている。空は塗りつぶされたように黒い。怖いくらいに真っ暗で、見ていると吸い込まれそうな気分にさせられる。
不意に、今日1日の出来事が頭をよぎった。同じチームで仕事をしてる3つ下の後輩がミスをした。物理的には彼の失態だけど、後輩に指示をした私のミスという扱いにもなる。真っ青になった彼の肩を叩きながら上司のもとへ謝りに行った。そこまでは良かった。でもその上司が彼にかけた言葉が許せなかった。
“きみ、向いてないんじゃないの?”
正直、入社して1年も経っていない子に向かってそんなことを吐き捨てるお前のほうがどうかしてると思った。何が人材育成だ。何が風通しの良い職場だ。私が新人だった時の直属の上司は“若いうちにどんどん失敗しておけ”、と笑って言ってくれたのだが、今の上司はそんな気配など毛頭ない。はっきり言って、あの人とはこの先2度と仕事をしたくないぐらい嫌いだ。
だが、ミスはミスだから当たり前だが悪いのはこちらである。後輩の彼に私の配慮が足りなかったのも原因の1つであるだろう。項垂れて退社する彼に私は声をかけた。誰にでもあることだよ。次、巻き返せばいいんだから。いつか笑って話せる日がくるよ。どの言葉も、私が先輩に言われたことのあるものだった。その昔、私も盛大なミスをした。それはもう、顧客を巻き込む一大事に発展するんじゃないかってくらいの規模だった。だからぶっちゃけ、今回の彼のミスは私から大したことないのだけど。真面目な彼は今も引きずっているんだろうな。無口で無表情な彼だけど、きっと自分を責めてるだろう。それを考えると明日どう声をかけていいのか悩ましい。
私は買ったペットボトルのお茶で暖を取りながら、もう片方の手でスマホを操作した。彼のトーク画面を表示する。お人好しなのは先輩譲りだ。自分でもよく自覚している。
“お疲れ様。明日は切り替えて一緒にがんばろう。あんなハゲ親父なんて気にするな٩(๑`^´๑)۶”
あんまりしつこいと嫌がられるから。これくらいにしておこう。無口なあの子は見てくれるかな、と、思っていた矢先に既読表示がついた。
“先輩が俺の先輩で良かったです”
「……かわいいとこあんじゃん」
大して会話もしたがらない少々生意気な彼が、こんな優しいメッセージを返してくれるなんて意外だった。自然と口元が緩んでしまう。きっとこれなら、大丈夫。任せてよね、先輩は明日もしっかりあなたの指導をしますよ。そう思いながら、スマホからもう一度暗い夜空に目を向ける。真っ黒な空の中に白い三日月が浮いているのが見えた。さっきは全然見つけられなかったのに、今はすごく目立って見える。たったそれだけのことなのに、なんだか得をした気分になった。明日も自分らしく、前向きに。ひっそり言い聞かせながら私は帰路を歩いた。
週末の都内のカフェにて彼のことを待つ。待ちながら、先週届いた彼からのメールを見つめていた。
話があるから時間を作ってほしい。
デートも食事も、誘うのはいつも私から。だから突然、向こうからこんなメールが届いてすごく驚いた。話って何だろうか。この硬い言い方に違和感を覚えると同時に嫌な予感がする。そしてこういう時の予感は悲しくも当たってしまう。私の抱いてる“予感”とはつまり、彼に別れを切り出されるんじゃないか。
最近あまり会えなかったし互いに仕事が忙しかった。平気で連絡を無視したりされたりしたこの数週間だった。私はともかく、彼は1人でいても何ら問題なくやっていける人だから。こうやってだらだら続くよりもきっちりお別れをしましょう。それを告げるために時間を作ってほしいと言ってきたんだろう。
「悪い。遅れた」
「あ、ううん全然大丈夫――」
聞き慣れた声がしたら姿を確認する前に答え、その流れで顔を上げたのだが。
そこにはまさしく彼がいた。正真正銘私の彼氏が。薔薇の花束を抱えて立っていた。
「……どしたの」
「お前にやるために買ってきた」
ん、と少しぶっきらぼうに渡される。素直に受け取ると美しい赤や黄色やピンクの薔薇がぎっしり集まり1つに束ねられている。こんなに沢山あるのに同じ色が1つとてない。こういう買い方する人初めて見た。
「ありがと、あの、すごい色とりどりだね」
「……お前が好きな色が分からなかったから全色入れてもらったんだよ」
「あ。そうなんだ」
私の前の席に座ると彼は深い溜め息を吐いた。顔が少しだけ不機嫌な色を出している。私はわけが分からなかった。花束をくれた理由も、彼が不機嫌な理由も。
「俺はお前の好きな色すらちゃんと知らなかった」
「え」
「けど、お前にはいつも感謝してる。だから、1週間遅れちまったけど許せよ。誕生日おめでとう」
「……覚えててくれたんだ」
「当たり前だろうが」
今この瞬間。私は世界一愛されてる自信がある。こういうぶっきらぼうな所も、好きな色が分からなかったくらいでいじけてるところも私の愛してる彼だから。
私の嫌な予感は見当違いだった。今日だけは、私も素直に伝えようと思う。恥ずかしがって俯いてる彼が顔を上げたら伝えよう。ありがとうと、愛してるを。
明日、降るかな?
天気予報では“確率は50%”って言ってた。
降るかもしれないし降らないかもだね。
こーゆう時って、てるてる坊主逆さまに吊るしとけばいいんだっけ?
そうだよ?だって降ってほしいもん。
綺麗じゃん、あたり一面真っ白で。
この時期だけだしロマンチックだし。
きみはそうでもないの?雪、嫌い?
……あぁ、たしかに。
それで電車停まっちゃったら、明日会えなくなっちゃうね。
それはやだな。
やっぱ撤回する。降ってほしくないや。
雪は綺麗だけど、そのせいで会えなくなっちゃうなら降らないでほしい。
いや、絶対降らないで。
今からてるてる坊主作っとく。
ちゃんとしたやつ。
いっぱい窓に吊るしとくから。
きみも、今日はちゃんと暖かくして寝てね。
これで明日、熱が出たからデートはキャンセルだなんて許さないからね。
楽しみだなあ、明日。
こんな長電話してる場合じゃないや。
おやすみ、また明日。
岬の灯台のそばで、1人座って海を見ていた。この街の中でここが1番高い場所。景色が良いからあたしはここが大好き。街も見渡せるし広い海も見える。あの地平線の彼方には何があるんだろう。あたしの知らないものがきっと、数え切れないほどあるに違いない。
“僕らの仲間にならないか?”。彼にそう言われてからまる一週間が経った。あたしをパーティに誘った御一行はまだこの街に滞在しているらしい。どうやら本気であたしを口説き落としたいようだ。この一週間の間だけで3度はお断りをしたっていうのになかなかしぶとい連中だなと思う。でもまぁそれだけ本気だっていうことでもあるのだけど。
正直、興味がゼロというわけではない。この海を渡った先に何があるのか。知りたい好奇心は人一倍ある。でも、それと同時に恐怖だってある。あたしは他人を信用できない。団体行動が嫌い。一緒に行こうって言われたって、そいつらにいつ見限られるか分からない。好奇心よりも警戒心のほうが遥かに勝っている。
「君がこの場に繋ぎ止めておかれてる理由って、何?」
不意に声がして。振り向くとあたしを誘った勇者の彼が立っていた。にこにこしながら普通にあたしの隣に腰を下ろす。
「冒険が怖いから。故郷を離れたくないから。体力に自身が無いから。どれも違うよね」
「……まあ」
「僕らと出会った時から君の瞳はずっと希望に満ちた色をしているよ。広い世界に興味があるって物語っている。だから僕らは君を誘ったんだよ」
あたし達の座っている場所には小さな白い花がちらほら咲いていて、勇者はそれにそっと手を伸ばした。
「もちろん、それだけじゃない。君の魔力はすごく強くて頼りになる。この先君がいてくれたら僕らは大いに助かるはずだ。だから僕らは君と一緒に旅を続けたい」
「……買いかぶりすぎだよ」
ちょっとした擦り傷切り傷くらいしかまともに治せないのに。あたしを勧誘するためにわざと誇張している彼が何だか必死に見えてきて、思わず笑った。
「あともう1つあるよ。キミを誘った理由」
「なに?」
「笑うと意外とかわいい」
「何よそれ」
褒めるんならちゃんと褒めなさいよね。全くお世辞が上手いんだが下手なんだか分かったもんじゃない。けど少しは気分が良くなったかも。ほんの少しだけど。
しょせん、あたしより250も下のガキには言えることが限られてるってことか。あたしよりずっと澄んだ瞳をしてる人間。こんなガキに騙されるような心配も無さそうだし。
「いいよ。行ってあげる」
「え?」
「あんたらについてってあげる。こーゆうのは勢いで決めなきゃだからね」
「ほんと!?」
まだ齢17ばかりの勇者は勢いよく立ち上がると、海に向かって叫んだ。うおー、とか、やったー、とかそんな、大して意味のない言葉を。そんなに必死だったの?あたしなんかのために。変な勇者くん。
「今日からよろしく」
彼はあたしに向かって手を差し出してきた。その顔は満面の笑みを浮かべている。そうっと、その手を握るとなかなか強い力で握り返された。びっくりしたけど痛くはない。
「……よろしく」
小さく呟いてあたしもそっと握り返した。ほんの少しだけ、他人のこと、信じてもいいかなって思えた。
今日は風もなく比較的過ごしやすい。気温もわりと高めなのだろう。道の反対側の塀の上で猫が日向ぼっこしている。穏やかな日だなあ。こんな日は、何故か無性に洗濯をしたくなる。洋服からタオルから寝具から、乾きにくいものを避けつつ目に入るものを洗濯機に放り込んでお気に入りの柔軟剤を入れた。洗濯が終わるまで数十分、さて何をしようか。とりあえず、お湯を沸かしてハーブティーでも淹れよう。昨日の残りのラスクを摘みながら読書といこうか。すごく贅沢な時間の使い方だ。陽の光を窓から浴びていると自然とまどろんでくる。
ああ。
こんな穏やかな状態のまま君に会いにゆけたらいいのに。雲の少ない澄んだ空が今、君の居る場所。いい天気だね、冬なのを忘れるくらい暖かくて心地が良いよ。
去年までは2人だったのに、今年の冬は1人だった。寂しいのはずっと変わらないよ、そりゃそうさ。君のいない世界なんて滅んでしまえ、って、ついこないだまで考えてたくらいだから。
こうして1人になって、君の有り難さを激しく痛感して、僕の無力さを嘆いて、怒りは自分だけでなく第三者に向けられて、目に映るもの全てを憎んで呪って、そりゃあもう僕は荒れに荒れたんだ。そんな、負の感情を盛大に出しきって暴れまくってそれでも残ったものは何も無かったよ。しいて言うなら、失った人は戻らないんだっていう事実だけか。
色々あって、僕は1人でもこうして生きてるけど。もう、怒るの疲れちゃったからやめてみた。そしたら不思議と身体は軽くなった。今日みたいに空の青さに気付けるほどに回復した。もちろん全快にはなってないけど、最近はようやく身の回りにも目を向けられるようになってきたよ。だいぶ苦労したけどね。きっとここまでの経緯を君もこの空の上から見ていてくれたんだろうか。僕らしくなかっただろう?ダサくて醜くてどうしようもない奴だっただろう?きっと心配しただろう。君は優しい人だから。ごめんね、もう大丈夫。いや、大丈夫ではないけれど、少なくともあの最悪な時からは抜けられた。
だから君もこれからは穏やかにそっちで過ごしてほしい。いずれ僕も会いにゆくから。その時は笑顔で出迎え頼むよ。
願わくば、また君と再会する日はこんな冬晴れの日がいいな。