流れ星に願いを
「流れ星って綺麗だよね」
世間一般ではそう言われる。流れ星が流れている最中に三回お願い事をすれば叶うとか叶わないとか…。
「流れ星って本当に綺麗なのか?」
私はいつもそう思う。あれは隕石が落ちているということだ。つまりあれが流れ着いた先では流れ星は凶器だということになる気がしてたまらない。
そんな考えがあるのも流れ星が見たことがないからなのかもしれないとも思う。
またいつか
「またいつか」彼女の別れの挨拶はいつもこれだった。皆とは違うどこか意味深な挨拶はいつも私を不安にさせた。だか、私の心配とは裏腹に彼女は毎日普通に来る。いつしかその挨拶にも違和感がなくなって私も「またいつか」とふざけ混じりにこたえていた矢先、彼女が来なくなった。突然だった。彼女が帰ってくることはなくそのまま卒業した。彼女と最後に交わした「またいつか」が私の頭から離れることはなかった。いつしか私は「またいつか」に恐怖を抱くようになった。見知らぬ人が交わす「またいつか」にも恐怖を抱くようになった。
生きるのがいつしか苦しくなった。
気がつけばマンションの最上階から飛び降りていた。意識が飛ぶ直前、彼女の声が聞こえた気がした。
「また会えたね」
星を追いかけて
あの子のようになりたい。あの子のように歌って踊れるようになりたい…。あの人のような優しい人に…あの人のような皆に愛されるような人に…。
皆、誰しも自分にはないものを求める。明るさ、優しさ、話し方、作法などなど求めるものなど様々だ。だが、そんなに思いとは裏腹に世の中の人は、その人を見て吸収しようとしない。努力をしない。だから今もステージのセンターに立ってる私を見て目を輝かせているだけ。努力もなにもせず、自分たちとはすむ世界が違うなどほざいて何もしない。だから変われないんだ。
ドームのセンターステージで作り笑顔をしてファンの子に手を振りながらこんなことをおもってしまう。いつからこんな思考をするようになったんだろうか。子どもの頃は素直さを先生から褒められるほどだったのに今では、作り笑顔で人々の要望に答
える日々。憧れてたあの子もこんな気持ちだったのだろうか…憧れられる存在になるって苦しいな…こんな事を考えてしまう自分はきっとアイドル失格なんだろうな…そんな事をおもうと自分を嘲笑したくなってしまう。
数年前からアイドル活動を初め、瞬く間に人気になった私。皆から愛されようとして自分でアイドルの私を作り込んだ。その作り込んだ「明るさ」や「優しさ」「所作」や「話し方」などは様々な所を褒められる。
でも、そのすべては仕事がないときに見て覚えた優しいと評判のあの人の優しさ、マナー講師の動きを真似した所作、明るさで人気を博した人の明るさ。すべて人から吸収したものだと知ったらどんな事を言われるのだろうか…どんな顔をされるのだろうか…。人から明るさを褒められるたび、優しさを褒められるたび、所作を褒められるたび、人との距離の詰め方を褒められるたび、私は特に観察していたあの子を思い出す。全部私じゃない。全部人の…あの子のものだ。私は真似しただけ。見よう見まねでしてみているだけだ。そんな思いが駆け巡って、褒められるたびに苦しくなる。笑顔を保てているのか怖くなるほどに。
ライブで見たあの子は一等星のようだった。星そのものだとも思ったことがあった。あの子のようになりたかった。あの子という星をとにかく追いかけた。がむしゃらに追いかけて…あの子が芸能界を引退しても憧れたあの子を目指して…いつしか見えなくなった。前に星がなくなった。目指す指標が消えた。そう気づいた途端世界は暗くなった。毎日作り笑顔しか出来ない苦しい日々が続いた。いつしか私は悟った。今度は私が星になる番だと。
私は理解した。あの子がライブの終わりに言う「私をはやく追いこしてね」は冗談ではないことを。私は気づいた。「私をはやく追いこしてね」はあの子の紛れもない本心だということを。
私は今日もライブを見にきた何万、何十万人に向かって最上級の笑顔をして言う。
「いつか、私を追いこしてね!」
この願望がいつか叶う日を夢見ながら…。
窓から見える景色
嬉しかった日、楽しかった日、悲しかった日、悔しかった日、普通な日、どんな日でもここからの景色を見るのは1つの楽しみだった。
理由はただ1つ「人間が操れない」この1つだった。
身の回りには加工したものしかない。役に立つものがほとんどだが、たまに人間は加工を利用してすごいと言わせようとする。きれいと言わせようとする。そして、そんな人を見るとスマホを閉じたくなる。
だから誰かがSNSで上げているものではなく、自分がこの目で見る、加工されていないと証明できるこの空が好き。誰も知らない秘密基地のような所の窓から見るこの空が………。
花咲いて
「やった!アサガオ咲いた!」「えっ!まって!私のも咲いてる!」「俺も!」「私も!」
そんな声が私の背後からする。
私が見つめているのは自分の名前が書かれている植木鉢、尚花は咲いていない。
(なんで…なんで…なんで……咲いてくれないの?)
(なにが悪かったの??水のやり方?量?土?)
そんな疑問が私の思考を支配する。
隣の植木鉢はキレイな紫色の花を咲かせている。
立ち上がって周りをみても皆咲いている。
ただ、自分のだけが咲いてくれない。
その日は一日中気分が晴れなかった。
友達と喋っていても、給食を食べていても、好きな教科の授業を受けていても…私の思考のどこかには(なんで咲かないのだろうか。)という疑問があった。誰よりも頑張ってお世話をしていたのに…。
そんな頑張りが踏みにじられた様な気がして余計に気分が悪くなった。
1人で歩く下校道。同じランドセルを背負った人たちの楽しそうな声でさえ、嫌気が差した。
そこら辺にさいている花に関しては踏み潰してやりたい気分になった。ここまで自分が感傷的になったのは初めてで自分の気持ち、思考でさえ、制御出来なかった。早く1人になりたかった。もう、刺激しないで欲しかった。そんなとき目に入った満開のアサガオ。私は我慢の限界だった。
目から溢れてきた涙。気づかれたくなくて、自分が泣いてると思いたくなくて走る。ぼやけた視界で、ただ見慣れた足元だけを目印に、周りの目も気にせず走る、走る。
1秒でも早く目的の場所に行きたくて……
肩で息をしながら顔を上げた先には自分の家の表札とその横には門扉があった。家までの小道を歩く。
ふと視界に入ったのは満開のアサガオ!!ではなく、満開の紫陽花。嫌気はしなかった。走っていたおかげで気持ちに整理がついたのだろうか。そんな時気づいた。あの時の感情は嫉妬と悔しさだったのだろうと。ただ羨ましかったのだけなんだろうと。
いままでのひどい思い込みにおもわず自嘲してしまう。
1番世話をしていた私の花が1番に咲かなかったことへの嫉妬。みんなでどんな色の花が咲いたのか聞きあっているこの空気感。そして、その中で私1人だけ話に入れないの孤立感。
それは、悔しさだったんだと今なら思う。
気分が晴れた。それにこたえるように天気も快晴。朝イチ学校にいってアサガオに話しかける。私の日課だ。
「昨日はごめんね。」「いつでもいいから花咲いてほしいな。」「まぁ咲かなくてもいいけどね。」
意味が分からない上から目線の言葉に自然と笑みが溢れる。