またね
「じゃあね」
「またね」
朝、地平線の向こうへ西に星屑を散らしながら琥珀色の熱が此方を見つめ山間から顔を出す。夜とは違いとても清々しく綺麗な陽。
「おはよう」
そう言ったらキラキラと笑いながら
「おはよう」
そう返ってくるような気もした。
とても晴れて空気が乾燥していた硝子のような朝だった。
私の凪いだ心に今日最初の別れを告げる
じゃあ、またね。
昼、太陽が熱く地面を照りつける痛い暑さが私の肌を赤く染める。朝の静けさとは打って変わり希望と情熱に満ち溢れた元気な光。
「こんにちは」
そう言ったら子供のようにはしゃぎながら元気に
「こんにちは!」
そう返って来る気もした。
とても熱く情熱に満ち溢れていた元気な昼だった。
水彩絵の具で彩られた爽やかな空に別れを告げる
じゃあ、またね。
夜、煌めく星々が集まり私の頭上で密談をしている。誰にも言っちゃだめだよ。分かった!とでも話しているかのようにくすくす笑っている。小さな幸せが見つけられる静寂と小さな希望に満ちた小さな輝
「こんばんは」
「ふふっ、こんばんは」
そう返って来る気もした。
静けさの中に浮かぶ星と優しく世界を包み込む月明かりのデュオが美しい夜だった。
昼という舞台が終わり夜という幕が下ろされ子供の落描きの様に活き活きしていた空気に別れを告げる
じゃあ、またね。
意識が落ちる。
それは深く広く静かに。
水の中に墨汁を落とした時の様に跡形もなく今日が終わる。
また日めくりカレンダーを捲る。
太陽暦に刻み込まれた昨日という一日に告げる終演。
決して捨てる訳ではない。
規範を抱えて生きるために少しお別れするだけだ。
カプリチオなんかじゃあ語れないシステマチックな社会を生きる為に、何時も傍には365よりも多くのさようならがある。
脈を保つ為には変化に順応しなければならない。
だから今日も、明日も、その次の日も。
みんな変わらず何かにまたねを告げるんだ。
ただしそれは永遠の別れじゃない。
縁があってこそのまたねだから。
また必要な時に自分の幸福として巡り巡って糸を辿りやってくる。
それは時に無情にも心を痛め付けるかもしれない。
最愛との別れをもたらすかもしれない。
時間というヴェールで宝物を隠すかもしれない。
だが反面出会いがある。
失ったら何かが手元に来るのが相場なのだ。
だからまたねは悲しいことでは無い。
寧ろ、美しいことなんだよ。
泡になりたい
いつからか、ずっとその思考と生きていた。
それは暑さと執拗いほどの湿気を感じ始めるあの入梅から秋の始まりまで続き未練がましく脳みそに纏わりつく。
まるで聖母か何か優しく導かれている様な穏やかな気持ちになるのにも関わらず実際蓋を開けると人魚姫を人間に変えた魔女がこちらに向かって挑発的においでよ。とでもしたり顔を向けている。そんなイメージだ。
愛だとか恋だとかそういう物より、多分、自由が欲しいから。
だから泡になって海に溶けて何処までも流れたい。そう考えているんだ。きっと。
不確かなのは僕にも分からないから。
僕はなんで泡になりたいのか分からないのに泡というものに惹かれ続けている。
ただ単に水が好きだからかもしれない。
実家が海辺だったからかもしれない。
だけど、今思えば最大の原因は君を海で失ったからかな。
僕が目を離した隙に、いつの間にか君は僕の手の届かない人魚になってしまった。
近所の子供が溺れていて助ける為に自分は犠牲に。
なんて、君らしい。
最後まで本当に君らしくて、逆に笑えてきて、
泣きたくないのに、泣くつもりはなかったのに何故か頬を生暖かい潮が撫でて非現実への道を作っていた。
此方を見つめて静かに微笑みかける顔は生きていた頃とは変わらず愛らしくて愛おしくてずっとずっと眺めていられるのに妙に人間離れした青白さを持つから嫌でも現実を認めないといけなくて。
君を助ける為なら命だって賭けられたのに、僕のこの言葉は実際君が子供を助けるために使って、僕はまた君に何も出来ずに終わって。
今すぐ君に会いたいんだ。
だから毎日海に行った。
だけどいざ近寄ると君の姿が見えてしまって、悲しげに微笑んでるから来て欲しくないんだろうなって君なりに伝えてくれることが分かったからいつも家に帰れた。
僕はずっと、君に助けて貰ってばかりだな。
だから今度は僕が助けに行くよ。
独り善がりになるかもしれないけれど、君は怒るかもしれないけれど、それでもずっと独りぼっちで砂浜に打ち上げられている君を見ているのは、心が痛い。
君との思い出に身を投げよう。
静かに笑ってありがとうと言おう。
泣きそうになっている君が見えるけれど、本当は気付いていたんだ。
僕がさっきから語ってる人魚姫になった君も、打ち上げられていた君も全部幻だったと。
だから泣かないでくれよ。
ここでひとつになろう。
僕達は不運なダッチェス。
生前できなかった事はここで補完しよう。
2人で水底に咲き誇る水中花になろう。
深海のヴェールを纏って君が満足するまで藍色に舞おう。
泡になりたいんじゃない、僕は
ならなければいけなかったんだ。
君のためなら、何でもする。
そうだ、君に伝えたかったことがある。
僕は君の事が
ただいま、夏。
今年もあの季節がやってくる。
潮の匂いが鼻をくすぐり目の前の青を駆け抜ける清々しい季節。
何時もの道を抜ければ前までは君がいて私も泡が弾けるように肩を揺らして大きく笑いながら遊んだあの海がある。
沖縄やハワイ何かみたいな透明感は持ち合わせてないけど絵の具をパレットからそのまま落としたような深くて濃い青が私を癒してくれた。そんな場所。
だけど違う。
そこは癒しだけど癒しじゃない。
癒してくれる優しさと何かが消える表裏一体な関係で存在していたって思い知ったから。
君が消えた日に鳴ってたあの音が私の脳裏に突き刺さって海月の毒の様に今でもずっとトラウマという形でしがみついている。
行きたくないのに行けば君が見える気がして、何時かまた何処からか顔を出して前みたいに笑いながら何時も通りに話してくれる気がしてずっとずっと囚われている。
誰もいない砂浜、街灯と初夏の星に照らされた綺麗な光の糸を紡ぐ海には今日もまたあの音が鳴る。
招かれざる客が此方を覗いて笑っているから。
ぬるい炭酸と無口な君
泡が弾けた。まるで花火の様だ。
儚く散る線香花火にそっくりでそれはすぐに空気に溶けてしまう。
君からも僕はこう映っているのかな。
何でもいいから覚えて欲しい。
そんなことを考えてもきっと無駄だ。
若いうちに認知症になって僕の事なんて何も知らないんだから。
もう他人なのに僕の脳裏には君が住み着いていて声も忘れたはずなのに話しかけてくれる君が愛おしくて、今はいない明るい君をずっと夢見てた。
人魚姫でさえ好きな人の為に泡になれたのに僕はそんな覚悟すら決められなくて君の中の僕の延命処置を続ける為だけに毎日話しかけているようなものなんだ。
もう口も開かないでこちらを硝子玉の様な綺麗な目で見つめる君には分からないと思うけれど僕は君が好きだった。
本当に、本当に好きだった。
そんな事を思い返しながらラムネ瓶に口を付けた。
それは君の体温のようにぬるくてそれが妙に気持ち悪くて優しい味がした。
もう戻らない日々に。
藍色に散る夏の風物詩に意識を投げながらそう思った
波に攫われた手紙
私だけが知る秘密
小さな瓶に想いを詰めて遠くの誰かに届けばいいのに
いつも返ってくるのは泡と藻屑とシーグラス
なんでかな
何時もより空が暑くて青に濁ってて手を伸ばせば触れそうなのに綺麗なはずの空が汚く見えて触れたくない
私は何時までここにいればいいのかな
私は何がしたかったのかな
見失いたくないな
攫われてもいいから想いを詰めて波に流したら
いつか誰かに届くかな
でもその時に私はいるのかな
私も手紙も攫われて消えたりしてないかな
私が居なくてもお返事が欲しいな
だって誰かに気づいてほしいもの
無駄なことだってわかってるのにね
私もきっと