透明なガラスのように、君の心の中は見透かされる。
せせら笑う奴らが通り過ぎるのを待って、君は路地裏から顔を出し、頬を伝う涙をぬぐう。
本当は、やり返したい。
あんな薄っぺらい奴らに負けたくない。
でも、透明な心はガラスのように脆く、投げつけられた石によって粉々に砕かれ、その破片で大切な人までも傷つけてしまう。
ならば一人で生きる。
誰にも迷惑はかけたくない。
君はそう言って、自分の部屋に鍵をかけ籠城した。
君が本当に望むものが、この世界には存在しないから、誰かと争うつもりもなく、奪い合うこともない。
だけど、人の悪意はそこかしこに転がっていて、ともすれば踏みつけて破壊してしまう。
そして、容赦ない攻撃が始まる。
この世界のすべてが透明で、お互いの心を見せ合うことが出来たら。
何かを隠す壁があるから、その何かのために分かり合うことも出来ない。
そしてただ、力の強い者だけが道路の真ん中を闊歩する。
硬く、耐久性のある金属で心を覆い、弱さをひた隠して道路に唾を吐く。
せめて、透明な金属があればいいのに。
「それでも、この世界には立ち向かわなくちゃいけないんだってよ」
「心がガラスのように砕かれたら、もう何も出来ないよ」
「砕かれない心を持って。そして、他人と分かり合って」
「そんなこと、理想論でしかない」
「世界中に蔓延した疫病があっただろ。それから身を守り、その上で人と見つめ合えたのは?」
「…アクリル板?」
「よし、素材をそれに変えていこう」
透明性では少し劣るが、水族館の魚達だって守られている。
そう言うと、君は少し笑って、
「あんなに雄大な世界を、心に作り上げられたらイイね」
出来るさ。
まずは部屋の鍵を壊して、外の空気を吸い込んで。
粉々になった心は、箒で拾い集めて丁寧に再構築だ。
大丈夫、透明な心のおかげで君の優しさは皆に知れ渡っているから、きっと少しずつ補強してくれる。
さあ、始めよう。
一日が終わり、また始まる。
人生はこれの繰り返し。
一度たりとも滞ったことはない。
ストライキで止まったりもしない。
淡々と、粛々と、夜が更けて朝が来る。
就寝前に、明日が来ることを疑わない幸せ。
どんな明日になるかは分からないけれど、来ない未来よりはマシだ。
今日がどれだけ辛くても、終わる。
明日も同じ自分だけど、今日の終わりとともにリセットしてしまおう。
いろんな人生があって、いろんな想いがある。
今日が幸せだった人、どん底を味わった人。
どちらにも、同じ夜が来て同じ朝が来る。
ここで一旦終わらせよう。そして始めよう。
昨日とは少し違う自分になってみてもいい。
リセットした後に、少しオプション付けてみたりして。
最近ちょっとイラつくことが多いから、のんびりモードを発動しようかな。
他人の言動に流されないように。
昨日は不機嫌な物言いをしてしまった人達にも、今日は穏やかな自分で接してみよう。
何かあった?と不審がられるかもしれない。
そしたら、「一旦終わって、また始めてみた」と答えよう。
何度だってやり直せるって言うじゃない。
ホントにそうだと思う。
やり直しちゃいけない法律なんてないから。
あっても守らんけど。
そして、やり直すんなら、もう少しうまくやれる。
同じ轍は避けて通るからね。
今度このお題に出会う時は、きっとうまいこと修正されているはずだ。
終わり、また初まる、
これはこれで、人間味があっていいけどね。
夜空を見上げる。
もし、この瞬間に地球が爆発して木っ端微塵になったとしても、見上げるあの星達にとっては微風程度の影響もないのだろう。
夜空の星がひとつふたつ消えても気付かないように。
ましてや、地球上のどこかひとつの国が滅びたとしても、あの星々には何の音沙汰もない。
地球の外見すら変わらない。
ましてや、一人の人間がこの世から消えたとて、きっとそれは、我々にとっての微生物以下の存在なのではないだろうか。
虚しい。
大切な人を失ったら、立ち直れないほどに打ちひしがれるのに。
この人生を終わらせたくないと、生命果てるまで抗い続けるのに。
だが、ちっぽけだけど、尊い。
尊い存在になれたんだ、人類は。
知能と感情。
このふたつを武器に、世の理に挑み続けた結果、他のどんな動物達よりも高く、強い存在になれた。
星がひとつ消えるよりも、あなたがいなくなることが苦しい、そう誰かに言ってもらえるほどに。
だから私は今夜も、胸を張って夜空を見上げる。
きらめく星のように輝いて、いつか燃え尽きて消滅してしまう日まで、誰かの心の支えとなり、我が身を愛し続けよう。
星よりもちっぽけで、宇宙よりも偉大な存在であることに誇りを持って。
ギャンブルで溶けたお金を取り戻したい。
もしくは、ギャンブルのない世界線で生きてきたことにして欲しい。
それもダメなら、あの頃の自分に会って、今のこの想いを伝えたい。
やめとけ、お前には才能がない、後悔することは俺が知ってる。
まあ、そんな回りくどいことをするより、今、お金持ちにしてくださいと願えばいいのか。
いや、お金持ちになりたいわけじゃないんだよな。
いや、なりたいけど、それよりも、大切なお金を失って、打ちひしがれていたあの頃の自分を救いたい。
そんな気持ちがある。
いや、自業自得なんだけど。
願いがひとつ叶うならば、あの頃の自分に今という未来を見せて、大丈夫、人生はうまくいくよと伝えたい。
たぶん、一番人生を悲観していた時代だから。
そしてそれは、紛れもなく自分だから。
まずは誰よりも、自分自身を救ってあげたい。
当時の痛みや惨めさや苦労は、自分にしか分からない。
ましてや、愚かな行為の代償なのだから。
忘れてしまって、いいのかな。
もうあの頃の自分はいない。
明日を生きる糧を失い、そんな自分に嫌気が差しながら、それでも若さを信じて、ただがむしゃらに前を向いていた時代。
振り返る過去よりも、進むべき未来にしがみついていた。
もしかしたら、それはそれで、充実していたのかもしれない。
そうか。
余計なお世話だったかも。
あの頃の自分は、どん底でも這い上がる気力を持っていたんだ。
今の自分が考える「自分」ではなかった。
バカやって、落ち込んで、何とか立ち直って、またバカやって。
そうして日々を乗り越えていた、今思えば無敵の自分がいた。
願いがひとつ叶うならば、あの頃の自分を取り戻したい。
振り返らずに、前を向いて進めるように。
そして、昨今の株価下落に立ち向かえるように。
嗚呼、素晴らしきかな、我が人生。
華々しさもなく、絶賛されることもなく、ただ淡々と、その日をぼんやりと生きている。
何も特筆することのない、平々凡々な人生。
だからこそ、他人と張り合わず、奪い合わず、自分のペースで生きてゆける。
人は、上を目指せば目指すほど、手に入れたいものが増えてゆく。
時には、他人と争って、蹴落として掴んだものもあるだろう。
そこまでして、人の上に立ちたいか、称賛される存在になりたいか、華やかな生活を送りたいか。
その答えは人それぞれ。正解はない。
人生の成功なんて言葉に惑わされるな。
明確な成功の定義など無く、あったとしても、それは誰かの勝手な思惑でしかない。
どんな生き方をしても、それで自分が満足なら、素晴らしきかな、我が人生だ。
争いの末、手に入れた地位や名誉など、人生の終わりにはきっと、誰かを貶めた苦さしか残らない。
堕落した人生を望んでいるわけではなく、どんな人生であろうと、自分が後悔するものでなければ、それは充実していたと言えるのではないだろうか。
逆に言えば、後悔するくらいなら軌道修正した方がいい。
自分の生きたいように生きれば、後悔なんてしないはずだ。
あとは、これでいいのか?、なんて悩むのをやめること。
悩んだって、その答えはどこにもないから。
そーやって、自分に言い聞かせてる。
そうでもしなきゃ、人生に迷ってしまうから。
嗚呼、惑わしきかな、我が人生。