なぜ空は青いんだろう。科学的な理由は分からないけど、僕的な答えを言うならば、向こうへ逝く時に安心する色だからなんだと思う。真っ青でもなく、淡いブルーから紺碧へグラデーションのように広がってゆく。どこを切り取って眺めてもすごく澄み渡っている。
今日は特に綺麗な青空だ。
最期に見る空がこんなに青くて良かったよ。
嬉しいんだ、こんなふうに穏やかに眠れることが。
だからどうか泣かないでね。
今度はあの空の1部になって、きみのことを見守るから。
彼と喧嘩した。いつも、私のことをとやかく言ってくるんだけど、さすがに今日は我慢ならなかった。ああしろこうしろって、何でもかんでも言えばいいと思ってる。それ全部従うと思ってんの?なんでもあんたの思い通りに行くわけないじゃん。頭にきたからそのまま家を飛び出してきた。もう寝る前だったから今の私の格好は部屋着。ついでに足は裸足でサンダルを履いている。後先考えずに飛び出してきたせいで何ともひどい格好だ。
とりあえずどうしよっかな。こんな時間に夜道をウロウロしてたらちょっと危ないのは分かってる。ていうか今更だけど寒すぎ。こんなに夜って寒かったっけ。気付かないうちに着々と冬に向かってたんだということを知る。はぁーっと息を吐いてみたら白くなった。こんな中、薄着で裸足ってますます怪しまれるじゃん。
「……もぉ」
しょうがないから帰るか。全然気が進まないけど。
こういうのってやっぱ私から謝るべきなの?でもそれってなんだか負けを認めたみたいだから嫌だな。どうせ向こうは1ミリも悪いとは思ってないんだろうし。それどころか、こんな時間に飛び出した私に怒ってるに違いない。あーやだなぁ。帰りたくなくなるじゃん。でも帰んなきゃ寝れないし、このままだと風邪ひくし。
「……ん?なんだこれ」
ズボンのポケットに手を突っ込んだら何かが入ってた。広げてみると、なんとしわしわの千円札だった。きっとこのまま洗濯にかけられたんだろうな。それを一生懸命伸ばして、すぐそばにあった自販機に入れる。寒いからなにか飲もう。どーしようかな、と数秒間悩んだのち、ボタンを押す。その私の指に、別の指が重なった。ぎょっとして隣を見た。なんで、いるの。
「これは俺の分だろう?」
「……ちがうよ、私が飲みたくて買ったの」
「なんだ。お前も同じものを飲みたかったのか。じゃあもう1本買ってくれよ」
なんでそうなるのよ。私のお金ですけど。無視して突っ立っていたら、勝手に釣銭を入れてもう1本買いやがった。許可した覚えなんてないのに。なんてやつだ。
「ほら、帰るぞ」
取出口から暖かいレモンティーを2つ取って、反対側の手を差し出してくる。ちらりと顔を窺い見た。彼は、怒ってはいなかった。だからそろりと手を掴んだ。私の手に負けないくらい冷たかった。きっと探しに来てくれたんだろう。彼の足も裸足でサンダルという冬に似つかわしくないスタイルをしていた。真っ暗な道を彼に手を引かれて歩き出す。言いたいことがあったはずなのにいつの間にか失くなってしまった。本当はもっと、ドロドロした嫌な言葉のオンパレードを浴びせてやろうとか思っていたはずなのに。その気持ちもどこかへ消えてしまった。とりあえず、この後どうするかは帰ってから考えるか。多分、謝ると思う。ごめんね、って、言うと思う。そしたら彼も同じこと言ってくる。想像したらちょっと笑いそうになった。隣からほら、とレモンティーを渡される。甘酸っぱくて美味しい。寒くて凍えそうだった身体がほんのちょっとだけ熱を帯びた。
まだ、その歌を終わらせないで。
君の歌をもう少し聴いていたいんだ。
そうすると不思議と死も怖くない。
いつかはこうなるんだと思っていたけど、いざこの時を迎えるととっても怖かった。
でも君の歌声がそんな見えない恐怖を追い払ってくれたよ。
きっと君の声は心地良い音色なんだろう。
自然と瞼が重くなってくるよ。
ありがとう、最期の我儘聞いてくれて。
ありがとう、僕を歌で送り出してくれて。
さようなら、また逢う日まで。
それは目には見えないものだ。触れることもできない。なのに与えることができる。地位も権力も身分も財力も、老いも若いも男も女も関係ない。
ただし限りがある。時間的な限り、質量的な限りのどちらも発生する。受け取ったかと思ったのに、いつの間にか消滅していることもある。また、此方から与えた割合が100だとしても、受け取り手からしたら20くらいにしか感じていない場合もある。必ずしも同量が取引されるとは限らない。またその逆も然り。ほんの軽い気持ちだったつもりが、相手には相当なインパクトだったりする時もある。そういう場合は高確率で犯罪に発展するケースになる。
よって僕は新たな法律を提案する。
その名も、『愛情罪』だ。そこから大きく、
愛情詐欺罪、愛情出し惜しみ罪、愛情過多罪、愛情悪用罪に分類し刑罰を決める。こうすれば、愛情から生じるすれ違いや縺れのトラブルを未然に防ぐことが出来る。よりよい穏やかな生活を守るために、是非ともご賛同願いたい。
「阿呆か」
「なんで!」
友人は吐き捨て、あろうことか僕の論文を後ろへ放り投げた。
「何がいけないと言うんだ。至極真っ当なことを書いてるじゃないか」
「モテない男の僻みにしか聞こえねーよ」
「なんだと」
「こんな下らんことを考えてる暇があったらな、女の1人でも作ってみろ」
「そんな、簡単に言ってくれるな!そんなことできたらとっくにやっている!」
「ほー。てことは、そのために何か努力したってことかよ」
「おうとも。髪の分け目を7:3から6:4にした。毎日深爪ギリギリまで爪を切っている。シャツを着る時は必ずアイロン掛けされたものにしている。始めてまだ最近だが、顎ヒゲの脱毛サロンに通い出した」
「……」
「どうだ」
フン。隙が無さすぎて声も出ないか。開いた口が塞がっておらんではないか。
「俺はよ、」
「む?」
「髪の毛オールバック。手の爪は3個くらい死んでる。シャツはヨレヨレ。ヒゲは見てのとーり、たくわえてる」
「僕と対極だな」
「なのに俺には彼女がいる。何故だが分かるか?」
「……知るか」
「見てくれだけじゃねーってことだよ。ま、あまりにも見た目が酷いのはどうかと思うがな」
友人はヘラヘラ笑いながら胸ポケットから煙草を取り出した。……図に乗りやがって。そんな言葉に騙されてたまるか。
「そういうもんなんだよ」
「どういうもんだと言うのだ」
「お前も言ってたろ?さっきの下らん文章の中で。愛情ってのは見えないものだ、触れることもできない」
灰皿、と言うから棚の中から取り出してやる。一応ここは禁煙だぞ。
「外見磨くのも大事だけどさ、見えないもんをいかにして相手に届けられるかを考えてみな。そしたら上手くいくんじゃねーか?」
「……たとえば」
「そりゃ自分で考えろ」
なんだ、それは。為になるようなことを言うのかと思ったら最後は自分次第ってオチか。愛情の届け方だと?そんなことやったことないのだから分かるわけなかろう。つくづく無理なことを言う男だ。
「ま、お前の場合はまず愛を伝えたくなるような相手をさがすことだ。無闇矢鱈に好きになるなんて間違ってるからな」
「まぁ、それはお前の言う通りだな」
焦って動くものでもない。つまりはそういうことか。今日始めて、納得できた気がする。
「まー元気出せって。年齢イコール彼女いない歴だろうが、万年童貞だろうが、ラブホの入り方知らなかろうが、俺はお前の友達やめねーからよ」
「言い過ぎだ馬鹿め!」
「久しぶり」
そう言って私の隣に座った彼は、10年前の時よりもずっと格好良く見えた。あの時だってもちろん格好良かったけど、10年経った今は大人っぽさと色っぽさが追加されて不思議な感じ。まるで別人と話しているみたいだけど、喋り方は何ひとつ変わっていなかった。彼の、ちょっとゆったりめな口調が私は好きだった。なんだかそばにいるとほっとさせられるから。何でも許してしまいそうになる。
「同窓会、来ないのかと思ったよ。キミは仕事が忙しいんでしょ?」
「うん、まぁ。でもちゃんと休みだってもらえてるよ」
「ははは。そりゃそうだ」
笑うと出来るえくぼもあの頃を思い出させる。誰にでも優しくて、好意的で。クラス中の女子はみんな貴方に想いを寄せてたんだよ。私だって、その1人。
「何か飲む?」
「うん。じゃあ……同じのをもらおうかな」
了解、と言って彼はウェイターのほうへ行ってしまった。今夜は既に3杯飲んでる。頭の中はとっくにふわふわしている。頬に手をやると熱を帯びていた。お酒のせい、ということにしておこう。彼がまた戻ってきても、うっかり変なことを口走らないようにしないと。
でも、どこか期待してる自分がいる。ポーチから真っ赤なリップを取り出して丁寧に塗り直した。私もあれから10年経ったの。少しは、積極的になってもいいでしょ?