風が運ぶもの。
それはきっと、匂い。
夕暮れの帰り道、どこかの家から漂ってくる夕飯の匂い。
それはきっと、当たり前の幸せの匂い。
どこかの灯りの下で、家族の団らんが繰り広げられている。
僕はコンビニのお弁当を引っさげて、一人暮らしの部屋に帰る。
着替えて、お弁当温めて、YouTube見ながら一人飯。
でも、最近のコンビニ弁当は美味い。
カップのクラムチャウダーも買ってきた。
大好きなYouTuberの新しい動画が配信され、腹を抱えて笑う。
これも、当たり前の幸せ。
君とのLINE通話。
「お疲れ様。夕飯食べた?」
君の声は、風ではなく電波が運んでくれる。
だから、君の匂いは届かないけど、耳元で聞こえる君の声は、まるでこの部屋に君がいるようで。
「今、クラムチャウダー食べてる。これ美味い」
「好きだね、クラムチャウダー。今度レシピ調べとくよ」
「マジで?こんなの作れんの?」
「だからこれからレシピ調べるんだってば」
風の噂で、地元の友達はほとんど結婚したと聞いた。
やっぱり風は、誰かの幸せを運んでくるようだ。
地元に残る君は、不安を感じていないだろうか。
夕暮れに漂ってくる美味しそうな匂いに、焦りを感じてたりしないだろうか。
それを聞くと君は、
「まずは、お腹空いたなって思う」と答える。
作るより食べる方が好きだもんね。
そんな君がクラムチャウダーを作ってくれるなら、きっとそれはコンビニに負けない美味しさだろう。
通話を終えて、君との電波が途切れる。
YouTubeも見終えて、突然一抹の寂しさに襲われる。
いつものことだ。
この寂しさは誰にも届かず、風に運ばれることもない。
でももう少し頑張るよ。
今夜の夜風は冷たくて、夜が一層暗く思えるけど、熱々のクラムチャウダーはまだ冷めない。
僕の情熱だって負けてないよ。
この街で成長して、必ず君を迎えに行く。
そんな風に思えることが、当たり前の幸せ。
宇宙の果てはあるのかな?
異星人はいるのかな?
死んだらどうなるのかな?
幽霊になるのかな?
猫は何を考えてるのかな?
あの人は私のことをどう思ってるのかな?
分からないことだらけ。
Question!Question!Question!
でも待って。
あの人の気持ちを知る方法はある。
私が勇気を出せばいいだけ。
どうしたら勇気が出るんだろう。
誰か教えて。
Question!Question!Question!
異星人とか幽霊なんてどうでもいい。
猫の思惑は気になるけど、一番知りたいのはあの人の気持ち。
だってそれ以外のことは、私の人生に影響を与えない。
むしろ知ってしまった方が、何かと面倒な気もする。
あなたの気持ちを知ったら…涙することもあるのかな。
私からの Question。
好きな人はいますか?
それは私ではない誰かですか?
その人と幸せになれますか?
その気持ちは変わりませんか?
私がこのまま想い続けたら迷惑ですか?
そんなに悲しそうな顔をするのは何故ですか?
誰か、この涙を止める方法を知りませんか?
幼い頃、実家の裏山の頂上にひっそりと建っていた小さな神社で、言葉の話せるキツネと不思議な約束をした。
「お前が16歳になった冬、お互いの一番大切なものを交換しないか。俺はこの神社でずっと待ってる」
と、彼は言った。
「キツネの大切なものなんて、私は別に欲しくないけど」
お供えの油揚げとか、お賽銭とか?
何となく、キツネが、この神社に祀られてるお稲荷さんの使いだということは分かった。
「願いを叶える力があるとしてもか?それが俺の一番大切なものかもしれない」
10年後のことなんて分からない。
この神社だって、朽ち果ててしまっているかも。
「じゃあいいよ。私の一番大切なものが、セールで買った髪飾りだとしても交換してね」
あれから10年が過ぎた。
キツネとの約束はすっかり忘れていた。
今の私の一番大切なものは、セールの髪飾りなんかじゃない。
先月から付き合い始めた男の子。
私にとっても優しくしてくれる。
キツネと交換なんかしなくても、私の願いはちゃんと叶っているのだ。
まあ、約束したことすら忘れていたのだが。
ある冬の日、彼に誘われて、裏山に登った。
私が、「ウチの裏山に登るとね、すごく見晴らしがいいの」なんて彼に教えたからだ。
神社のことも、キツネのことも忘れていた。
軽く汗をかきながら、ものの数十分で頂上に辿り着く。
そして、朽ち果てた神社を見つけた。
あの日のことを思い出した。
私の一番大切なものは、今私の隣りにいる。
「私ね、幼い頃、この神社で、言葉を話すキツネに会ったの。信じてもらえないだろうけど」
「キツネ?それはあの狛狐のこと?あれは話さないでしょ」
「ううん、ホントのキツネ。んー違うか。ホントのキツネは話さないよね。やっぱりあれは、神様の使いだったのかな」
「面白いこと言うね。神様と話したの?」
「違うよ。神様の使いのキツネ。…でも、どうして私はあのコと話せたんだろ。そんな力も持ってないのに」
「さあ…もしかして、そのキツネが君のこと気に入ったからじゃない?それで君と話したくなったとか」
「キツネが?そんなことあるのかな。あの時、私そのコと約束したの。10年後、一番大切なものを交換しようって」
「ふーん、そしてそれは、セールで買った髪飾りではなかったんだね」
「…え?」
私の一番大切な人。
裏山に登ったあの日から、何かが違う気がする。
気のせいかもしれないけど。
あの人は理想の彼氏で、私の願いは叶えられた。
誰かのおかげ?誰かの力を借りたから?
そんなはずはない。
私は私の力で…告白して、OKをもらって…。
待って。その日の記憶がない。
私は本当に、大切なものを交換してしまったのだろうか。
子供の頃、スカートめくりなんてのが流行ったな。
いや、身近でやっている人はいなかったが、テレビやマンガでやたらと描かれてた。
今思えば、めくったところでそんなに嬉しいものが見られるわけでもないと思うが、そこに男のロマンを感じ取れる人が多かったのだろうか。
わざわざ誰かがめくらんでも、突風が吹いてスカートを持ち上げれば、誰に罪なく同じものが見える。
いや、決して堂々とは見ないが、まあ、咄嗟のことで避けがたく目に入ってしまうことはある。
ラッキースケベには違いないが、たぶん自分の場合、うわぁ見ちゃったごめんなさい、の気持ちの方が強い。
誤解を恐れずに言えば、スカートがひらりとめくれて見える光景は、男女どちらでもそんなに変わらないのでは?と思ってしまう。
そもそも、男性がスカートをはくこと自体が稀かとは思うが、ちゃんとムダ毛を処理して、女性用の下着をつけて、憧れの…もとい、不本意ながらスカートをはけば、それがめくれて見えるものの違いに、どれだけの人が気付けるだろう。
真面目な論調で何を言ってんだと我ながら思うが、他に何もアイデアが浮かばなかったので仕方がない。
ここは、このお題をひらりとかわして次にいくしかないかな、と。
ちなみに、学生の頃、女子の制服はスカートに限定されて、その長さも規定されている学校ってのは、その校則をスケベ心で作ってんのかなと勘ぐってたのも事実。
夕暮れて、薄闇が迫る。
小学校の校門を出ると、畑に挟まれた一本道が延々と続く。
そこを、ランドセルを背負ってトボトボと歩いていた。
宿題を忘れて居残りとなり、先生に説教をされて、やっと解放されたのはついさっき。
日が暮れるのがこんなに早いとは。
辺りに人の姿はなく、道沿いの家には明かりが灯り始めた。
夜が訪れる。
街灯もほとんどなく、暗闇に包まれた景色の真ん中に、まっすぐな道が伸びている。
早く家に帰りたいと、自然に早足となり、ランドセルのベルトを両手で握りしめて、歩調をさらに速めた。
すると、歩きながら前を向く視界に、不意に人影が浮かび上がる。
そこは、まっすぐな道が交差し、十字路となっている場所。
街灯が一本、頼りなげに灯っている。
その街灯の明かりの下、逆光でシルエットとなった人の姿が、微動だにせずに立ち尽くしているのが見えた。
「知らない人に声をかけられても、ついていかないように」
先生や母親から言われた言葉。
言われなくたって、知らない人についていったりなんかしない。
だって、怖いじゃないか。
知らない人の心の中は、まるで深淵のように深く、その真実は見えない。
たとえ笑顔が張り付いていても、その偽りの表情の奥に、どんな暗い感情が渦巻いているのか。
あまりそちらを見ないようにして、通り過ぎようとした。
街灯の下に来た時、不意に声をかけられる。
「あなたは誰かしら?」
思わず立ち止まり、
「…え?」
質問の意図が分からない。
「あなたは、誰?」
同じ質問をされて、言葉に詰まる。
「誰って…」
見上げると、見も知らぬ女性だった。
笑顔だった。怖かった。
走って逃げた。
帰宅して、母親に今あったことを説明する。
すると母は、
「ああ、あの人ね。知ってるわ。目が見えないんだって」
その女性について教えてくれた。
「あなたの学校の、確か二年生の子のお母さんよ。あなたよりふたつ下ね」
「男の子?女の子?」
「男の子だったと思う。きっと、その子を迎えに行ってるのね。目が見えないから、あなたにそう聞いたんじゃない?」
「あなたは誰って?じゃあ、ちゃんと名前言った方が良かったのかな?」
「うん…でも、答えなくても良かったと思うよ。その子ね、半年前に交通事故で亡くなってるの。それからずっとあのお母さん、もういない息子さんを探して歩いてるんだって」
「あなたは誰かしら?」
あの笑顔を思い出す。
もしあの時、自分の名前を伝えていたら、彼女は何と返したのだろう。
知らない人の心の中は、まるで深淵のように深く、その真実は見えない。
彼女の悲しみの深さも、その笑顔の奥にある感情も。
それから、あの女性に会うことはなかったが、大人になった今、時折、物悲しく思い出す。
どこかで、我が子の名を告げる相手に出会えていたら、あの笑顔は、偽りでなく本物に変わったのだろうか。
だが、その時こそがやけに恐ろしく、切なさとともに、あの暗い一本道が脳裏に浮かぶのだ。