この世界に、まだ知らない君がいる。
いつか何処かで出会うかもしれない。
見も知らぬまま、生涯を終えるかもしれない。
同じ時代を生きて、同じ空を見上げ、もしかしたら、どこかの通りですれ違っていたかも。
もうすぐ春が来る。出会いの季節が訪れる。
交わることのなかった線と線が、ある一点で交差する季節。
その出会いが、自分の人生にどんな変化を与えてくれるかは分からないけど、人と出会うこと、それはとても煩わしくて、新鮮で、奇跡のようなものなのだろう。
今はまだ知らない君が、最高の親友になるかもしれない。
今はまだ知らない君が、最愛の恋人になるかもしれない。
今はまだ知らない君が、生涯の伴侶になるかもしれない。
存在すら知らぬまま、遠い世界の何処かで生きている君が。
その出会いを、幸せにつなげることが出来るかどうか。
可能性は未知数で、無限大だ。
だけど、出会わなきゃ始まらないものがある。
それは、人としての営み。生きる意味となり得るものだ。
だから私達は今日も、それぞれの場所へと通う。
そして、挨拶を武器に、まだ知らない君を、特別な存在になり得る君を、ゆっくりと知っていく。
もうすぐ春が来る。
職場のビルの裏手。
一日中、ほとんど日が当たらない、ビルとビルの隙間。
そこから、赤ん坊の泣き声が聞こえている。
人が一人通れるかどうか、ギリギリの隙間だ。
赤ん坊がいるとは考えにくい。
しかも、私以外の人には、その泣き声が聞こえないという。
「猫の鳴き声なんじゃないの?私には聞こえないけど」
同僚はそう言って、顔をしかめた。
その手の話は嫌いなのだろう。
私だって、出来ればこんな声は聞きたくない。
「そうかもしれない。でもさ、隣が何のビルか、知ってるでしょ?」
産婦人科。
かと言って、ビルの中から聞こえてくる声ではなさそうだ。
明らかに、ビルとビルの隙間の暗闇から聞こえてくる。
そしてそれは、決まって朝の通勤時のみ。
ある日私は、職場に出勤する途中、その隙間の前で立ち止まった。
聞こえている。赤ん坊の泣き声。
しかも、一人じゃない。何人もの、赤ん坊の泣き声。
隙間に目を凝らす。薄暗闇の中、蠢く無数の塊。
これは、この世に生まれてくることが叶わなかった命の雄叫びか。
日の当たる場所へ生まれいづることが出来ずに、日陰の存在のまま、打ち捨てられた生命達。
いつのまにか私の体は、ビルの隙間の暗闇に吸い込まれていた。
そして、私の前後でひしめき合う赤ん坊達。
私は目を閉じて、いくつもの赤ん坊の声を聞き、その中から、聞き覚えのある泣き声を探しあてた。
あの子…私の体に命を宿しながらも、我が子としてこの腕に抱きしめることが出来なかった、あの子。
ごめんなさい。
どんな事情があろうとも、手放すべきじゃなかった。
若さ故の愚かさで、こんな場所に閉じ込めてしまうなんて。
このまま、私もこの子達とともに、この日陰に沈んでしまおう。
償うことなど出来るはずもないが、苦しみを分かち合うことくらいなら…。
突然耳元で、あの子のキャッキャと笑う声が聞こえ、気付けば私は、職場のビルの前に立っていた。
そして、どこからともなく、風に乗ってあの子達の声が聞こえてきた。
「今日もお仕事頑張ってね、ママ」
会った時から違和感を感じていた。
その違和感が何か気付いたのは、久し振りに会った友達と駅前のカフェに立ち寄り、彼が席に座る際に、かぶっていた帽子をテーブルの上に置いた時だった。
「あれ、これ俺のじゃん」
思わず声に出てしまった。
友達は、帽子と俺を交互に見て、
「お前のってゆーか、前回会った時、お前が俺にプレゼントしてくれた帽子だよ。忘れたのか?」
「プレゼント?…ホントか?かなりお気に入りだった帽子なんだけど。最近見つからなくなって…」
「おいおい勘弁してくれよ。それじゃまるで俺が盗ったみたいになっちゃうじゃん。…まあ、お前あん時かなり酔っ払ってたから、覚えてないのかもしれないけど…」
なんだか、気まずい空気が流れ出した。…いや、俺のせいか。
「なんかごめん。セコいこと言っちゃって」
「じゃあさ、こうしないか。この帽子はお前に返すよ。ただ、俺も気に入ってたからさ、俺がこの帽子かぶってるとこ、お前のスマホで撮ってくんないかな。そんで、後で俺にその画像送ってよ」
「…ん?どーゆーこと?それでいいの?」
「ああ。お前のお気に入り奪ったみたいじゃ気持ち悪いじゃん。でも、その画像を見ればさ、俺もその帽子をかぶった気になれるから」
「…そーゆーもんか?そーゆーもんなのか?」
「帽子ってさ、自分がかぶってる姿を見られるのは、鏡の前か写真くらいだろ。だから、写真を表示したスマホの画面を鏡だと思えば、今日も俺はこの帽子をかぶってるって思えるんじゃないかな」
「いや…でもそれは…お前、無理してない?」
「してないって。その代わり、お前のスマホにもその画像は残しといてくれ。で、たまにお前も見てくれたら、なんか俺もその帽子を持っている気になれるから」
「…なれる、のか?」
「なんだってさ、気の持ちようなんだよ」
気まずさは吹き飛んだ。彼のおかげだ。
楽しく食事をして、彼と別れた後、俺はネットでこれと同じ帽子を検索したが、見つからなかった。
限定品だったかな。それなりの値段だったしな。
スマホを閉じる前に、ついさっき撮った友達の写真を表示する。
俺のお気に入りの帽子をかぶって、満面の笑みでポーズを決める彼。
ホントにこれで良かったのかな。
そんな想いが心を過ぎったが、彼の笑みを見ているうちに「気の持ちようなんだよ」という彼の言葉を思い出して、俺はそっと送信ボタンを押した。
今日もただ、語ろう。
電車の中で、高齢者に席を譲った記憶がほとんどない。
そーゆーシチュエーションを避けてほとんど席に座らないから。
あれって、それなりの勇気が必要な行為だと思う。
いや、呼吸をするように出来る人もいるが、断られるんじゃないかとか、まるで好きな女性に告白する時のような緊張感に包まれるのは私だけだろうか。
ほとんどないが、譲ったことはある。
とゆーか、次の駅で降りるような素振りで黙って席を立った。
いや、「どうぞ」くらいは言ったかな。
これはこれで感じ悪いな。
でも、これが精一杯の小さな勇気の為せる業だったと思う。
譲りたいという気持ちは、少なからず持っているんだ。
人を救うのには、勇気が必要だ。
以前、やはり電車の中で、突然目の前に立っていた女性が倒れたことがあった。
貧血だと思うが、「大丈夫ですか!?」と声をかけた後、咄嗟に行動に移せない自分がいた。
まず、女性だということ。
男である自分が、下手に触れられないという思い。
そして、医療知識を持たないこと。
貧血だとは思っても、断定することは出来ない。
…する必要もないのだが。
結局、私の隣にいた年配の女性が寄り添ってあげて、次の駅で二人、降りていった。
何だか、気まずかった。
いや、何もマズイことをしていないのは分かってる。
むしろ、救おうとしたじゃないか。
だけど、本当は自分がカッコよく助けたいんだ。
躊躇しながら声をかけるだけじゃなく、谷原さんのように、スマートに手を差し伸べたい。
相手が若い女性ならなおさら。
…いや、やめとこう。
きっと何か、問題が起きる。
私と谷原さんは違うんだ。それを肝に銘じよう。
落ち着いて、状況をを見て、これは自分が行くべきシチュエーションだと自信を持てたら、その時こそ動ける勇気を失くさないようにしていれば、それでいい。
ほんの小さな勇気だが、誰もがその勇気を持っていたら、きっと世界は「人が人を助けるのが当たり前」な場所に変わるんだろう。
そしたら私だって若い女性を…いや、やめとこう。
驚くのは、❤の付く早さ。
何とか書き上げて、気付けば深夜だったり早朝だったりもするけど、そのタイミングで投稿しても、ものの数秒で❤が付いたりする。
まずは、ありがとうございます…なんだけど、ホントに人間業なの?とか不審に思ってみたり。
下手すりゃAIが投稿を監視してて、誰彼構わず❤をバラまいたりしてるんじゃ、とか勘ぐってしまう。
まあ、そんなとこにAIを使うことの宝の持ち腐れ感ハンパないが、ネットの向こうに本当に人がいるのかは分からないわけで、だからこそ誹謗中傷は無くならないのだろう。
誹謗中傷がすべてAIの仕業なら、その攻撃力も少しは弱まるんじゃないかとは思うが、まあ今はそんなことはさておき、❤の付く早さの件。
このアプリの利用人口が現在どうなっているのかも知らず、その仕様すら理解していないが、少なくとも、私がお気に入りに登録している人の作品を読むのは、「わぁ!いつのまにかアップされてる」と気付いた後。
我ながら無理やり感が強いが…まあいいや、そうなると、投稿されてからかなり時間が経っていることもままあるわけで、直後に❤を送るなんて芸当はなかなか出来るもんじゃないなと思ってる。
そもそも、あの短時間で、私の作品は本当に読んでもらえているのだろうか。
そこそこ長文を書いていると自認しているのだが。
それとも、「この人の作品は面白いに決まってる」と、投稿と同時に❤を…あ、いや、何でもないです。
何はともあれ、疑問を感じてはいるが、あのリアクションの速さが自分のモチベーションになっていることは確か。
もしかしたら、私が不勉強なだけで、投稿を即時通知してくれる機能があったりするのかもしれないが、まあ私は今のスタイルで不満はない。
ただ、「わぁ!こんな時間に起きて私の作品を読んでくれてる人がいるの?」と、我ながら無理やり感が強いが、毎度驚かされるということを伝えたかっただけ。
一番驚きなのは、ネタに詰まって、こんな内情暴露でお茶を濁そうとしていることかもしれないな。