真夏の記憶
寝苦しさで目を覚ます。
いつの間にか魘されていたのか身体と布団が分離されている。
部屋の隅に置いてあった一人で寝るにしては大きめのベッドからカーテンのように垂れてしまっている。
四肢は投げ出してあり冷や汗が止まらない。
体が思うように動かない。
手足が痺れているのか、何か身体の中に磁石でも埋め込まれていてベッドに引き付けられているのか。
水が飲みたい。
そう思い立ってから身体を動かすのには時間がかからなかった。
なんだ、理由があれば動けるじゃないか。
ついでに用を足しにでも行こう。
軋む階段を着実にゆっくり手摺を掴んで進む。
下に行けば行くほど空気が蒸し暑く蒸籠のようであった。
俺は餃子でも小籠包でもましてや茶碗蒸しでもないぞ。
そんな馬鹿げた思考が熱に犯された脳内を横切る。
あぁ、茶碗蒸しと言えば今度友達でも誘ってゆっくり百円寿司にでも行こうか。
そう思っていた時だ。
下に着きリビングを通り越しキッチンへ着いたとほぼ同時にいきなり冷蔵庫から機械音が鳴った。
「冷蔵ドアを開けた回数が今日三十五回目になりました。」
明るい女性音声が暗い部屋に木霊する。
嘘だろ?
俺はまだ今日一回も開けてないぞ。
何かのシステムエラー、ゲームで言うバグだな。
よし、と自分を勝手に納得させた。
それか母親が開けたのかもしれない。
朝ごはんの仕込みもあるだろう。
それだ、絶対それだ。エラーやバグより現実的だ。
何にしろ俺は触ってない、うん。
縦長のプラスチック容器に入った麦茶を自分のコップへ注ぐ。
そして冷たいうちに飲み干す。
うん、何時もと変わらない。
香ばしい匂いが鼻を突きぬけ冷たさが喉に張り付くからとても気分がいい。
そういえば麦茶に牛乳を入れると珈琲牛乳になると風…まぁ電子の噂で聞いたが今度やってみよう。
本日二度目のくだらない思考と目の前の空になったコップへ意識を奪われていると不意にリビングのエアコンがついた。
何故だか分からない。
どうしてついたのか、親が起きた気配は無い。
電気代が勿体ないだろ、誰も来ないし。
そう思い冷蔵庫に麦茶をしまいコップをシンクへ置く。
起きた自分へのミッションとしてだ。
決して面倒臭い訳ではない。
自分の中で何かに向いながら言い訳をしてリモコンを握る。
すると違和感が。
風が暖かい。
リモコンは暖房二十六度設定。
何故こんなに暑いのに暖房をつけるんだ。
悪趣味だな、俺はマゾヒストじゃないぞ。
え?
可笑しい。
可笑しい可笑しい。
俺何も触ってない。
タイマーも設定してない。
そして何で暖房。
今は真夏。
ましてや夜も蒸し暑く寒いわけではない。
誰だ。
この家は、何が起きてる。
可笑しかった。
通常なら有り得ないことが起きてるから。
語彙力云々もうとうの昔に消えてて自分自身へのツッコミすら追いつかない。
背後でカーテンが揺れる。
見間違えだろうが艶のある黒髪を腰辺りまで伸ばした白い四肢をノースリーブのワンピースから覗かせた綺麗…かは分からないが整った顔立ちの女が見えた。
これって真逆、怪奇現象だったのか?
あの女の人、意外に可愛かったな。
え、嘘だろ?
俺の家に貞子似の女が……?
俺は夢だと思った。
だから急いで暖房を消して、階段を駆け上がった。
用を足そうとしてた頃の余裕のある考えなんかは記憶にすら残ってなくて。
月光が見せる幻覚だとも思った。
だけれど人のいる気配が微かにあった。
母親や父親とは違うまた別の雰囲気。
女性そのものには威圧感は無いはずなのに空気が重くて。
部屋に着いて白いレースカーテンに遮光カーテンを重ねる。
この部屋でもあの女を見たくない。
多分俺は叫び出すから。
そうしたら今度こそ親が起きてきて夜通し怒られて……
いや考えない。
居ないものに思いを馳せても無駄だから。
自室でセットしたタイマーで切れてしまったエアコンを再びつける。
二時間経てばきっと俺も泡沫に沈んでるだろう。
だからあれは夢だ。
だけど夢じゃないなら。
あれからは特に何も起きてない。
何も変わらない不思議な家だ。
俺は華の大学生。
今日からこの家は実家へと呼び名が付く。
俺の新居はここからそんなに離れていないが矢張り住み慣れた家だからか別れが惜しい。
だが俺も何時までも親の脛を齧って生きる訳にもいかない。
あの白い女もあの日以降現れなかった。
だが不思議な事にその日の朝目を覚ましたら俺の机の上にニゲラが飾ってあった。
あの女は夢で俺と仲良く話したかったのか。
何がしたかったんだよ。
喋らないと意味が分からないだろ。
馬鹿なのかあの女は。
シャイガールすぎだろ、花言葉とか。
そんなことを考えていたらトラックが来た。
本当に馬鹿だな。
俺に一言でいいから話せば良かったじゃないか。
俺お前の事引き摺って新居に白いレースカーテン使ってるんだよ。
だからちゃんと人間として現れろよ馬鹿。
お前の事友達に自慢して幸せにしてやるから。
あんな白いワンピースよりもっと高いウェディングドレス着せてやるからさ。
俺、お前にあの時歪められてんだ。
責任取れよ。
記憶に恋するとか馬鹿げてるだろ。
怖いし幸せな記憶ってなんだよ。
そうだ、そういえばあの家って実は
8/12/2025, 11:02:14 AM