その美しい人は、雨に濡れて薄汚れた子猫を蹴り飛ばした。
自慢のヒールを汚されるのが我慢ならなかったらしい。
高価なヒールは彼女の美しさの一部だ。
身にまとう美しさは、その心の醜さを覆い隠し、彼女は今日も羨望のステージに立つ。
スポットライトを浴びて、ヒールに付いた汚れをひた隠して。
ヒールの先で蹴られた子猫は、止まりかけた呼吸を何とか取り戻した。
頼りない小さな体で、それでも何とか生きようと抗っている。
泥にまみれて、雨に濡れて、明日を生きる糧もない。
だがしかし、生きようとする思い、それはがむしゃらで、煌めく命の灯火は美しい。
惰性で生きる人間達を、羨むこともない。
その後、子猫は通りかかった老婆に拾われ、濡れた体は毛布にくるまれる。
美しい命が美しい心に出会い、この混沌とした世界に生きる手段と理由を生み出した。
美しい人はその業界を席巻し、不動なる地位を築いてゆく。
ある日の雨上がり、移動する車内から、水たまりで遊ぶ幼い子供達を見かけた。
靴が汚れてしまうことなど気にもせずに、戯れる子供達。
ああ、私にもあんな時代があったな。
そうは思ったが、戻りたいとは思わない。
私は幸せを手に入れた。
もがき、あがき、血を吐く思いで。
この幸せを、いつまでも守り続けたい。
子猫と老婆は寄り添いながら眠り、このささやかな幸せを、いつまでも守り続けたいと願う。
子猫は温もりを手に入れ、老婆は孤独を癒してくれる存在を手に入れた。
幸せの形は違えど、誰もがそれを求めて生きている。
世界に息づく、そのすべてが美しいと思った。
不思議で仕方がない。
どうしてこの世界は、色があるのだろう。
青い空や白い雲。
それは赤い夕焼けや青い黎明にも色を変え、その間には漆黒に染まる夜がある。
海は青く、木々は緑、これも赤や黄色に色を変え、花や植物にいたっては、色とりどりだ。
世界はカラフル。人種だって色で分けられる。
どうしてこの世界は、音があるのだろう。
心地良い音楽、耳障りな騒音、人の話し声、動物の鳴き声、すべての環境音。
それらの音から、人は状況を認識する。
リラックスしたり、テンションを上げたり、不安になったり、異常を察知したり。
あなたの声や好きな音楽をずっと聴いていたい。
だけど日々、様々な音が耳に飛び込んでくる。
どうしてこの世界は、行動しないといけないんだろう。
学校に行ったり、職場に行ったり、勉強したり仕事したり、友達と遊んだり恋人とデートしたり。
やりたいこと、やりたくないこと。
当たり前に出来ること、自分にだけ出来ないこと。
それで悩んだり、頑張ってみたり。
いずれすべて無に帰るとしても、その行動に価値はあるのだろうか。
どうしてこの世界に、自分がいるのだろう。
命が芽生えた…命って何だ?
ゼンマイも無いのに、何故動く?
何故モノを考える?
メンドくさい。
でも、思いを吐露するのは嫌いじゃないから、今日は世界について考えてみた。
…いや、いつのまにか、世界というより自分についての考察になっているが。
まあ、「我思う、故に我あり」そして、自分が認識するからこの世界は存在するのだろう。
自分のいない世界は存在しないも同然だ。
色も音も行動も、自分がそれに心を動かされるからそこにある。
そして、人生に意味を持たせてくれる。
自分がここに存在する理由も。
命の原理なんて分からないけど、色や音や行動があるこの世界で生きていくのは、そんなに悪くない。
河原の土手。
遠くにスカイツリー。
河川敷では、草野球の試合が白熱しているようだ。
それを見下ろしながら、歩く。
「野球、興味あったっけ?」
「いや、別に…暑いのに、よくやるなと思って」
「ひでえ感想だな。少年達が頑張ってんのに」
「俺も、あれくらいの頃は頑張ってたよ」
「…野球、やってないだろ?」
「うん。野球じゃなくて、頑張って生きてた。ボール遊びしてる暇なんてなかったしさ」
「彼らだって、遊びじゃなくて勝負してるんだよ」
「負けても生きていけるだろ。命がけでやるもんでもない」
「お前…どんな少年時代過ごしたんだよ」
「そりゃ、玉や矢羽根の雨あられの中を掻い潜ってだな…」
「ウソつけ」
あながち、嘘ではないのかも。
彼の生きる世界では、こちらの常識は意味を持たない。
「なあ、あのでっかいタワー、登れんのか?」
「スカイツリー?展望台まで登れるよ。俺は登ったことないけど」
「今度来た時は、案内してくれよ。あれに登ったら、昔の俺の家も見つけられるかも」
「無理だって。都内にどんだけビルがあると思ってんだよ」
「空襲で焼けたんじゃなかったのか?」
「いつの話だよ」
鉄橋の下を歩く。
くぐり抜けて、振り返ると彼はいなかった。
自分の世界へ帰ったのだろう。
神出鬼没な彼は、時折こうして俺の散歩中に現れる。
誰なのかも知らない。どこから来たのかも。
別の世界線。
こちらの世界より、少しだけ不遇な状況らしい。
「昔の俺の家…か。まだまだあいつは、謎が多すぎるな」
だけど、深く追求する気にはならない。
こうして、散歩の時の話し相手になってくれるだけで、そして、ちょっと興味深い話を聞かせてくれるだけで、それ以上は知らなくてもいいと思ってる。
たぶん、俺の人生にどこかで関わっている存在なのだろう。
何故かそんな気がする。
河原の土手の上から、遠くに見える東京スカイツリーを眺めた。
あいつの住む街にも、いつかあんなタワーが建って、あいつの思い出を見つけられたらいいな、と思った。
あたかも、夢見る少女のように、その中年のおっさんは、ショーウィンドウの向こうを見つめていた。
新車が並んでいるカーディーラーのショールーム。
それは、汚れや傷ひとつないボディを自慢気に輝かせて、最新モデルであることに誇りさえ感じさせるような佇まいで。
単なる鉄の箱なのにな…いや、走る鉄の箱、か。
…いやいや、走って、いろんな場所に連れて行ってくれて、たくさんの思い出を作る手助けをしてくれる、カッコよく作られた鉄の箱、だ。
これを人は、マイホームの次くらいに高いお金を差し出して、手に入れる。
まさに、夢見る少女が憧れる男性のような、手に入れ難いが諦めることの出来ない、そんな存在が新車だ。
そーいえば昨今、ガソリン代も高騰していて、高額な買い物だけに、消費税の減税の行く末も気になる。
そんな現状に抗ってでも、あの神々しい鉄の箱を我が物にしたい。
いっそのこと、夢は夢で終わらせて、23年乗り続けている今の車が、完全に沈黙するまで付き合っていこうか。
それこそ、いろんな場所に連れて行ってくれて、たくさんの思い出を作る手助けをしてくれた、私の愛車だ。
まだまだ走れるのなら、手放したくはない。
夢見る少女だっていつかは、憧れを憧れのままで終わらせても、現実の暮らしの中で、自分に合ったパートナーを見つけて幸せを手に入れるはずだ。
そのパートナーと、永遠の愛を誓い添い遂げる…そーか、「死が二人を分かつまで」…か。
ならばやはり、今の車が動かなくなるまで、付き合っていくべきか。
その中年のおっさんは、ショーウィンドウの前で夢見た挙句、結局一番現実的な結論へと辿り着いた。
こんなもん、単なる鉄の箱じゃないか。
そりゃ、最新システムの安全性能たるや、今後認知が衰え始めるおっさんには魅力だが…。
もしくは、夢見る少女だって、場合によっては妥協するかもな。
もう少しランクを落として…現実的に手が届くところで交渉する。
いや…現実的といったところですでに夢見てないな。
ああ、もうやめよう。
なんで私は、自分の車選びの苦悩をこんなところに書いているのか。
夜も更けて、帰宅した中年のおっさんは、浅い眠りの中で新車購入の夢など見ながら、就寝。
その寝顔は、まるで夢見る少女のように…。
さあ行こう てっぺんはまだまだ
さあ行こう サボるのはまた今度
さあ行こう 人生は思うより長い
さあ行こう 今は波に乗って Take-Off
さあ行こう うまくやれなくたっていい
気持ちが晴れ渡るような あっけらかんで行こう
さあ飛ぼう 羽が無いなら階段で
天空のビルを駆け上がって 屋上からスカイダイビング
風に乗って 風に流されて
波に乗って 波に流されて
自由気ままに どうとでもなれの気持ちで
ほんの少し舵を取って ゴールだけは見誤らずに
さあ行こう てっぺんはこれから
さあ行こう サボタージュ無しで
さあ行くよ 人生は思うより短い
さあ行くぞ 今は風に乗って Take-Off
行きたくない朝は 少しグズってもいいから
とりあえず一歩 外に足を踏み出す
思いのほか街は優しくて 案ずるより人は穏やかで
だから大丈夫 外に足を踏み出そう
さあ行こう 最高の一日にはならなくても
気持ちが揺れ動くような あっと驚く出会いがあって
さあ行くぞ 最悪な出来事に見舞われても
きっと誰かが支えてくれる きっと自分がそうするように
Let's Go, Towards Our Trivial Daily Lives
さあ行こう 他愛ない日常に向かって
これが僕達の冒険譚 勇気の一歩を踏み出す物語