!マークじゃ足りない感情。
例えば何があるだろう。
初めて産声をあげた時か。
差し出された体温が優しかったことか。
初めて自然に足を踏み入れたことか。
初めて海を見た時か。
初夏満天の星に恋をした時か。
初めてテストが百点だった時か。
流星群の様に時間が過ぎて行くことか。
戻れない過ちを犯した時か。
病気になってしまった時か。
好きな人と両思いになった時か。
その人に振られてしまった時か。
他人に好意を向けられることか。
行為だけを求められた時か。
脈を流れる水に覚えがあったことか。
体にモニターが繋げられた時か。
本当に好きな人と出会ったことか。
幸せに結ばれることか。
考え出しても、やっぱり私には分からない。
吃驚する事は、悲しみにも、嬉しみにも、愛しさや辛さ、切なさにさえも変化できるから。
万年を通して語り継がれてきた感情でも、やっぱり語れないものがある。
だから吃驚で済ませてしまう。
だけどそれだけじゃあ足りないでしょう?
言葉にならなくても表現をして差し上げないと。
名前の無い感情さえ育ててあげなきゃ、駄目でしょう。
何時かそれが、植物の様に、花開く。
それがどんな色か、姿か分からなくても。
私には精一杯愛してあげる他、ないのですから。
だから、名前を付けるんです。
まだ語り足りない感情を育てる為に。
可愛い、私だけの、大切な感情のために。
それに裏切られてしまっても、結局は糧になるのです。
経験値として、積まれていくのです。
だから、無駄ではないと思います。
無駄な感情なんて、一切ないのですから。
8/15/2025, 10:00:55 AM