Ryu

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3/31/2025, 2:31:15 PM

今日は眠いから、また明日話がしたいな。
一方的にこっちが話すだけになっちゃうかもだけど、聞いてくれたら、とゆーか、読んでくれたら嬉しいな。
君のために何か、言葉を贈りたいよ。
君が誰かも知らないけれど、僕の書いた文章を読んでくれるだけで、それはもう感謝に値する。
だから、贈りたい言葉は、ありがとう。

誰かに感謝して眠れるなんて、それはきっと幸せの形。
感謝される心地良さも感じて欲しい。
今日もいろいろあったけど、こんな一日の終わりに僕は、何の不安もない世界の片隅で、感謝とともにエールを送る。
明日も頑張ろう。
乗り越えて、また会おう。
この、言葉だけで繋がる空間で。

それじゃあ、またね。

3/30/2025, 2:51:00 PM

「なあ、タンポポって食ったことある?」
「食わんだろ、フツー。雑草だぞ」
「いや、食えるんだって。天ぷらとか美味い」
「まあ、天ぷらにすりゃ大抵美味いけどな。わざわざタンポポは食わないよ」
「ばーちゃんがさ、たまに作ってくれたんだよな。他にも、いろんな雑草で」
「雑草って言っちゃってるじゃん。お前のばーちゃん、去年亡くなったんだっけ?」
「ああ、それから、食ってないな、雑草の天ぷら」

春風とともに、ばーちゃんのことを思い出した。
冬の寒さが終わり、春の暖かさが訪れる頃、よく田んぼのあぜ道を散歩してたっけな。
たまに付き合って一緒に歩くと、いつも、学校は楽しいかと聞いてきた。
まあまあだよって答える俺に、友達は大事にせんといかんよって。
分かってるって。友達は大事だよ。
今度一緒に東京に遊びに行く約束してるんだ。

「タンポポの天ぷらか。まあ確かに、一度食べてみたいかも」
「だろ?なかなかお店で食えるもんでもないしさ。東京に行ったって、食えるところはないんじゃないかな。」
「まあ、もっと美味いもん、いっぱいありそうだけど」
「何食う?俺、カツ丼が食いたい」
「カツ丼なんてどこでだって食えるだろ。なんでわざわざ東京で?」
「東京のカツ丼が食いたいんだよ。味が同じなら、これから東京に行かなくても食えるんだって思える」
「意味が分かんないよ。まあ、好きなもん食えばいいと思うけど」

学校帰りの道。
道端に、タンポポが黄色い花を咲かせている。
「これ、食ってみる?」
「やめとけよ。まさに雑草だぜ」
「お前、食ってたんだろ」
「それはさ、ばーちゃんがちゃんと調理してくれたから」
「生で食おうなんて言ってねーよ。ちゃんと天ぷらにしてさ」
「お前が揚げるの?俺は揚げ方なんか知らねーぞ」
「俺も知らねーよ。お前のばーちゃんに頼めたらよかったのにな」

貧しい時代があって、道端の雑草だって食べるしかなかったんだよ。
ばーちゃんはそう言っていた。
そんな時代は終わり、食材がスーパーに並ぶ現代になっても、それは思い出の味として心に刻み込まれていたのかもしれない。
そして俺も、飽食のこの時代にもう手に入らない味を求め続けているのかもしれない。
ばーちゃんの手料理の味だ。

「なあ、あの丘の向こうにさ、ばーちゃんの墓があるんだ。思い出しちゃったからさ、墓参りしてってもいいかな?」
「ああ、別にいいよ。ばーちゃんにレシピ、聞いてみよーぜ」
「答えてくれるかよ。でも、付き合ってくれてありがとな。ばーちゃんも喜ぶよ、きっと」

春風に吹かれて、ばーちゃんの墓を二人で掃除する。
墓の周りには、たくさんのタンポポが咲いていた。
「おお、食べ放題」
「何にも持ってきてないから、タンポポでもお供えしとくか」
「いいのかよ、そんなんで」
「いいんだよ。ご馳走だぞ、俺とばーちゃんにとっては」
「そっか。俺にもお裾分けしてくんないかな」

なあ、ばーちゃん、これが俺の友達。
学校でも、楽しくやってるよ。
だから心配しないで。
ばーちゃんがいなくなって、ホントはすげー淋しいんだけど、コイツがいるから何とかやっていける。
東京行ったらさ、土産買ってまた来るから、楽しみに待っててな。

春の風を受けて、辺りに咲くタンポポの花達が一斉に揺れていた。
まるで、嬉しくて身を躍らせているかのように。

3/30/2025, 1:24:54 AM

堪えきれなくて、流れ出す涙。
そんな涙を見て、もらい泣くのは得意だ。
共感力が高いということなのだろうか。
最近なら、ミャンマーの現状を憂う。

「諦めないで、頑張りましょう」
ミャンマー人が、日本人から学んだと言う。
先の東日本大震災。
人は人を想い、励まし、助け合うことが出来る。
日本人は、その手本を見せたということだ。
誇らしく、嬉しい限りじゃないか。

だけど、被災地の悲しみは計り知れない。
拭いきれない涙が流れていることだろう。
「泣かないで」なんて言えない。
もう、泣くことが必要とも言える状況だと思う。
だから、泣いて泣いて泣いて、人はそうやって、ほんの少しでも、立ち直る気力を手に入れるのかもしれない。

嬉しい涙と悲しい涙。
同じように瞳を潤すだけのアクションなのに、その心にある想いはまったく違う。
出来るなら、嬉しい涙に暮れる日々を送りたいものだが、どうだろう、悲しい涙の方が、生涯数リットル多いのが現実だったりしないだろうか。
まあ、嬉しさの表現を笑顔で完結してるが故なのであれば、涙の量を比較することに何の意味もないが。

本当は、笑顔で人生を埋め尽くしたい。
でも、そんな人生はきっと味気ない。
強がりかもしれないが、涙に出会えることで、少なからず人生の幅が広がってゆく。
悲しいことは遠ざけたいが、そんな経験をして、たくさんの涙を流して。
それがいつか思い出に変わり、笑顔や涙で彩られた人生を振り返るその日々が、自分の生きた証になるのだから。

とりとめもなくて、ごめんなさい…涙。

3/29/2025, 1:07:12 AM

名前も顔も居場所も伏せて、ネットの隅っこで虎視眈々と。
やらかした標的を見つけ出して、完膚無きまでに叩きのめす。
何の恨みもないが、正義の言葉を振りかざし、反撃はされない安全地帯で、言いたいことを言える小さな幸せ。

リアルでは、発言権は行使しない。
だって、暴力に訴える輩がいるから。
だけどもし、そんな奴らが逮捕されて、メディアに載ることがあるようなら、その時は心置きなく叩かせてもらうよ。
こちらが完全なる正義。
小さな幸せが、大きな幸せに変わる。

ある日、友達に話したら、
「それは、大きくも小さくもない、歪んだ幸せだ」
と、言われた。
どうかな。
そんなことを言うなら、ボランティアだってデモだって、歪んだ正義かもしれない。
自分より弱い立場の人間を相手にしたり、多勢に無勢で相手を追い込んだり。

「幸せはさ、一人でなるもんじゃないんじゃないかな。誰かと一緒に、誰かが幸せになるのを見届けて、自分も幸せになれる」
件の友達が言う。綺麗事にしか聞こえない。
現に俺は、一人で小さな幸せを満喫してるじゃないか。
「ネットの向こうに、自分に賛同してくれる仲間がいると思ってるんだろ?だから幸せを感じるんだよ。でもそれは、歪んでる。幻想でしかない」

「正義の味方ってのは、倒されて上等な相手と闘うんだよ。相手がそう思ってる。ただの弱りものイジメじゃない」
「弱りもの…」
「理由があって今、弱ってる人。何か悪いことをしてしまったのかもしれないけど、事情があったのかもしれない。そんな事情もまったく知らない人間が、ネットの向こうから好き勝手言える権利なんてないんだよ。そこは、当事者達が解決する」
「…自分の意見を伝えてるだけだよ」
「その意見が真実を歪めるんだ。事情を知らない人間が、感情だけで書いたものだから。自分が正義だと思い込んで」

論破、された気分だ。
ネット上なら、こんなこともないから好き勝手言えるのに。
…そんな権利はないのか。
言論の自由と、暴言の自由は違う。
俺の言葉は暴れまくって、必ず誰かを傷付ける。
ネットの隅っこに隠れてるから、その罪を追及されないだけだ。
いや、きっとそのうち…。

俺にとっての小さな幸せは、それを諭してくれた友達の存在だった。

3/28/2025, 2:30:28 AM

春が来て、桜が咲き乱れ、街は活気づいて賑やかさを増してゆく。
目に映える青空や爽やかな風に誘われて、人々が外の世界に足を向け、笑顔が満ち溢れる季節だ。

そしてそれは、悩み事を抱えづらい季節でもある。
決してこの季節に悩み事が消えて無くなる訳でもなく、状況は何ひとつ変わっていないにもかかわらず、この陽気にほだされて、なんだか人生は楽しいと錯覚してしまう、今日この頃。

まあ、春爛漫の光景を目の前にすれば、それも致し方のないこと。
この雰囲気に飲まれるのが正解なんだろう、日本人としては。
正直、一年に一度必ず咲く花が今年も咲いたとて、いったい何がめでたいのかって話だが、桜咲き乱れるニッポンの風物詩は、きっと世界に誇れる景色と言えるのだろう。

それならば、このお祭りムードに乗じて、些細な悩みなんか吹き飛ばしてしまえばいいのだが、それは一時的なものであって、さすがの桜にもそこまでの力はない。
いずれ花は散り、当たり前の日常が訪れる。
それは思いのほか早く、一度手放した分だけ、悩み事はさらに大きく、増幅されてのしかかってくる。

桜に惑わされている訳だ。
春爛漫の桜には、人を惑わせる力がある。
花見の人達に溢れる公園で、明日の糧を渇望し続けるのは難しい。
何もかもがどうにかなるさで飲めや歌えや。
夢から覚めて、気付けばそこは茨の道か。

それでも、また来年も桜は咲くのだろう。
そしてまた、人生に彩りを与えてくれるのだろう。
儚い宴だとしても、これがあるから人は営み続けられるのかもしれない。

そんなことを思う。
早すぎる花見の酔客を眺めつつ。

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