些細なことでも
着席するギリギリの時間帯に登校した生徒たちが急いで教室まで駆け上っている。いつも通りがやがやと騒がしい昇降口を、少し焦りながら人の流れに沿って歩く。ちらちらとスマホを確認しつつ、秒刻みに時刻を確認する。こんなことしたくないと思いつつ、いつもギリギリまで寝ているのだから人は愚かだ。
こう忙しい時に限って無駄に回る思考と一緒に足を動かして教室へ向かう。僕の教室は同じような人が多く、この階で急いでいる人の大半は知っている顔だ。流れるようにおはようと声をかけ合っていると、「あと何秒だぞー!」と 教師が声を張り上げている。それを聞いて速度を上げるのがいつもの光景だ。
着席時間ギリギリに教室に着き、チャイムの音と同時に席に着く。僕の後ろにも何人かいたから、そいつらは大丈夫だろうか。そう思っていると、
「はい、今入ってきたお前ら。遅刻な〜」
よろよろと席に着いた生徒を指しながら、担任が名簿にチェックを入れている。そう言われた生徒はブーイングを飛ばすが、担任は何処吹く風だ。
それもまたいつも通りの光景で、なんだか少し笑ってしまった。
「ん?何かいい事あったの」
僕の様子を見て、HR中でも隣から普通に話しかけてくるのは流石だと思う。声を抑え目にしている代わりに、手を口元に当てているのが可愛い。
「いや、この光景がちょっと面白くてさ」
「なにそれ。自分は間に合ったから?」
「そうかも」
二人でこそこそと話すのは何故かいつもよりも楽しく感じてしまう。しかし長くは続かないのが常で、担任に見られて会話は終わる。青春の1ページを過ごしているようで楽しい。今日は確かに気分がいいのだろう。
担任が必要事項を話終わり、HRは終わる。もう何週と繰り返して体に染み付いた一限を受けるため、ぞろぞろと準備を始める。
「うい、おはよう。今日からやる内容変わるとか言ってたよな?」
ぽん、と軽く小突いてきたのに気づいて、僕もおはよう、と返す。
「そうだった気がする。確かバスケとか言ってなかった?」
「あれそうだっけ。うわ楽しみだわ」
カラッと笑って、そのまま近くの机を借りて着替えを始める。雑談しながらさっさと着替え、体育館に行く途中でジュースを買った。
「暑さがとか何とかニュースで言ってたけどさ、普通に暑いよな」
「それ。全然変わらないよ」
残暑の季節なんか存在せず、夏休みが明けて少し経っても暑さはずっと現役だった。 僕らは辟易しながらゆっくり歩く。
話しながら歩いていると、靴に履き替えている女子達が目に入った。
「うーわ、大変だな女子は。これから外とか」
「女子めちゃくちゃ文句言ってたよね」
「そりゃそうだわ。良かった〜入れ替えがこの時期で」
今日は気分的にラッキーっぽい事が多い気がする、なんてふと思う。ポジティブの日なのかもしれない。
こうして些細なことでも笑ったり落ち込んだりしていると、青春っぽいなと思う。何気ない日常を過ごして、そんな日常に飽きて、刺激を求めて。でもまた普通が恋しくなる。僕たちは面白い。そんなふうに思った。
夏は、きっとまだ続いている。夏の魔法はもう無いかもしれないけど、次の季節と慣れた日常が、僕らを普通の青春に連れていく。それぞれの想いを秘めて。
開けないLINE
ブー。電気を消した部屋に小さな振動と光が、私の隣で存在を主張した。今せっかく気にしないようにブランケットにくるまったのに。もう少し意地を張ってやる。あと少し、いや10分は開かない。
しかしその後にスマホは振動することなく光は溶けていった。その静寂と自分の中の高揚感に負けないように、ダンゴムシみたいに体をキュッと丸める。 この位の誘惑に負けているようじゃ、乙女は弱い。じっと耐えるのだ。
まあ、そんなことが出来たらご飯の後にお菓子を食べてないし、今スマホを開いてない。いや中身を確認するだけ。さすがにそれくらいなら良いでしょ、多分……!
自分の中に存在する謎の優劣で、来た返事だけロック画面で確認する。光の眩しさと返事の中身にビビりながら、ゆっくり細めた目を開けていく。
そこに書いてあったのは、
「……あー、うん」
別に、そこで期待していた訳じゃない。いやほんとに。でもまあ少しくらい、希望を持つくらい良いんじゃないかと思う。誰に責められる訳でもなく言い訳を重ねる。胸にある重さを吐き切りたい。何回体験しても、この重みは慣れるものじゃないな。
枕に顔を埋めて、一人感情に浸る。言い訳は頭をぐるぐると思考して一色に埋めていく。暗い感情ばかりが溜まっていって、そんな事しか考えられない自分に嫌気がさして、また溜まる。いつもの無限ループに入ったら、もう誰も手をつけられない。一人暗い部屋で怪物が生まれる。王子も勇者も居ないから、勝手に死んでいくんだけど。
ある程度時間が経つと、何故か冷静になる。無理っていう感情はあるけど、自分の中の考えというか、理屈が顔を出してくる。そして、それを取っ払うように、また開けないLINEが一件増えてしまったと一瞬思ってスマホの電源を切る。
明日学校なんて知らない。これくらい許して欲しい。あとは頼んだお母様。まあどうせ寝れないけど。
華の女子高生が泥水をすすって生きてます。これが現実。政治家はもっと考えて政治をした方がいい。私たちは若いんだから、優遇すべきだ。例えば、失恋で学校を休んだら、もしくは遅刻しても無しにするとか。
頭の中にいる誰かに話しかけて、責めながら、泣きながら、反省しながら、恨みながら、時間を溶かしていつしか意識は落ちていった。
優越感、劣等感
書いた文章が消えた。一瞬のことだった。
カタカタとパソコンで一時間半近くの作業がパーになった。悩んでたのも閃いたのも、捻り出した語彙も全部が終わった。僕は机に突っ伏して脱力している。
「はあーー」
自分でも引くぐらい深いため息が部屋に充満した。このまま寝てしまおうか。全部投げ出して、現実逃避するのも悪くないのではないか。でもダメだ。自分のことだから、自分が悪いのだから、やり通さなくては。
感情と理性が脳で戦っている。正直勝って欲しいのは感情だが、こう考えている時点できっと理性が勝っている。大人しくもう一度書きあげることにした。
すると、トントントンとドアが叩かれる。
「どうぞお」
さすがに流石にダメだろう、それは。あまりにやる気が無さすぎている。
だが、部屋に入ってきた奴はそんなことも気にせず、ぽす、とベッドに座った。
「センセイ、小説書き終わりましたか」
「僕の今の状態を見ろ。あと画面も。真っ白だろ」
その場から首を傾けて、伸ばして、見えてるか分からない無表情で僕の周りを観察した後、「書けてないんですか」ポツリと零した。
「書けてたよ。さっき全部消えたの」
ああ、と納得したように頷く。じゃあ一からですね、と悪魔のような言葉が飛んできた。しかも何故か嬉しそうだった。悪魔だ。
「……そうなるな。うん。あー」
やっと起き上がってキーボードに手を置く。同じ内容は絶対に書けない、どうしようか。悩んでいるうちに、徐々に気分が落ちていく。さっきまであった優越感は、劣等感に侵食され、脳を支配し始める。そうなってしまえばもう書けはしない。とりあえず、気分を変えようと席を立つ。
「どこか行くんですか」
「コーヒーでも飲もうかと思って」
僕の後を着いてきて、キッチンの隣に立っては手伝いを始める。手慣れた作業で準備を進めていって、僕の家だと思えないくらい、キッチンの扱いを熟知していた。
「君、どれくらいここにいるっけ」
「そんなに経ってないです。半年位ですかね」
半年も経ったか、と僕は思うのだが。でもそうか、そんなに経ったのか。でも未だ僕は、君に何も返せていない。
「僕は、君に任せっぱなしだな」
「いえ、楽しいですから」
無表情で言われても。カチャカチャとスプーンがコップにぶつかって二人だけのキッチンに響く。
帰り道。落ち葉が風に巻き込まれ、高く舞った。春と違って、舞っても全然綺麗じゃない。私は秋がそんなに好きじゃなかった。
足元の落ち葉をカサカサと蹴る。大きくて鬱陶しいそれを、無関心に踏みつけた。
陽の落ちる時間が、徐々に早くなっている。私の気分も落ちていくように思えた。夜は寒いから。
まだ時期には早いけれど、マフラーをしていた。この時期に君から貰ったものだった。君は寒がりだったから、早めに買っていたのを思い出す。それにしても早すぎるのではないかと、思い出して苦笑した。でも、心が温かくなる。本当に大切なんだと実感した。マフラーをきゅっと握る。
今、元気にしているかな。ふと思う。これまでずっと一緒だったから、今隣にいないのはとても寂しい。なんて、本人の前では言えないけれど。
顔を上げると、夕焼けが眩しく空を照らしていた。橙の強い光が、私と街を照らして、空を暗く焦がし始めていた。
帰り道の下り坂。そんなに高くはないけれど、街を上から見るのは好きだった。住んでいる街を上から見るのは、なんとも言えない高揚感と、寂しさを感じるから。
重い足を下りの流れに乗せて歩く。自然と下を向くその先に、一つの影が立っていた。影が濃いな、と思った。きっと私の後にも、暗く濃い黒があるのだろう。夕焼けが見せる夜の合間は、なんでこんなに寂しくなるのだろうか。
歩いていると、その影が近づいてくるのが分かった。影じゃなくて人をみようと顔を上げる。
それは、よく知る顔だった。東京へ一人、この街から抜けて行った君だった。
「──っ」
目は見開いている。喉が締まって上手く声が出ない。体は気を抜いたら倒れてしまいそうだ。上手く立てているだろうか。
「……ごめん、待たせて」
感情も頭も整理しないまま、君の言葉を受け取った。でも、なんて言ったら良いかなんて分からなくて、これまでの感情も言葉も何もかもがあったのに。消えて、ただ。
「──う、れしい」
それだけだった。それだけで良かった。君は笑って抱きしめる。その抱擁がとても幸せで、抑えの無くなった感情が涙と声になって溢れた。
これまでずっと待っていたんだから、これから尽くしてくれなきゃダメだって、そう思っても言葉にならなかった。
帰ってきてくれてありがとう。私の元へ来てくれてありがとう。声をきかせてくれて、謝ってくれて、抱きしめてくれて、それから、それから──。
夕焼けが、私たちを包む。くらい影の形が曖昧になるまで、私たちはずっと。これまでを埋めるように、二人で。
波が引いては近づいてくる。
辺りは闇で満たされていて、砂浜に打ち付ける音だけが辺りに響いていた。
本当に真っ暗だ。都会の海なんて大したことなくて、こんなに暗くないと海で癒されることはないと思う。汚いし、濁ってるし、ゴミあるし。それらを闇が隠して、やっと海だと感じられる。もはや音だけが海だと言っているようなものだけれど。
今夜は星もないし、月もない。海だけじゃなく空気も濁っているここは、何もいい所なんて無い。いや、それは言い過ぎかもしれないけれど。
荒れてるなと、私が一番思っている。理由も分かっている。でも、だからどうという事でもない。解決する訳じゃわないから。むしろもう終わった後だ。
「前なら、明るい海の方が好きだったかな」
もう忘れてしまった。それとも、思い出したくないのか。感情のない呟きは、海に飲まれて消えてしまった。
隣を見ても、海に一緒に来てくれる君はもう居ない。無理に連れてきてたかな。君はまたここに来たりするのだろうか。海に来ても、ずっと隣の君を見ていたことを思い出した。
溢れそうになる感情を抑える。でも直ぐに無理だと察する。
顔が熱い。胸が締め付けられるように苦しい。
でも。いや無理だ。
寄せる波に足で触れる。しゃばしゃばと水が戯れる。海は私を歓迎してくれているように思えた。頬を伝うそれと同じだから、なんて馬鹿なことを思った。
感情が溢れても、声は殺そうと必死だった。声を上げてしまったら、きっともう止まらないだろうから。
膝当たりまで入ったところで、スマホが震えて光る。まるでこれ以上はダメだと知らせるように。
通知なんて、もう気にすることなんてない。君から1件のLINEも、来ることなんてないから。