映画『バグダッド・カフェ』主題歌【Calling You】冒頭のBm7、Cadd9、Em7、A7sus4 ... このアルペジオが突如頭の中に降りて来てこの雰囲気で曲を作ってみようと3,4時間部屋に篭ってギターを爪弾いた次の日 ... たまたま聴いてたラジオのFM局から【Calling You】が流れた時が自分は天才かもと勘違いした一番最初の時だった。18,9歳だった気がする。俺は兎に角実兄を筆頭に関わり合いになる人という人すべてから見下されて低く低く見られて生きて来てたんでね ... 人を憎まないようにする為に神仏を馬鹿にしてたんだよ。〝へぇ〜、これが神の仕切りってこったね。あーこりゃこりゃ。〟みたいな感じに。幼い頃から先天的なゲラだったから笑い方というか笑顔も無邪気過ぎたのかきったなかったみたいでね ... 笑うと特に女子に〝なにこのカオ ... へんなカオぉ〜、キモチワルゥ〜〟小2くらいの頃だしね ... それに俺自身が好意でなくとも好感を持った地味なフツーの女子達が心底悪気無く呟いたみたいに見受けられたのでね ... 俺は迷惑かけないように極力笑わないように務めたりしたんよ。生まれたばかりの赤ん坊だった時、俺は母親の腹ん中にいた時に牛乳🥛を烈しく欲しがり過ぎて肥えに肥えまくって4,000グラム超で生まれたきったない赤ん坊だった影響というか名残りもあったのかも知れないけど赤ん坊の時に外見がきったなくて殆ど可愛がられなかった子供は将来大出世するなんて言われるけど宇多田ヒカルなんかはやはり赤ん坊の頃、目も当てられないきったない赤ん坊だったらしい。まんまと言い伝え通りになってるね。俺はしがないタクシー運転手で終わりそうだな。ははは。
祖父が他界するひと月前くらいから妻は祖父が家に遊びに来るたびに肩先から何故かお線香の香りがすると話していた。他界が近い人からお線香の香りが漂うという話は私も妻もインターネットの情報か何か見聞きしたのを ... まぁ印象的な話だったのもあってかくっきりと記憶していて〝 まさかね ... 〟なんて苦小笑いしたのだが ... そんな迷信染みた噺に準ずるかのように逝った。不思議なのは ... 何故そうしたタイミングで線香の香りが漂うのか ... 香りの立つ源が気にはなるが ... まあそれを考えても答えは見つけられないであろうし見つけたところで興味本位を克服したのみに過ぎない。ただ今というか昨今ね ... 自分の枕から始終お線香の香りがするのである。まあ日頃から、私は53歳だが今際の際こそ面倒臭そうとか念い乍ら妻娘二人に迷惑はかけたくないとかその際は泣かれたくないしゴミを投げた後の如く何も念うところも無く忘れてくれたらなと考えたり ... 最近ではへぇ〜、離婚届け妻と自分の勝手に押印して役所提出してから消費者金融で満額借りて家に封書で投げ置いて死(ト)ぶって手もあるのか ... なんて得心してたりするのだが ... いざ、この〝 もしかして 〟に訪れられてみるとやはり案外ときめいていた。私はやはりきっと特段狂っているのであろう。毎日毎日毎日毎日 ... やはり厭だ。この世界は自分には合わない。まず何より人間がきもちわるい。神のように崇められる日を臨み努力をする。努力はいい、然し動機が吐き気が止まらなくなるほど下衆く、そして成すを成せば一切を見下し神・仏・霊にまで挑み始める。策略 ... 企て ... 勝敗 ... 報復 ... 粛清 ... あー、きもちわるい。虚空を消すことも大海を切り裂くこともできない人間如きが神のふりをする仏を俯瞰する侮辱する霊界をも嘲笑する ... あーきもちわるい、きもちわるい。私を友達だと思う人はひとりもいないが私が特別たる友達をひとりも作らないのは特別な友達を拵える事で特別ではない無数の衆生を認定することになるからである。無論他人に押し付けたりなんか絶対にしないが ... 私は、私だけは、常にひとりでいなければならない ... そんな気がするのだ。
家族はいるけどね。家族は ... ... ...... 。
... そのうち、なにもかもを受け止めることができる時が来るから ... その時までの ... ぼこぼこした荒原を行くのだ ...。祈りたる御守り ... そして私の様な ... ある意味では是れも一種の卑怯に含まれるとも謂える ... ガンジーの魂にも似た〝 決して戦わないそして逃げもしない。〟という貫徹を誓いという紐で首にぶら下げ ... その代償として私は一切の楽欲を断つのである .... 。
私は ... いや自分は ... 昨今この〝叶う〟という言葉を嫌うようになってしまいまして ...
な ん か ね ...
十字架を見世乍ら ...
〝 だから ... なんとかおねがいしますよ ... 〟
そんなものを感じ得てしまうのですよ。
私や誰かが満面の笑みを弾けさせる歓喜の一時は要らない。
泣いて下を向き溜めた息を足下に落とし送る衆生がひとつも無い世界を ...
〝 望 み 〟ます ... 唯一。
嘲笑という狂気の悦をこよなく愛する者の絶命と無間への到達を切に ... 〝 祈り 〟ます ... 。
其れが、時を止めてしまう所作であるとしても ...。
生きている ... 生き続けている〝今〟という空間に固執する意義というか ... そういうの諸々というか全部 ... わからなくなって来てるんだけどこれ ... 俺だけじゃないよなっつか ... わからなくなってない人の方がかなり少ない世の中のような気がする ... でも、🇯🇵日本人が自殺が多いのはなんとなくわかる気がするんだよね ... 。我欲に、悪い意味でも、捕まる人っていないから ..... 。きらきらした水平線を眺めてるみたいな時間に最上のしあわせを感触するでしょ。背中の痒いところに手の爪が届いた時みたいな快感とか、口の中で砕いたピーナッツが喉を潜る時の悦楽みたいなそうしたものは二の次三の次で ... だからね ... 雨や曇り空が長らく続けば、微笑しながらあきらめて去って死わるを選んじゃうんだよな。もっと、テメー勝手で図々しく奪い合えばいいんだろうけど ... そんな事をすると水平線が斜めになったり海に穴が空いてしまったりあおぞらがひび割れてしまうんじゃないかって本気で思い込んでしまっているある意味マヌケな民族、その血統だから ... 🇯🇵 ... だぁ〜めなんだよなぁ ... 自分の為にがんばれねぇんだよな。まいるゎマジ。
昭和天皇は植物学者である牧野富太郎博士の名言
「雑草という草はない」
に共感し似たようなことをおっしゃったと伝えられています。
そのエピソードは次のとおりです。
皇居周辺の草刈りをした侍従がお帰りになった際に一部雑草を刈り残したことをお詫びした。
昭和天皇は ...
「雑草という草はない。
どんな植物でもみな名前があってそれぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。
人間の一方的な考え方でこれを雑草として決めつけてしまうのはいけない。
注意するように。」
とおっしゃった。
牧野富太郎博士は植物学者として知られておりNHKの朝ドラ「らんまん」の主人公槙野万太郎のモデルでもあります。
雑誌記者だった山本周五郎氏が1928年に牧野博士にインタビューした際に
「世の中に〝雑草〟という草は無い。
どんな草にだってちゃんと名前がついている。」
という名言を残しています。
自分はどうしても〝常識〟という言葉を好ましく念えないのである。
自分には〝常識〟という言葉に、冷たさや短絡さ、また怠惰のような解釈を感触するのである。
私は〝常識〟とは〝慮い遣り〟の対義語であろうとどうしても捉えれてならないのである。
〝 雑 草 〟
この言葉が後ろ手に隠すズルさと同様のものを感触するのである。
常識などという見識は、長い年月を慮うとき、なんともいいかげんな人やそれ以外の凡ゆる事柄を俯瞰し小馬鹿にする愚言に念えてならないのである。
不器用な慮い遣りを呆れ嘲笑するばかりで手は貸さず ... そういう虚しさを覚えるのである。