シーツ、いい匂いでしょ。柔軟剤を変えてみたよ。キミの好きな鈴蘭の香りがするやつを見つけたから買ってみたんだ。でも今日は、良い天気だから窓を開けるね。
ついでに花瓶の花も変えたよ。今度はカスミソウにしてみたよ。キミは地味とか言うかもしれないけど、たまにはこんなチョイスもいいでしょ?
今日は隣町まで行ってきたんだ。ずっと黙ってたんだけど料理教室に通い出してさ。キミが好きな和食を作れるようになりたくて。もう魚を3枚におろすこともできるんだ。キミがどんなメニューをリクエストしてももう大抵なものを作れるからね。
もう、何でもできるよ。あとはキミが目を覚ますだけ。
キミが目覚めるまでに完璧にしようと思って急いであれこれ覚えたけど、もう一昨年にとっくに覚えきったんだよ。
キミが眠りについてもう5年。もう目を覚ましていいんだよ。キミが目覚めるまで、僕はあとどれくらい待ったらいいの?おはよう、って言ってよ。おやすみ、もほしいよ。早く僕に笑いかけてよ。
私の好きな色はバラ色。どんな色かっていうと、赤とか黄色とかピンクとかオレンジとか。バラの花にありそうな色はほとんど好き。
でもこの部屋にはバラ色のものが1つもない。それどころか、白ばっかり。部屋の壁も天井もカーテンも。テーブルもベッドも手すりも、ずっとピッピッと鳴ってる機械も、全部。部屋中の白に埋もれて、私の腕さえも白く見えてくる。せめて髪の毛は黒、と言いたいところだけど、先月で全部なくなってしまった。
「今日はね、あなたにプレゼントがあるの」
いつもの時間にお母さんがやってきて、私にラッピングされた袋を見せた。
「なあに、これ」
「開けてみて」
リボンを解いて中身を取り出す。ニット帽だった。その色は、バラ色。赤も黄色もピンクもオレンジも入ってる。カラフルでとっても可愛い。私が今のように病気になるずっと前に、バラ色が好きって言ったのをお母さんは覚えていてくれた。そわそわしながら頭に被ってみる。鏡に自分を映す。でもなんだか、思ったよりも。
「どうしたの?」
「……ううん」
一瞬、鏡に映った自分が誰なのか分からなかった。髪の毛も眉毛も失くなって。死にかけた瞳の女の子が派手なニット帽を被っている。まるで帽子だけが生きているよう。もう我慢できなくて静かに帽子を脱いだ。私にバラ色は似合わない。赤も黄色も、私が身につけると死んだ色になってしまう。
「気に入らなかった?」
「……気に入りたかったけど、似合わなかった」
「そんなことないわよ」
お母さんがそっと私の手を取る。私なんかよりずっと生き生きした肌色の手をしていた。
「私に可愛い色は似合わない。白しか、似合わない」
「なら、こっち被ってみる?」
そう言ってお母さんが別の紙袋をバッグから取り出した。
「先にこっちを買ったんだけど、これじゃあまりにも地味かと思って買い直したのよ」
中身は真っ白いニット帽。お母さんがそっと私の頭に被せてくれた。恐る恐る鏡をのぞき込む。白い帽子を被った白い顔の私。でもさっきより肌の色に鮮やかさが出たように見える。帽子のほうが真っ白いからそう見えるのかもしれない。おまけにその帽子には、
「……耳がついてる!」
「そう。可愛いでしょ。白猫ちゃんね」
小さな2つの三角が、ぴょこんと私の頭に立っていた。
「ねぇ、似合う?」
「もちろん。とっても可愛い」
その後しばらくずっと、鏡の中の自分を眺めていた。お母さんが帰ってからも、ずっと。
私にバラ色は似合わない。けれど、私に白はとっても似合う。
そう言えば。白色もバラにある。
じゃあ白もバラ色だ。
私にも似合うバラ色、見つけた。
「ねぇねぇ、明日もし晴れたらここ行こうよ」
楽しそうに読んでいた雑誌のページを指差してキミは言った。都内のイチオシフォトスポット、って。流石、僕よりひと回り以上若いだけあるね。でも年齢の話をするとキミは決まって不機嫌になるから、心の中で思うだけにする。歳の差を、キミは気にしていることくらい分かってる。
でも本当はね、僕のほうがずっと気にしているかもしれない。永遠に縮まることのない差。仕方ないことだけど、なんとも悩ましい問題だ。けれどこれがもし、キミの生まれた年に僕も生まれたとして、果たして僕らは一緒になれただろうか。そんなふうに自問することがある。そして、その答えはNOだと思う。色々な、偶然や奇跡が重なって80億人の中からキミが僕の前に現れた。そう思ってる。なんだか、考え方は僕のほうが若いのかもしれない。キミは偶然とか奇跡をあまり信じないもんね。
「いいよ、行こうか」
隣に座るキミの手を握った。意味もなくそんなことをする僕をキミはキョトンとした顔で見る。言葉もなく、愛しいと思う時だってあるんだよ。年齢関係なくね。
だから、これからもよろしくね。
好きと言わなければ、嫌われることはない。
助けを求めなければ、見返りを求められることもない。
友情という言葉に騙されなければ、裏切られることもない。
だから、私は一人でいたい。
いたいのに。
一人では、できることが少なすぎる。
涙を拭ってくれる人がいたなら。
そっと背中を押してくれる人がいたなら。
本当なら今も、笑っていられたんだろうな。
今日の放課後時間ある?話したいことあるんだけど。
そんなメールが送られてきた。相手は家が近所の幼馴染。家が近いけど、お互い部活の朝練があって顔を合わせるのはごくごくたまに。中学生の頃はもっといっぱい会ってたけど、なかなか今は難しい。それでも、同じ高校に進学できただけでも感謝しなくては。
何を隠そう、僕は彼女が好きだ。かれこれもう、7年くらい片思いをしている。高校生活も残り1年をきってしまった。そろそろ行動に移さないと。今度こそ彼女は遠いところへ行ってしまうかもしれない。
そんな、仄かな心の焦りを抱いている時に彼女からのメールを受信した。僕は約束通り放課後自分の教室で彼女を待つ。10分位経ってから、息を切らした彼女が教室へ飛び込んできた。
「ごめん!待った?」
「いや、全然」
こうして向き合って話すのが何週間かぶり。それだけでこっちは緊張をしてしまうというのに。彼女は僕の向かい側の椅子に座った。距離がとても近い。
「ねぇ、お兄ちゃん元気?」
「え?別に普通だけど」
僕には5つ年の離れた兄がいる。もう社会人になり東京で働いている兄は、幼いころは僕と彼女とよく一緒に遊んでくれた。とても面倒見が良い兄だ。彼女も慕って、今でもお兄ちゃんと呼んでいる。
「兄さんがどうかしたの?」
「その、あの」
なんだか彼女は口をもごもごさせている。目配せまでして、僕を見つめる目が、心なしか色っぽい。思わずごくり、と唾を飲み込んだ。
「この夏、帰ってきたりするのかなあ、って」
「え?あぁ、うん。夏休み取ったら帰省すると思うよ」
「ほんと?そしたらさ、私にも教えてほしいの」
「別に……いいけど?」
「ありがとう」
僕の返事に彼女はホッとした表情を見せた。なんだか、やな予感がする。
「もう、当たって砕けてやろーって思ってさ」
立ち上がると彼女はその場で伸びをした。
「告白しようと思うの。お兄ちゃんに」
はにかんだ顔で、彼女はそう言った。すごく可愛いと思った。瞳が澄んでいて綺麗だと思った。僕に向けられた笑顔であり瞳であるのに、僕によく似た兄を思い浮かべて笑っている。笑いそうになった。無論、勘違いした僕自身に。
彼女はじゃあ行くね、と言うとさっさと帰ってしまった。一緒に帰ろうとも言われない僕は、最初から眼中にないんだ。
「あはは」
ようやく笑いが出てきた。
乾いた虚しい笑い声が、誰も居ない教室で響いた。