うららかな春の日。
出会ったあの人と春恋の予感。
空は青く、風は心地良く、すべてのことが幸せに向かっているような、祝福ムードに溢れる。
夏に遊び、秋に黄昏れ、冬に寄り添って、二人で過ごす時間を思い描いた。
あなたと出会えた今日一日に、そのすべてが詰まっているような気がして。
それは幻想。
そこに恋など芽生えなかった。
春の陽気に幻惑されて、私が生み出した幻想の恋。
あの人は、さわやかな挨拶と笑顔を残して、この場所を離れていった。
そりゃそーだよね。
少し、焦りすぎたかな。
春は始まりの季節。
始まりは出会いから。
たくさんの人に出会って、たくさんの喜びや失望を感じて。
春恋だけが恋じゃない。
そう自分に言い聞かせながら、過ぎてゆく季節を愛しく想う。
夏に遊び、秋に黄昏れ、冬は飼い猫と寄り添って。
そしてまた、春は訪れる。
「あ、あのさ、君の未来図について、教えてくれないかな?」
「…は?」
「明日のことなんかじゃなくてさ、もっと先の、今の状況を笑い飛ばせるくらい未来の話をしようよ」
「そんなもん…ないよ」
「ないはずないだろ。未来は皆に平等にやって来るんだよ。たとえ、どんな人生だとしても」
「そんな未来、ろくなもんじゃないでしょ」
「どうしてそんなことが言えるの?未来に決定事項なんて無いんだよ。だから、未来図を思い描くんだ。自分の望む通りに」
「そんなことしたって、現実はどうにもならないじゃん」
「どうにもならない現実はあるよ。だけど、その現実が悪いことばかりだとは限らない」
「…悪いことばかりだったよ」
「それは過去でしょ。現在もそうかもしれない。でも、未来は分からないじゃないか」
「…」
「僕と、幸せな家庭を築く未来だってあるかもしれない」
「…何それ、バカじゃないの?」
「そんなバカな未来だって、未来図に描くのは自由だと思うよ」
「私の未来図は…白紙だよ」
「うん、じゃあ、これから描けばいい。白紙だからこそ、自由に描けるってもんだ」
「そーゆー意味じゃなくて…」
「とにかくさ、ここは見晴らしが良すぎるよ。そのうち、下にも人が集まってくる。その中には、君が飛び降りるのを今か今かと待つような奴だっているかもしれない。そんな奴らを喜ばせる義理はないだろ。フェンスのこっちで話そうよ」
「…ところで、あなたは誰なの?」
「僕?僕はただの、通りすがりのおせっかい」
「ただの通りすがりの人と、未来について話せって?」
「今は他人でも、未来は分からないじゃないか。こうして通りすがったんだし」
「なんかさ、うまく口車に乗せられてるような気がするんだけど。詐欺師の才能あるよね」
「そっか。またひとつ、僕の未来図に可能性が追加されたよ。ありがとう」
「…なるほどね。そうやって生きていってみようかな」
桜ひとひら、宴が終わる。
この春もここに集えたことを喜び、麗しき満開の桜を尊び、明日への活力を携えて、この場所より散ってゆく。
兵どもが夢の跡。
昨日の酔客は明日の顧客だ。
万札ひとひら、戦が始まる。
あれ…?
窓の外に広がる風景。
都内のマンションの十二階。独り暮らしの部屋。
毎日見慣れた風景の中に、何か違和感を感じた。
何だ…?何か…足りない?
ひとつひとつ、確認してゆく。
ん…あそこに確か、ビルがあったような…気のせいか?
乱立するビルの数や状況など把握してはいない。
だが、あったような…気がする。
次の日の朝、何事もなかったかのように、そのビルは存在していた。
ほらやっぱり。
なんで昨日は無くなってたんだ?
一日のうちに取り壊して再生なんて、そんな馬鹿な。
もちろん、考えても分かる訳がない。
そんなことよりも、あそこ、あの妙な形のビルは何だ?
あんなビルは今まで無かったぞ。
シミュレーション仮説というものがあるらしい。
詳細は長くなるのでWikiに任せるが、まあ、「この世界は誰かの手によって作られた疑似世界」みたいなものか?
だから、至るところにアラが生じる。
あるべきものが無くなったり、その形を変えてしまったり。
その誰かのテキトーさに左右されるってことだ。
窓からの風景が日々変化するなんて、そりゃさもありなんってところだろう。
まあ、単なる仮説であって、現実に起こり得るものではないと…思いたい。
窓からの風景にしたって、結局は記憶のテキトーさの方が原因となるのだろう。
…いや、待てよ。
この世界が、自分の頭の中で構成されているものだとしたら、自分の記憶のテキトーさが、シミュレーション仮説そのものを証明してることにならないか?
ビルをひとつ消すことも、いや、それ以外だって…。
「おはよう」
朝、目覚めると、そこはすべての幸せに包まれた部屋だった。
素晴らしきかな、シミュレーテッド・リアリティ。
喧嘩の理由はいつもくだらなくて、でも僕達はいつだって本気で言い争った。
それはきっと、相手が君だったから。
軽い気持ちでは、これから一緒にいられないと思ったから。
君と僕が出会って、すれ違うだけで終わらずに立ち止まったこと。
それが君であって僕だったこと。
そこにはきっと、何の意味もない。
だだ、お互いの居心地が良かっただけ。
君に嘘をついたのは、あれが初めてじゃなかった。
心は痛んだけど、君から離れるよりはマシだと思えた。
この関係がたとえ歪なものであっても、それは僕達二人だけの事情であって、誰に咎められるものじゃない。
だから君といる僕は幸せだったんだ。
君が僕を裏切った日。
マンションの駐車場で僕は吐きまくった。
この状況に立ち向かえる、新しい自分が姿を見せるまで。
だけど、少しだけ顔を見せたそいつも、次の日には君を求めて彷徨い続けていた。
まるで、これがお前の正体だと言わんばかりに。
君と僕。
夕暮れと月光のように。
熱量は違えど、作り出す空間の切なさに惹かれた。
言い争い、寄り添い、騙し合い。
そんな二人の幸せは、他人から見れば偽物だったけど、あんなに居心地のいい場所は他になかった。
君といられたら幸せだって言ったろ。
裏切られても君と同じ空に浮かぶんだ。
悲しい世界を照らして、もう一度立ち止まれる日を待つよ。
それまでは歩き続けて。
君を求めて彷徨い続ける。