ゆかぽんたす

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11/13/2023, 6:18:24 AM

数センチのドアの隙間。そこから音もなく身を滑らせ脱出する。これくらいは造作もない。出た先の廊下は薄暗くて人の気配も無かった。俺の他には近くには誰も居ない。少し埃っぽいから地面は歩かない。それに、何か危険なものが落ちているかもしれない。窓の縁に飛び乗って、そこを伝いながら出口を目指す。ゆっくりと進むより一気に駆け抜けるほうが時短だし確実に進める。姿勢を低くしてタイミングを測ろうとしていたその時、まさかの背後の扉が開いた。
――ヤバい、見つかる。
分かってはいたけどどこにも隠れる場所なんてなかった。となれば、この場から逃げ出すしかない。だが、相手の動きのほうが俺よりコンマ数秒早かった。身体を羽交い締めにされる。相手のほうがリーチが長いから抜け出すことは容易じゃない。しくじった。もう少し上まで登るべきだった。
「もぉー。だめでしょ、イタズラしちゃ。おかーさーん、またポンちゃん逃げようとしてたぁ」
イタズラじゃない。これは脱出だ。だが相手は俺の言い分を聞こうとせず、慣れた手つきで俺を拘束する。
奥の部屋からあらあらダメねー、と呑気な返事が聞こえた。
「逃げちゃだめだよ」
だから逃げるんじゃないっての。ここから脱出して俺を待つ外の世界に行くんだよ。しかし娘は両手で俺の身体を持ち上げる。そして、意味もなくぶらぶら揺らした。おいコラやめろ、引っ掻かれたいのか。
「もーっ、ワンパクな男の子なんだからぁ」
にこりと笑って俺を抱き締める。少しは加減しろ、といつも思う。お前は人形を抱いてる要領で俺を扱うな。もっと繊細なんだぞ、分かるか?毛玉吐くぞここで。
「なぁに?にゃーにゃーにゃー」
煩えな。さっさと離せよ。だが反論しても全く意味がなかった。大人しくさっきまでいたリビングにあっさりと連行されてしまう。
畜生。また、今日も駄目だったか。だが何度だって挑んでやるさ。そのうち3秒であの廊下を走り抜けてみせてやるぜ。とりあえず、今日のところは休戦だ。いいか、今に見てろよ。俺は決してお前なんかに屈しないからな。お前なんかとはじきにオサラバだ。
「ポンちゃん。ミルク飲む?」
……フン、仕方ねぇから貰ってやるよ。おっと、あんまり温めすぎるなよ。猫舌なんだからな。

11/12/2023, 9:41:35 AM

今日のデート先は彼女の希望した水族館に来た。開館時間から居てもうすぐ昼時になる。なのに彼女はあるブースからいっこうに動こうとしない。もうそろそろ行こうよ、と言った僕に彼女は「もう少しだけ」とだけ答えた。それからもうすぐ1時間が経とうとしてる。いったい彼女のもう少しはどれくらいなんだろうか。
ちっとも動きそうにないので彼女をその場に残し、僕は自販機でコーヒーとココアを買いに行った。今日は休日だから結構お客さんがいる。カップルから家族連れまで様々だ。みんな楽しそうに水槽の中の生物たちを眺めている。水の中で悠々と泳ぐ姿とか、沈んでじっとしている様子を観察しては盛り上がっていた。
けれど僕の彼女の見ているものは。水の中ではなく、陸の上でさっきからずっとたそがれている。時折手をバタバタしたり首を傾げたりもしているけど、あまり目立った動きを見せない。それなのに数時間も見て何がそんなに楽しいんだろうか。
「はい」
「あ、ありがとう」
買ってきたココアを渡すと彼女は僕の方を見た。でも再び柵の向こうに目を向ける。彼女の横顔は笑っていた。本当に好きなんだな。
「私、水族館にいる動物の中で1番好き」
「……ペンギンが?」
「うん」
まぁ別に珍しいことじゃないけど。わりと人気者だしグッズもたくさんある。けど2時間以上も居座るほど好きなのにはちょっと驚く。
「どうゆうところが好きなの?」
「だってさ。可愛いじゃん、一生懸命なんだもん」
ほら、と彼女が指差した1羽が両手をバタバタさせていた。
「ああやってるとこ。可愛くない?飛べないのに飛ぼうとしてるように見えるの」
だから可愛いの。満足気に彼女が笑いながら言った。言われてみれば、そんなふうにも見えてきた。本当は空を飛びたいのに、できなくて必死に手をバタつかせている。そう思うとなかなか愛嬌のあるやつだなと思えてくる。
「でもさ、もしペンギンが飛べたら、こんなに人気出てないよね」
「まぁ、それも一理あるな」
「だからこのままでいいの。飛べないおかげでこんなに人気者なんだよ、きっと」
飛べない代わりに皆の人気を獲得している。なんだか面白い話だな。出来ない事があるおかげでこんなにも人に愛されるって、人間同士じゃなかなか無い状況じゃないか。それってすごいことだぞ、おい。心のなかで呟きながら僕はすぐ手前に居たケープペンギンを見た。
「ふふふ」
「なんだよ?」
「ううん。ペンギン、好きになった?」
「まぁね。ちょっとどんくさそうなとこが親近感湧くかな」
まぁ僕は何時間も見てられないけど。でも、なんだか不思議とただ見てるだけで癒やされるんだよな。イルカもアシカも可愛いけど、ペンギンのほうが好きになったかも。
じゃあ、彼女が飽きるまでもう少し眺めていようかな。たまには時間に縛られず、のんびりするのも大切なことだから。今日のデートはすごく充実している。こういう日を大切にしたい。

11/11/2023, 9:31:24 AM

突然、学校が嫌になっちゃって。
行きたくなくて、でも家に帰れなくて。
ふらふらしてたら近所の人に見つかりそうだったから、少し歩いて河川敷に行ったんだ。
いつも電車を乗ってる時に見える場所で、春には桜がいっぱい咲いてたのを覚えてる。でも今は、秋だからそんなことなくて、ひっそり寂しい景色だった。
散歩してるどっかのお爺さんと水鳥だけだったから安心した。ここなら、こんな時間に中学生が彷徨いてても通報されることもない。
適当な所に座ってみた。今日はちょっと風が強め。目の前をビニール袋が飛ばされてゆく。ぶわっと、吹いた風がいろんなものを飛ばしていった。視界の中にふわふわ揺れてる集団が入る。ススキだ。風に揺られてる穂が、まるで手を振ってるみたいに見えた。なんだか可愛くて、ずっと見てしまった。ずっと、ぼーっと、何時間も。いいんだ、今日は学校に行かないから。
そして気づいたら太陽は傾きかけていた。時間が経つのはあっという間。明日もこんなふうに流れてゆくのかな。何かをしても何もしなくても、みんな平等に時間は流れる。明日学校に行っても行かなくても、同じように過ぎてゆく。
ススキが優雅に揺れてる。それを見てると、そんなに僕の悩みは大したことないのかな。そう思えてくる。
明日は、学校行ってみようかな。あんまり気負い負けしないで、なるべく普通に。その普通が、案外難しいんだけど。
きっと、なんとかなるだろう。大丈夫、きっと。なんとかなる。呪文のように言い聞かせてようやく立ち上がった。秋の河川敷ってなんだか落ち着くな。少し心にゆとりが持てたかも。だから本当に、なんとかなりそうと思えてきた。明日はきっと、大丈夫。

11/10/2023, 8:51:18 AM

まただ。
また彼女の夢を見て目が覚める。あの泣いている顔が脳裏から絶対に離れない。無理もない。泣かせたのは、俺だから。
寝室を出てキッチンへ向かった。1杯の水を飲む。思った以上にうなされていたらしい。少し汗をかいていた。
いつまでこんな夢を見るのだろうか。彼女との思い出は素晴らしいものばかりだったのに今じゃ悪夢と化して俺を苦しめる。あの時どうすれば正解だったのか。そんなこと今考えても、なんの意味もないのに。
携帯を操作して彼女の連絡先を表示した。例えば今この番号にかけて相手が応答したとして。俺は何を伝えれば良いのだろうか。ごめんも愛してるも、そんな言葉はきっと彼女は欲しくないだろう。そう考えたらもう連絡をすることは許されないことだと分かった。これ以上苦しませないで。脳裏に焼き付いた泣き顔の彼女が俺に訴えた。だから大人しく携帯を手から離した。
窓から白い月が見えた。間もなく夜明けだ。今日も熟睡できなかった。いつになったら、思い出から縛られることなく日々を送れるのだろうか。
いつになったら、君を赦すことができるのだろうか。

11/9/2023, 7:47:18 AM

そろそろ寒いから温かい靴下買おうと思って帰りに買った。フリーサイズのを2足。青いのと赤いの1足ずつ。すぐ隣のパン屋さんからいい匂いがして、ついでにクリームパンを2個買った。それと、週末はハンバーグでも作ろうと思ってスーパーにも寄った。
「えーと……」
合挽き肉の値段と睨めっこしながら考える。何グラム必要かな。1人分100ちょっとで考えたら250あれば余裕かな。

でもそこでようやく気がついてしまった。
どうして、2人分買ってんだろ。

もう必要ない。
青い靴下も1個余計のクリームパンも挽き肉を多めに買うことも必要ない。そんなことしたって意味がない。

だってあなたはもういないから。

週末私の家に泊まりにくることもない。寒いようと言って冷たい足を布団の中でくっつけてくることもない。朝起きて、1人でクリームパンを食べてても俺の分は、って言われることもない。大好物のハンバーグを、私の作ったハンバーグを褒めてくれることももう、ないんだ。

でも。
なんか悔しくて認めるのが辛くて合挽き肉300グラム買ってやった。多めに作って冷凍しとけばあとで食べれる。靴下だって、フリーサイズなんだから私が青いのも履く。クリームパンは大好きだから2日連続で食べれるし。大丈夫、なんら問題ない。

ぜんぜん大丈夫だよ。
あなたが居なくたってなんとかなってる。私って結構強いんだから。慣れって怖いね、無意識に2人分買っちゃった。次からは気をつけよう。明日からは全部1人分。ぜんぜん、大丈夫。

なのにどうして涙が出るんだろう。レジのお姉さんに大丈夫ですか、って言われてしまった。挽き肉買いながら泣いてるから変なヤツとでも思われたかな。
でも、気にしない。こんなことで泣いてるなんて馬鹿みたい。この涙が、今日の中で1番意味がない。

悔しい。
辛い。
しんどい。
明日はぜったい、笑ってやるんだ。

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