夢じゃない
夜景に墨が吹きかけられた様に一気に意識が落ちる。
直後黒に金粉が降りかかる様に光が入る。
雪国の人なら分かるだろう。銀景色に斜陽が煌めき地面が黄金色に輝くあの瞬間の様だ。
目を開ける。が何故か目が熱い。
蒸しタオルで温めているくらい。
そして重い。
何故だろう。
確か昨日は振られてヤケになって酒を煽って……
そこからがない。
頭蓋骨が軋むようにギシギシ痛くて、曖昧。
俺のあの一瞬は夢だったのか。
携帯電話を開けばそこに映る愛おしい、否、恨みたくなるほど可愛い笑顔をこちらに向けるお前が映ってて、とても胸が痛い。
これが、失恋の痛みか。
なんとも形容しがたい、辛く深く、心臓に縄でも巻いているようなそんな心地だ。
ぽっと出のちょっと顔がいいやつにお前が取られて、
あ、あれお前の言ってたやつ?違うよ〜ただの友達。
なんで言われて、問い詰めたら……振られて。
何でだよ。俺何かしたかよ。
あれは夢だったのかよ。
俺だけ必死で馬鹿みたいだったな。
でも俺お前のこと好きなわけじゃなかったし。
じゃあ、何でこんなに苦しいんだ。
今まで当たり前にいた体温は冷めて、毎朝電話の15分が空白恋愛に注ぎ込まれて暇な時間の分俺を苦しめた。
そうなると嫌でも強がってた仮面が剥がれるわけで自分自身と真面目に向き合える。
だからつくづく思う。
あの時間は確かに今考えれば無駄だった。
だけどそこに意味を成していた。
そこに確かな相互関係と愛情があった。
それだけは夢じゃない。
信じていい事だったんだな。
俺は今日またお前に会いに行く。
新しいやつと結ばれた記念に華でも手向けてやろうと思ってな。
愛情という優しく深く痛い刃物で俺もお前も死ねばいい。
じゃあ、さようならをしようか。
世界で一番憎くて屑で愛らしくて可憐なお前と、この目の前の幸せにしか目を向けられないただの青い鳥籠に。
あぁ、俺、泣いてたんだな。
心の羅針盤
前後左右不覚で、ただ気泡のように揺れている。
ただ生という円環の海に投げ出されて。
ここにいつ来たか、そんなのもう忘れた。
何回生まれて何回死んだのだろう。
ずっと探していたものは、何か。
そんなの分からない。
だけど探す為に円環にいるんだろう。
だけど、やっぱり分からない。
だからその為に羅針盤があるのだ。
心のコンパス。
未来と過去の合流地点を示す便利な道具。
自分を見失わないように。
何時も未来を紅が指す。
過去を銀で彩る。
例え航海図が何も分からない純白で彩られていたとしても自分という可能性で彩ってあげよう。
規制の枠から飛び出して全てを受け入れよう。
自分のそのままを愛そう。
正解なんて分からない。
だけど自分の望むことをやるために。
失っても道がいつか自然に出来るように。
この円環から抜けて自分のやりたかった事が出来る。
そんないつかの世界を夢見て今日もまた生まれる。
今度は何になるのかな
またね
「じゃあね」
「またね」
朝、地平線の向こうへ西に星屑を散らしながら琥珀色の熱が此方を見つめ山間から顔を出す。夜とは違いとても清々しく綺麗な陽。
「おはよう」
そう言ったらキラキラと笑いながら
「おはよう」
そう返ってくるような気もした。
とても晴れて空気が乾燥していた硝子のような朝だった。
私の凪いだ心に今日最初の別れを告げる
じゃあ、またね。
昼、太陽が熱く地面を照りつける痛い暑さが私の肌を赤く染める。朝の静けさとは打って変わり希望と情熱に満ち溢れた元気な光。
「こんにちは」
そう言ったら子供のようにはしゃぎながら元気に
「こんにちは!」
そう返って来る気もした。
とても熱く情熱に満ち溢れていた元気な昼だった。
水彩絵の具で彩られた爽やかな空に別れを告げる
じゃあ、またね。
夜、煌めく星々が集まり私の頭上で密談をしている。誰にも言っちゃだめだよ。分かった!とでも話しているかのようにくすくす笑っている。小さな幸せが見つけられる静寂と小さな希望に満ちた小さな輝
「こんばんは」
「ふふっ、こんばんは」
そう返って来る気もした。
静けさの中に浮かぶ星と優しく世界を包み込む月明かりのデュオが美しい夜だった。
昼という舞台が終わり夜という幕が下ろされ子供の落描きの様に活き活きしていた空気に別れを告げる
じゃあ、またね。
意識が落ちる。
それは深く広く静かに。
水の中に墨汁を落とした時の様に跡形もなく今日が終わる。
また日めくりカレンダーを捲る。
太陽暦に刻み込まれた昨日という一日に告げる終演。
決して捨てる訳ではない。
規範を抱えて生きるために少しお別れするだけだ。
カプリチオなんかじゃあ語れないシステマチックな社会を生きる為に、何時も傍には365よりも多くのさようならがある。
脈を保つ為には変化に順応しなければならない。
だから今日も、明日も、その次の日も。
みんな変わらず何かにまたねを告げるんだ。
ただしそれは永遠の別れじゃない。
縁があってこそのまたねだから。
また必要な時に自分の幸福として巡り巡って糸を辿りやってくる。
それは時に無情にも心を痛め付けるかもしれない。
最愛との別れをもたらすかもしれない。
時間というヴェールで宝物を隠すかもしれない。
だが反面出会いがある。
失ったら何かが手元に来るのが相場なのだ。
だからまたねは悲しいことでは無い。
寧ろ、美しいことなんだよ。
泡になりたい
いつからか、ずっとその思考と生きていた。
それは暑さと執拗いほどの湿気を感じ始めるあの入梅から秋の始まりまで続き未練がましく脳みそに纏わりつく。
まるで聖母か何か優しく導かれている様な穏やかな気持ちになるのにも関わらず実際蓋を開けると人魚姫を人間に変えた魔女がこちらに向かって挑発的においでよ。とでもしたり顔を向けている。そんなイメージだ。
愛だとか恋だとかそういう物より、多分、自由が欲しいから。
だから泡になって海に溶けて何処までも流れたい。そう考えているんだ。きっと。
不確かなのは僕にも分からないから。
僕はなんで泡になりたいのか分からないのに泡というものに惹かれ続けている。
ただ単に水が好きだからかもしれない。
実家が海辺だったからかもしれない。
だけど、今思えば最大の原因は君を海で失ったからかな。
僕が目を離した隙に、いつの間にか君は僕の手の届かない人魚になってしまった。
近所の子供が溺れていて助ける為に自分は犠牲に。
なんて、君らしい。
最後まで本当に君らしくて、逆に笑えてきて、
泣きたくないのに、泣くつもりはなかったのに何故か頬を生暖かい潮が撫でて非現実への道を作っていた。
此方を見つめて静かに微笑みかける顔は生きていた頃とは変わらず愛らしくて愛おしくてずっとずっと眺めていられるのに妙に人間離れした青白さを持つから嫌でも現実を認めないといけなくて。
君を助ける為なら命だって賭けられたのに、僕のこの言葉は実際君が子供を助けるために使って、僕はまた君に何も出来ずに終わって。
今すぐ君に会いたいんだ。
だから毎日海に行った。
だけどいざ近寄ると君の姿が見えてしまって、悲しげに微笑んでるから来て欲しくないんだろうなって君なりに伝えてくれることが分かったからいつも家に帰れた。
僕はずっと、君に助けて貰ってばかりだな。
だから今度は僕が助けに行くよ。
独り善がりになるかもしれないけれど、君は怒るかもしれないけれど、それでもずっと独りぼっちで砂浜に打ち上げられている君を見ているのは、心が痛い。
君との思い出に身を投げよう。
静かに笑ってありがとうと言おう。
泣きそうになっている君が見えるけれど、本当は気付いていたんだ。
僕がさっきから語ってる人魚姫になった君も、打ち上げられていた君も全部幻だったと。
だから泣かないでくれよ。
ここでひとつになろう。
僕達は不運なダッチェス。
生前できなかった事はここで補完しよう。
2人で水底に咲き誇る水中花になろう。
深海のヴェールを纏って君が満足するまで藍色に舞おう。
泡になりたいんじゃない、僕は
ならなければいけなかったんだ。
君のためなら、何でもする。
そうだ、君に伝えたかったことがある。
僕は君の事が
ただいま、夏。
今年もあの季節がやってくる。
潮の匂いが鼻をくすぐり目の前の青を駆け抜ける清々しい季節。
何時もの道を抜ければ前までは君がいて私も泡が弾けるように肩を揺らして大きく笑いながら遊んだあの海がある。
沖縄やハワイ何かみたいな透明感は持ち合わせてないけど絵の具をパレットからそのまま落としたような深くて濃い青が私を癒してくれた。そんな場所。
だけど違う。
そこは癒しだけど癒しじゃない。
癒してくれる優しさと何かが消える表裏一体な関係で存在していたって思い知ったから。
君が消えた日に鳴ってたあの音が私の脳裏に突き刺さって海月の毒の様に今でもずっとトラウマという形でしがみついている。
行きたくないのに行けば君が見える気がして、何時かまた何処からか顔を出して前みたいに笑いながら何時も通りに話してくれる気がしてずっとずっと囚われている。
誰もいない砂浜、街灯と初夏の星に照らされた綺麗な光の糸を紡ぐ海には今日もまたあの音が鳴る。
招かれざる客が此方を覗いて笑っているから。