親と喧嘩すると、いつも僕は二階に駆け上がり、自分の部屋にあるクローゼットの扉を開けて、その先の大空に飛び込んだ。
雲を突き抜けて、落下してゆく。
地上が遠く見え、それがみるみるうちに近付いてきて、気付けば目の前にアスファルトの道路が迫る。
鈍い音がして、破裂して、体が粉々になる感覚。
僕の意識だけが、今度は上昇を開始して、地上が、見知らぬ街が遠ざかっていく。
雲を突き抜けて真っ白になったところで、いつものようにベッドの上で目を覚ます。
もう何度、自分を破壊しただろう。
あのクローゼットの扉の奥は、僕の秘密の場所。
お母さんが開けても普通のクローゼットでしかない。
僕が普通に開けても同じだ。
何故か、僕が嫌な思いをした時だけ、あの場所が現れる。
だからそんな時は扉の向こうの大空にダイブして、地上で自分を木っ端微塵にしてイライラを解消する。
初めて大空を見た時は、下を覗いたらミスって落っこちて地上でバラバラになったけど、気付いたらベッドで目を覚ましたことで、これは夢なんだと思った。
夢なら別に壊れたっていいじゃないか。
壊れた後の目覚めは爽快で、さっきまでの嫌な思いはどこへやら。
高校を卒業し、家を出ることになった。
もう、あの大空ダイブともさよならか。
残念だけど、大人になるってこーゆーことなのかな。
最近は、以前よりイライラすることも少なくなったし、受け流すことも出来るようになった。
あの秘密の場所は、もう自分には必要のないものとなっていた。
クローゼットの中も空にして、住み慣れた部屋を後にする。
ある日、大学の帰りに友達の家に寄った後、初めての街を、スマホを頼りに家路についていた。
そして、ある場所で立ち止まる。
何故か、無性に苛立ちが湧いてくる。
何だこれは。
辺りを見回すと、デジャブに襲われ、初めての街が見慣れたものになっていることに気付く。
自分が破壊される直前に、何度も目にしていた光景。
「ここか…でも、なんで…」
そんな思いは、理不尽な怒りに塗り潰され、いつのまにか自分の右手には、覚えのないナイフが握られていた。
もう、雲の向こうへ飛ぶこともなく、ベッドの上で爽快に目を覚ますこともないのだろう。
人間、なんてららーらーららららーらー。
これを知っている人、どれくらいいるんだろう。
1990年頃に、とらばーゆのCMで使われてた歌の歌詞。
とらばーゆを知らないかな?
まあ、今で言う、ジョブアイデムやタウンワークみたいな、要するに求人情報誌だ。
そのCMで、サディスティック・ミカ・バンドのMICAが歌ってた。
オリジナルは吉田拓郎の歌で、それは1971年まで遡る。
こっちは私も知らない。
このCMを見て、この歌を初めて聴いて、「そっか、人間なんて、ららーらーららららーらーなんだな」と感銘を覚えた。
当時20歳くらいで、たぶんいろんな悩みもあっただろう。
悩みなんて、ほぼすべてが他人に起因するものだ。
そこに、人間なんてららーらーららららーらー、だからね。
気持ちも軽くなる。
いや、この歌詞を作った吉田拓郎の意図は知らないが。
でもとにかく、ずいぶん救われたのは間違いない。
女性の求人情報誌のCMだったが。
CMでは、画面に一人の女性、その真ん中に「私にキッス」と表示され、ナレーションは「私が一番、可愛い」。
ホントに求人情報誌?てな内容だったが、これもまあ、他人に振り回されるな、自分をもっと大切にしよう、とも受け取れて、当時の自分には結構響いたのだろう。
嫌なことがあると、よく心の中で口ずさんでいた。
今思えば、ラララに何を当てはめるか、それは人それぞれなんだろうな。
人間なんて、という言い方から、あまりポジティブな印象は持てないが、諦めとともに解放された気分になったのも確かだ。
お前の人間関係の悩み、実はたいしたこっちゃないよ、と言われてる気がして。
実際、他人とのトラブルなんて、自分に危害を加えられる案件でない限り、どーでもいいことばかり。
まさに、ららーらーららららーらーだ。
だって、相手の気持ちはどうこう出来ないし、ありのままの自分で接して変わってくれたらラッキー、くらいでいいわけだから、深く悩む必要なんてない。
それで付き合っていくのに抵抗を感じるのなら、もうその人とは離れてゆく心づもりでいるしかないかなと。
人間なんてラララだから別にいいじゃない。
また新たな出会いがきっとあるし。
きっと、人生だってららーらーららららーらーなんだと思う。
言いたいことをいっぱい書いた。
うん、まとまらない。
まあ、いつものこと。
もっとこう、伝えたいことはいろいろあるのだが、それをうまく言葉に出来ないもどかしさ。
だからこそ、ららーらーららららーらーが有効なのかな。
ここには人それぞれ、十人十色の解釈が含まれる。
想いなんて、簡潔明瞭にせずに、このくらいボカすのが丁度いいのかも。
相手の受け取りも柔らかくなるし。
まあ、就職の面接でそれはマズイだろうけど。
ヤバい。終わり方が分からない。
次から次へと言葉があふれてくる。
もうこの辺で無理くり終わりにしよう。
それでは皆さん、ららーらーららららーらー。
風が運ぶもの。
それはきっと、匂い。
夕暮れの帰り道、どこかの家から漂ってくる夕飯の匂い。
それはきっと、当たり前の幸せの匂い。
どこかの灯りの下で、家族の団らんが繰り広げられている。
僕はコンビニのお弁当を引っさげて、一人暮らしの部屋に帰る。
着替えて、お弁当温めて、YouTube見ながら一人飯。
でも、最近のコンビニ弁当は美味い。
カップのクラムチャウダーも買ってきた。
大好きなYouTuberの新しい動画が配信され、腹を抱えて笑う。
これも、当たり前の幸せ。
君とのLINE通話。
「お疲れ様。夕飯食べた?」
君の声は、風ではなく電波が運んでくれる。
だから、君の匂いは届かないけど、耳元で聞こえる君の声は、まるでこの部屋に君がいるようで。
「今、クラムチャウダー食べてる。これ美味い」
「好きだね、クラムチャウダー。今度レシピ調べとくよ」
「マジで?こんなの作れんの?」
「だからこれからレシピ調べるんだってば」
風の噂で、地元の友達はほとんど結婚したと聞いた。
やっぱり風は、誰かの幸せを運んでくるようだ。
地元に残る君は、不安を感じていないだろうか。
夕暮れに漂ってくる美味しそうな匂いに、焦りを感じてたりしないだろうか。
それを聞くと君は、
「まずは、お腹空いたなって思う」と答える。
作るより食べる方が好きだもんね。
そんな君がクラムチャウダーを作ってくれるなら、きっとそれはコンビニに負けない美味しさだろう。
通話を終えて、君との電波が途切れる。
YouTubeも見終えて、突然一抹の寂しさに襲われる。
いつものことだ。
この寂しさは誰にも届かず、風に運ばれることもない。
でももう少し頑張るよ。
今夜の夜風は冷たくて、夜が一層暗く思えるけど、熱々のクラムチャウダーはまだ冷めない。
僕の情熱だって負けてないよ。
この街で成長して、必ず君を迎えに行く。
そんな風に思えることが、当たり前の幸せ。
宇宙の果てはあるのかな?
異星人はいるのかな?
死んだらどうなるのかな?
幽霊になるのかな?
猫は何を考えてるのかな?
あの人は私のことをどう思ってるのかな?
分からないことだらけ。
Question!Question!Question!
でも待って。
あの人の気持ちを知る方法はある。
私が勇気を出せばいいだけ。
どうしたら勇気が出るんだろう。
誰か教えて。
Question!Question!Question!
異星人とか幽霊なんてどうでもいい。
猫の思惑は気になるけど、一番知りたいのはあの人の気持ち。
だってそれ以外のことは、私の人生に影響を与えない。
むしろ知ってしまった方が、何かと面倒な気もする。
あなたの気持ちを知ったら…涙することもあるのかな。
私からの Question。
好きな人はいますか?
それは私ではない誰かですか?
その人と幸せになれますか?
その気持ちは変わりませんか?
私がこのまま想い続けたら迷惑ですか?
そんなに悲しそうな顔をするのは何故ですか?
誰か、この涙を止める方法を知りませんか?
幼い頃、実家の裏山の頂上にひっそりと建っていた小さな神社で、言葉の話せるキツネと不思議な約束をした。
「お前が16歳になった冬、お互いの一番大切なものを交換しないか。俺はこの神社でずっと待ってる」
と、彼は言った。
「キツネの大切なものなんて、私は別に欲しくないけど」
お供えの油揚げとか、お賽銭とか?
何となく、キツネが、この神社に祀られてるお稲荷さんの使いだということは分かった。
「願いを叶える力があるとしてもか?それが俺の一番大切なものかもしれない」
10年後のことなんて分からない。
この神社だって、朽ち果ててしまっているかも。
「じゃあいいよ。私の一番大切なものが、セールで買った髪飾りだとしても交換してね」
あれから10年が過ぎた。
キツネとの約束はすっかり忘れていた。
今の私の一番大切なものは、セールの髪飾りなんかじゃない。
先月から付き合い始めた男の子。
私にとっても優しくしてくれる。
キツネと交換なんかしなくても、私の願いはちゃんと叶っているのだ。
まあ、約束したことすら忘れていたのだが。
ある冬の日、彼に誘われて、裏山に登った。
私が、「ウチの裏山に登るとね、すごく見晴らしがいいの」なんて彼に教えたからだ。
神社のことも、キツネのことも忘れていた。
軽く汗をかきながら、ものの数十分で頂上に辿り着く。
そして、朽ち果てた神社を見つけた。
あの日のことを思い出した。
私の一番大切なものは、今私の隣りにいる。
「私ね、幼い頃、この神社で、言葉を話すキツネに会ったの。信じてもらえないだろうけど」
「キツネ?それはあの狛狐のこと?あれは話さないでしょ」
「ううん、ホントのキツネ。んー違うか。ホントのキツネは話さないよね。やっぱりあれは、神様の使いだったのかな」
「面白いこと言うね。神様と話したの?」
「違うよ。神様の使いのキツネ。…でも、どうして私はあのコと話せたんだろ。そんな力も持ってないのに」
「さあ…もしかして、そのキツネが君のこと気に入ったからじゃない?それで君と話したくなったとか」
「キツネが?そんなことあるのかな。あの時、私そのコと約束したの。10年後、一番大切なものを交換しようって」
「ふーん、そしてそれは、セールで買った髪飾りではなかったんだね」
「…え?」
私の一番大切な人。
裏山に登ったあの日から、何かが違う気がする。
気のせいかもしれないけど。
あの人は理想の彼氏で、私の願いは叶えられた。
誰かのおかげ?誰かの力を借りたから?
そんなはずはない。
私は私の力で…告白して、OKをもらって…。
待って。その日の記憶がない。
私は本当に、大切なものを交換してしまったのだろうか。