遠くの空へ
拝啓
そちらの生活は慣れましたでしょうか。
私の方は全然慣れなくて、未だに胸に空いた体温が時折恋心を締め付けてきて苦しいです。
あなたがいなくなったと聞いて初めは私何かの御伽噺だと思っていました。
だって直ぐに死ぬような弱い人じゃなかったもの。
そんなことを思っていたのは私の主観で、実際のあなたの弱さに気づけなかった。
そんな私にも責任はありますよね。
拝啓だなんて格好つけたけど私らしくもないですよね。
天国、と呼べるかは別として。
あなたの幸せを、何時までも、何時までも祈っております。
ずっと、ずっと、大好きです。
あなたの骨が風の前の塵と同じ価値になっても。
何時か終わる花火より下の価値だとしても。
私にとってはどんな宝石よりも大切だから。
ねぇ、気が向いたらお返事をください。
私、幾らでも待てるよ。
死んでも待つからさ。
だから、お返事が欲しいの。
何時もみたいな明るい声で、一言。
ただ名前を呼んでくれればいいの。
霞掛かった声からはもう、分からないから。
大切でも声は薄れてしまうから。
だから、声が聞きたいの。
お願い。
一生の、お願いです。
私の全てを捧げてもいいのよ。
だから、また、声を聞かせて。
その形の綺麗な整った唇から、名前だけを。
吐いた息すら美しいだろう、その声を。
何度も言います。
何度でも言います。
また、声を聞かせてよ。
お返事、ずっと待ってます。
そしてその時に聞かせてね。
あなたの今いる遠い空の景色の事。
私への気持ち。
全部。
全部全部。
全部全部全部。
全部全部全部全部。
全部全部全部全部全部。
全部全部全部全部全部全部。
全部。
愛おしいから。
住むべき環境の変わり目ですが、
どうか、ご自愛くださいませ。
敬具。
2025/08/16
君の愛した私から。
私の愛する君へ。
!マークじゃ足りない感情。
例えば何があるだろう。
初めて産声をあげた時か。
差し出された体温が優しかったことか。
初めて自然に足を踏み入れたことか。
初めて海を見た時か。
初夏満天の星に恋をした時か。
初めてテストが百点だった時か。
流星群の様に時間が過ぎて行くことか。
戻れない過ちを犯した時か。
病気になってしまった時か。
好きな人と両思いになった時か。
その人に振られてしまった時か。
他人に好意を向けられることか。
行為だけを求められた時か。
脈を流れる水に覚えがあったことか。
体にモニターが繋げられた時か。
本当に好きな人と出会ったことか。
幸せに結ばれることか。
考え出しても、やっぱり私には分からない。
吃驚する事は、悲しみにも、嬉しみにも、愛しさや辛さ、切なさにさえも変化できるから。
万年を通して語り継がれてきた感情でも、やっぱり語れないものがある。
だから吃驚で済ませてしまう。
だけどそれだけじゃあ足りないでしょう?
言葉にならなくても表現をして差し上げないと。
名前の無い感情さえ育ててあげなきゃ、駄目でしょう。
何時かそれが、植物の様に、花開く。
それがどんな色か、姿か分からなくても。
私には精一杯愛してあげる他、ないのですから。
だから、名前を付けるんです。
まだ語り足りない感情を育てる為に。
可愛い、私だけの、大切な感情のために。
それに裏切られてしまっても、結局は糧になるのです。
経験値として、積まれていくのです。
だから、無駄ではないと思います。
無駄な感情なんて、一切ないのですから。
君が見た景色。
ふわり、海月が宙を舞う。
くらり、体が傾いていく。
おっと、なんて声が出そうになる。
ぴたり、地に足をつける。
ゆらり、上に移る水面が煌めく。
アクアリウムの檻の中。
自由にふよふよ舞っている。
ハイカラな間接照明に照らされて。
それは様々な色に変化する。
桜吹雪の様に優しい色になり。
雪景色の様に冷たい色になる。
草原の様に青々と茂り、
野花の様に華やかに。
僕も知らない君の横顔。
青い光に照らされて。
海月と融解してしまいそうな君は。
何を見て何を感じていたのか。
僕が見ていた景色には、
必ず君が笑ってて。
君が見ていた景色には、
僕は既に雑草同然か。
何に恋をしていたの。
君の内面を暴きたい。
珊瑚礁の様に彩やかだろう。
臓物引きずり出してその後、
朽ちた死骸のような白く脆く儚いだろう。
君の脳みそを食べたいの。
顔は綺麗に整えましょう。
だって僕の好みだから。
食べてもきっと分からない。
君の恋してたあの景色。
いつか追いつきたいのにさ。
君はもう既に僕から居ない。
そうしてここで待っている。
君が来るのを待っている。
体感約一世紀の恋愛。
実際約三ヶ月の恋愛。
長く続いたよこれでもさ。
君の理想には追いつけないけど。
何時か理想を塗り替えたいな。
全てを僕色にしたいから。
もう居ない君と海中散歩。
僕も海と融解していく。
意識朧気呼吸困難。
だけどそれが心地良い。
早まる心拍は子守唄。
目に映るのは海月の慈悲。
溶けて融けて解けて消える。
次があるならまた会おう。
青い横顔を暴きたい。
君の景色を見てみたい。
それから今度は結ばれよう。
桜散る季節に巡り会おう。
海月の幻想じゃないんだ。
本物の桜を二人で見よう。
肌を滑るカッターの様に。
やらなければ始まらないから。
葡萄酒の様に心を酔わせ、
脳髄が麻痺してしまうまで。
コープスリバイバーの様に爽やかに。
溢れ落ちる赤い宝石の様に。
深く魅惑的な恋をしよう。
ダイアモンドの毒のように
マラカイトの様に溺れよう。
言葉にならないもの
それって本心ではないか。
言葉に出来ずに心の檻へ閉じ込めて。
何時か鍵が開く日を待っている。
閉じ込められているものは自分にも分からない。
だから言葉に出来ない。
溜まるものは溜まる。
そして沈殿して澱のように濁っていく。
体に鉛をつけたまま海に沈むように。
記憶の中でトラウマとワルツを踊る。
顔は見えないのに嫌なもの。
だから言葉に出来ない。
吐き出せたら楽なのに。
それを見つけた瞬間本心も消える。
秘め事がある方が綺麗だから。
秘めていることが本心だから。
綺麗でいたくて繕った。
本心を嘘のヴェールで濁した。
そうしたら嘘が熔けた。
嘘も本心も混ざった。
機能のしないヴェールは消えた
お手をどうぞと笑いかける過去のトラウマ
あと何回踊れば言葉にできるかな。
心中地雷だらけの地面を何時か更地にしたい。
本心を出したいから。
だけどまだまだ見つからない。
本心って何だろう。
今日も知らない人の隣で私踊らされてるの。
それが嬉しいことであるかのように。
言葉に出来ないな。
だって本心って
真夏の記憶
寝苦しさで目を覚ます。
いつの間にか魘されていたのか身体と布団が分離されている。
部屋の隅に置いてあった一人で寝るにしては大きめのベッドからカーテンのように垂れてしまっている。
四肢は投げ出してあり冷や汗が止まらない。
体が思うように動かない。
手足が痺れているのか、何か身体の中に磁石でも埋め込まれていてベッドに引き付けられているのか。
水が飲みたい。
そう思い立ってから身体を動かすのには時間がかからなかった。
なんだ、理由があれば動けるじゃないか。
ついでに用を足しにでも行こう。
軋む階段を着実にゆっくり手摺を掴んで進む。
下に行けば行くほど空気が蒸し暑く蒸籠のようであった。
俺は餃子でも小籠包でもましてや茶碗蒸しでもないぞ。
そんな馬鹿げた思考が熱に犯された脳内を横切る。
あぁ、茶碗蒸しと言えば今度友達でも誘ってゆっくり百円寿司にでも行こうか。
そう思っていた時だ。
下に着きリビングを通り越しキッチンへ着いたとほぼ同時にいきなり冷蔵庫から機械音が鳴った。
「冷蔵ドアを開けた回数が今日三十五回目になりました。」
明るい女性音声が暗い部屋に木霊する。
嘘だろ?
俺はまだ今日一回も開けてないぞ。
何かのシステムエラー、ゲームで言うバグだな。
よし、と自分を勝手に納得させた。
それか母親が開けたのかもしれない。
朝ごはんの仕込みもあるだろう。
それだ、絶対それだ。エラーやバグより現実的だ。
何にしろ俺は触ってない、うん。
縦長のプラスチック容器に入った麦茶を自分のコップへ注ぐ。
そして冷たいうちに飲み干す。
うん、何時もと変わらない。
香ばしい匂いが鼻を突きぬけ冷たさが喉に張り付くからとても気分がいい。
そういえば麦茶に牛乳を入れると珈琲牛乳になると風…まぁ電子の噂で聞いたが今度やってみよう。
本日二度目のくだらない思考と目の前の空になったコップへ意識を奪われていると不意にリビングのエアコンがついた。
何故だか分からない。
どうしてついたのか、親が起きた気配は無い。
電気代が勿体ないだろ、誰も来ないし。
そう思い冷蔵庫に麦茶をしまいコップをシンクへ置く。
起きた自分へのミッションとしてだ。
決して面倒臭い訳ではない。
自分の中で何かに向いながら言い訳をしてリモコンを握る。
すると違和感が。
風が暖かい。
リモコンは暖房二十六度設定。
何故こんなに暑いのに暖房をつけるんだ。
悪趣味だな、俺はマゾヒストじゃないぞ。
え?
可笑しい。
可笑しい可笑しい。
俺何も触ってない。
タイマーも設定してない。
そして何で暖房。
今は真夏。
ましてや夜も蒸し暑く寒いわけではない。
誰だ。
この家は、何が起きてる。
可笑しかった。
通常なら有り得ないことが起きてるから。
語彙力云々もうとうの昔に消えてて自分自身へのツッコミすら追いつかない。
背後でカーテンが揺れる。
見間違えだろうが艶のある黒髪を腰辺りまで伸ばした白い四肢をノースリーブのワンピースから覗かせた綺麗…かは分からないが整った顔立ちの女が見えた。
これって真逆、怪奇現象だったのか?
あの女の人、意外に可愛かったな。
え、嘘だろ?
俺の家に貞子似の女が……?
俺は夢だと思った。
だから急いで暖房を消して、階段を駆け上がった。
用を足そうとしてた頃の余裕のある考えなんかは記憶にすら残ってなくて。
月光が見せる幻覚だとも思った。
だけれど人のいる気配が微かにあった。
母親や父親とは違うまた別の雰囲気。
女性そのものには威圧感は無いはずなのに空気が重くて。
部屋に着いて白いレースカーテンに遮光カーテンを重ねる。
この部屋でもあの女を見たくない。
多分俺は叫び出すから。
そうしたら今度こそ親が起きてきて夜通し怒られて……
いや考えない。
居ないものに思いを馳せても無駄だから。
自室でセットしたタイマーで切れてしまったエアコンを再びつける。
二時間経てばきっと俺も泡沫に沈んでるだろう。
だからあれは夢だ。
だけど夢じゃないなら。
あれからは特に何も起きてない。
何も変わらない不思議な家だ。
俺は華の大学生。
今日からこの家は実家へと呼び名が付く。
俺の新居はここからそんなに離れていないが矢張り住み慣れた家だからか別れが惜しい。
だが俺も何時までも親の脛を齧って生きる訳にもいかない。
あの白い女もあの日以降現れなかった。
だが不思議な事にその日の朝目を覚ましたら俺の机の上にニゲラが飾ってあった。
あの女は夢で俺と仲良く話したかったのか。
何がしたかったんだよ。
喋らないと意味が分からないだろ。
馬鹿なのかあの女は。
シャイガールすぎだろ、花言葉とか。
そんなことを考えていたらトラックが来た。
本当に馬鹿だな。
俺に一言でいいから話せば良かったじゃないか。
俺お前の事引き摺って新居に白いレースカーテン使ってるんだよ。
だからちゃんと人間として現れろよ馬鹿。
お前の事友達に自慢して幸せにしてやるから。
あんな白いワンピースよりもっと高いウェディングドレス着せてやるからさ。
俺、お前にあの時歪められてんだ。
責任取れよ。
記憶に恋するとか馬鹿げてるだろ。
怖いし幸せな記憶ってなんだよ。
そうだ、そういえばあの家って実は