優越感、劣等感
書いた文章が消えた。一瞬のことだった。
カタカタとパソコンで一時間半近くの作業がパーになった。悩んでたのも閃いたのも、捻り出した語彙も全部が終わった。僕は机に突っ伏して脱力している。
「はあーー」
自分でも引くぐらい深いため息が部屋に充満した。このまま寝てしまおうか。全部投げ出して、現実逃避するのも悪くないのではないか。でもダメだ。自分のことだから、自分が悪いのだから、やり通さなくては。
感情と理性が脳で戦っている。正直勝って欲しいのは感情だが、こう考えている時点できっと理性が勝っている。大人しくもう一度書きあげることにした。
すると、トントントンとドアが叩かれる。
「どうぞお」
さすがに流石にダメだろう、それは。あまりにやる気が無さすぎている。
だが、部屋に入ってきた奴はそんなことも気にせず、ぽす、とベッドに座った。
「センセイ、小説書き終わりましたか」
「僕の今の状態を見ろ。あと画面も。真っ白だろ」
その場から首を傾けて、伸ばして、見えてるか分からない無表情で僕の周りを観察した後、「書けてないんですか」ポツリと零した。
「書けてたよ。さっき全部消えたの」
ああ、と納得したように頷く。じゃあ一からですね、と悪魔のような言葉が飛んできた。しかも何故か嬉しそうだった。悪魔だ。
「……そうなるな。うん。あー」
やっと起き上がってキーボードに手を置く。同じ内容は絶対に書けない、どうしようか。悩んでいるうちに、徐々に気分が落ちていく。さっきまであった優越感は、劣等感に侵食され、脳を支配し始める。そうなってしまえばもう書けはしない。とりあえず、気分を変えようと席を立つ。
「どこか行くんですか」
「コーヒーでも飲もうかと思って」
僕の後を着いてきて、キッチンの隣に立っては手伝いを始める。手慣れた作業で準備を進めていって、僕の家だと思えないくらい、キッチンの扱いを熟知していた。
「君、どれくらいここにいるっけ」
「そんなに経ってないです。半年位ですかね」
半年も経ったか、と僕は思うのだが。でもそうか、そんなに経ったのか。でも未だ僕は、君に何も返せていない。
「僕は、君に任せっぱなしだな」
「いえ、楽しいですから」
無表情で言われても。カチャカチャとスプーンがコップにぶつかって二人だけのキッチンに響く。
7/14/2023, 12:57:16 AM