夜空を見上げる。
もし、この瞬間に地球が爆発して木っ端微塵になったとしても、見上げるあの星達にとっては微風程度の影響もないのだろう。
夜空の星がひとつふたつ消えても気付かないように。
ましてや、地球上のどこかひとつの国が滅びたとしても、あの星々には何の音沙汰もない。
地球の外見すら変わらない。
ましてや、一人の人間がこの世から消えたとて、きっとそれは、我々にとっての微生物以下の存在なのではないだろうか。
虚しい。
大切な人を失ったら、立ち直れないほどに打ちひしがれるのに。
この人生を終わらせたくないと、生命果てるまで抗い続けるのに。
だが、ちっぽけだけど、尊い。
尊い存在になれたんだ、人類は。
知能と感情。
このふたつを武器に、世の理に挑み続けた結果、他のどんな動物達よりも高く、強い存在になれた。
星がひとつ消えるよりも、あなたがいなくなることが苦しい、そう誰かに言ってもらえるほどに。
だから私は今夜も、胸を張って夜空を見上げる。
きらめく星のように輝いて、いつか燃え尽きて消滅してしまう日まで、誰かの心の支えとなり、我が身を愛し続けよう。
星よりもちっぽけで、宇宙よりも偉大な存在であることに誇りを持って。
ギャンブルで溶けたお金を取り戻したい。
もしくは、ギャンブルのない世界線で生きてきたことにして欲しい。
それもダメなら、あの頃の自分に会って、今のこの想いを伝えたい。
やめとけ、お前には才能がない、後悔することは俺が知ってる。
まあ、そんな回りくどいことをするより、今、お金持ちにしてくださいと願えばいいのか。
いや、お金持ちになりたいわけじゃないんだよな。
いや、なりたいけど、それよりも、大切なお金を失って、打ちひしがれていたあの頃の自分を救いたい。
そんな気持ちがある。
いや、自業自得なんだけど。
願いがひとつ叶うならば、あの頃の自分に今という未来を見せて、大丈夫、人生はうまくいくよと伝えたい。
たぶん、一番人生を悲観していた時代だから。
そしてそれは、紛れもなく自分だから。
まずは誰よりも、自分自身を救ってあげたい。
当時の痛みや惨めさや苦労は、自分にしか分からない。
ましてや、愚かな行為の代償なのだから。
忘れてしまって、いいのかな。
もうあの頃の自分はいない。
明日を生きる糧を失い、そんな自分に嫌気が差しながら、それでも若さを信じて、ただがむしゃらに前を向いていた時代。
振り返る過去よりも、進むべき未来にしがみついていた。
もしかしたら、それはそれで、充実していたのかもしれない。
そうか。
余計なお世話だったかも。
あの頃の自分は、どん底でも這い上がる気力を持っていたんだ。
今の自分が考える「自分」ではなかった。
バカやって、落ち込んで、何とか立ち直って、またバカやって。
そうして日々を乗り越えていた、今思えば無敵の自分がいた。
願いがひとつ叶うならば、あの頃の自分を取り戻したい。
振り返らずに、前を向いて進めるように。
そして、昨今の株価下落に立ち向かえるように。
嗚呼、素晴らしきかな、我が人生。
華々しさもなく、絶賛されることもなく、ただ淡々と、その日をぼんやりと生きている。
何も特筆することのない、平々凡々な人生。
だからこそ、他人と張り合わず、奪い合わず、自分のペースで生きてゆける。
人は、上を目指せば目指すほど、手に入れたいものが増えてゆく。
時には、他人と争って、蹴落として掴んだものもあるだろう。
そこまでして、人の上に立ちたいか、称賛される存在になりたいか、華やかな生活を送りたいか。
その答えは人それぞれ。正解はない。
人生の成功なんて言葉に惑わされるな。
明確な成功の定義など無く、あったとしても、それは誰かの勝手な思惑でしかない。
どんな生き方をしても、それで自分が満足なら、素晴らしきかな、我が人生だ。
争いの末、手に入れた地位や名誉など、人生の終わりにはきっと、誰かを貶めた苦さしか残らない。
堕落した人生を望んでいるわけではなく、どんな人生であろうと、自分が後悔するものでなければ、それは充実していたと言えるのではないだろうか。
逆に言えば、後悔するくらいなら軌道修正した方がいい。
自分の生きたいように生きれば、後悔なんてしないはずだ。
あとは、これでいいのか?、なんて悩むのをやめること。
悩んだって、その答えはどこにもないから。
そーやって、自分に言い聞かせてる。
そうでもしなきゃ、人生に迷ってしまうから。
嗚呼、惑わしきかな、我が人生。
親と喧嘩すると、いつも僕は二階に駆け上がり、自分の部屋にあるクローゼットの扉を開けて、その先の大空に飛び込んだ。
雲を突き抜けて、落下してゆく。
地上が遠く見え、それがみるみるうちに近付いてきて、気付けば目の前にアスファルトの道路が迫る。
鈍い音がして、破裂して、体が粉々になる感覚。
僕の意識だけが、今度は上昇を開始して、地上が、見知らぬ街が遠ざかっていく。
雲を突き抜けて真っ白になったところで、いつものようにベッドの上で目を覚ます。
もう何度、自分を破壊しただろう。
あのクローゼットの扉の奥は、僕の秘密の場所。
お母さんが開けても普通のクローゼットでしかない。
僕が普通に開けても同じだ。
何故か、僕が嫌な思いをした時だけ、あの場所が現れる。
だからそんな時は扉の向こうの大空にダイブして、地上で自分を木っ端微塵にしてイライラを解消する。
初めて大空を見た時は、下を覗いたらミスって落っこちて地上でバラバラになったけど、気付いたらベッドで目を覚ましたことで、これは夢なんだと思った。
夢なら別に壊れたっていいじゃないか。
壊れた後の目覚めは爽快で、さっきまでの嫌な思いはどこへやら。
高校を卒業し、家を出ることになった。
もう、あの大空ダイブともさよならか。
残念だけど、大人になるってこーゆーことなのかな。
最近は、以前よりイライラすることも少なくなったし、受け流すことも出来るようになった。
あの秘密の場所は、もう自分には必要のないものとなっていた。
クローゼットの中も空にして、住み慣れた部屋を後にする。
ある日、大学の帰りに友達の家に寄った後、初めての街を、スマホを頼りに家路についていた。
そして、ある場所で立ち止まる。
何故か、無性に苛立ちが湧いてくる。
何だこれは。
辺りを見回すと、デジャブに襲われ、初めての街が見慣れたものになっていることに気付く。
自分が破壊される直前に、何度も目にしていた光景。
「ここか…でも、なんで…」
そんな思いは、理不尽な怒りに塗り潰され、いつのまにか自分の右手には、覚えのないナイフが握られていた。
もう、雲の向こうへ飛ぶこともなく、ベッドの上で爽快に目を覚ますこともないのだろう。
人間、なんてららーらーららららーらー。
これを知っている人、どれくらいいるんだろう。
1990年頃に、とらばーゆのCMで使われてた歌の歌詞。
とらばーゆを知らないかな?
まあ、今で言う、ジョブアイデムやタウンワークみたいな、要するに求人情報誌だ。
そのCMで、サディスティック・ミカ・バンドのMICAが歌ってた。
オリジナルは吉田拓郎の歌で、それは1971年まで遡る。
こっちは私も知らない。
このCMを見て、この歌を初めて聴いて、「そっか、人間なんて、ららーらーららららーらーなんだな」と感銘を覚えた。
当時20歳くらいで、たぶんいろんな悩みもあっただろう。
悩みなんて、ほぼすべてが他人に起因するものだ。
そこに、人間なんてららーらーららららーらー、だからね。
気持ちも軽くなる。
いや、この歌詞を作った吉田拓郎の意図は知らないが。
でもとにかく、ずいぶん救われたのは間違いない。
女性の求人情報誌のCMだったが。
CMでは、画面に一人の女性、その真ん中に「私にキッス」と表示され、ナレーションは「私が一番、可愛い」。
ホントに求人情報誌?てな内容だったが、これもまあ、他人に振り回されるな、自分をもっと大切にしよう、とも受け取れて、当時の自分には結構響いたのだろう。
嫌なことがあると、よく心の中で口ずさんでいた。
今思えば、ラララに何を当てはめるか、それは人それぞれなんだろうな。
人間なんて、という言い方から、あまりポジティブな印象は持てないが、諦めとともに解放された気分になったのも確かだ。
お前の人間関係の悩み、実はたいしたこっちゃないよ、と言われてる気がして。
実際、他人とのトラブルなんて、自分に危害を加えられる案件でない限り、どーでもいいことばかり。
まさに、ららーらーららららーらーだ。
だって、相手の気持ちはどうこう出来ないし、ありのままの自分で接して変わってくれたらラッキー、くらいでいいわけだから、深く悩む必要なんてない。
それで付き合っていくのに抵抗を感じるのなら、もうその人とは離れてゆく心づもりでいるしかないかなと。
人間なんてラララだから別にいいじゃない。
また新たな出会いがきっとあるし。
きっと、人生だってららーらーららららーらーなんだと思う。
言いたいことをいっぱい書いた。
うん、まとまらない。
まあ、いつものこと。
もっとこう、伝えたいことはいろいろあるのだが、それをうまく言葉に出来ないもどかしさ。
だからこそ、ららーらーららららーらーが有効なのかな。
ここには人それぞれ、十人十色の解釈が含まれる。
想いなんて、簡潔明瞭にせずに、このくらいボカすのが丁度いいのかも。
相手の受け取りも柔らかくなるし。
まあ、就職の面接でそれはマズイだろうけど。
ヤバい。終わり方が分からない。
次から次へと言葉があふれてくる。
もうこの辺で無理くり終わりにしよう。
それでは皆さん、ららーらーららららーらー。