目を覚ますと、見覚えのない部屋。
何もない床の上に横たわっていた。
確か…パチンコの帰り道、負けてイライラしながら、地下鉄の階段を降りていたところまでは覚えてる。
電車には乗っただろうか。
そこの記憶はない。
静寂に包まれた部屋。
誰もいない。
壁は白く、窓も…扉もない。
そんな馬鹿な。
どこから入ってきたというのか。
天井の片隅に、小さなスピーカーがあるのに気付いた。
突然、静寂を切り裂くように、聞き覚えのない男の声が響き渡る。
「どーですか。少しは反省しましたか?」
「反省…?何の話だ?」
「困るんですよね。好き勝手やられちゃ」
「だから何の話だよ。お前は誰なんだ」
「私ですか?私は、あなたの…」
ザザザ…ガガガ…ノイズが混じり、聞き取れない。
「おい、どーでもいいからここから出せ!」
「…ご自由に、どうぞ」
見ると、部屋の片隅に、いつの間にか扉が出現していた。
立ち上がり、扉に向かって走り出す。
とにかく、ここを出ることしか頭になかった。
扉を開け外に走り出ると、そこは線路の上。
すぐ目の前に電車が迫っていた。
振り返って目にしたその扉には、
「リトライ待機部屋」
と書かれたプレートが。
そうか…あいつは俺の…プレイヤー…
そこまで考えたところで、眩い光とともに、かつてない衝撃が体に降り注いだ。
別れ際に、大きく手を振った。
遠く離れてゆくあなたに、いつまでも見えるように。
バスの後部座席で振り返るあなたの淋しそうな顔。
きっとまた会えるから、涙は見せないで。
きっとまた会えるから、サヨナラは言わないで。
今頃どうしているかな。
向こうで、友達は出来たかな。
美味しいご飯を食べてるかな。
また今度あなたに会う時は、きっと少し大人になっているはず。
それでも、私の知っているあなたでいて欲しい。
「ただいま!」
あなたの元気な声。
幼稚園バスを降りて、私のもとへ走ってくる。
今日一日、楽しかったみたいだ。
明日の別れ際には、淋しい顔は見せないで行けるかな。
突然の夕立に、人気の消えた商店街の軒先で雨宿り。
通り雨だ。すぐ止むだろう。
先客がいた。うずくまる三毛猫。
恨めしそうに雨空を見上げている。
「お前も雨宿りか」
「にゃあ」
間違いなく、猫だ。
「次の取引先の客を待たせてんのに、こんなところで足止めだよ。びしょ濡れじゃマズイし、店もやってないから傘も買えない。まあ、俺が天気予報を確認して傘を持ってくりゃ良かった話だけど」
猫は黙ったまま、俺をじろりと睨む。
不敵な面構えだ。可愛くはない。
でも、愛嬌だけは…いや、ないか。
「お前も誰かに飼われてりゃ、こんなとこで雨宿りしなくてもよかったのにな。お互い、不憫な境遇だよな」
「にゃー」
「取引先のおっさんが嫌なヤツでさ、完全に人の足元を見てる。毎回ネチネチとこっちの腹探られてさ、まったく商談はまとまらない。今日も遅刻だし、また嫌味言われるよ、きっと」
「にゃーにゃ」
「お前みたいに自由気ままもいいけど、明日の飯にも困るようじゃたまらんしな。人間は働かないと」
「にゃーにゃにゃーにゃにゃ」
「お前…さっきから返事してないか?…気のせいだよな」
「にゃ」
雨が上がりそうだ。やっぱり通り雨だったらしい。
「さて、客先のオヤジがキレる前に顔を出すか。じゃあな、お前も達者でな」
「ほっとけ」
「えっ?」
「にゃあ」
「おいおい、お前…」
猫はのそのそと起き上がり、こちらに尻尾を向けて去ってゆく。
その両足の間から、タマタマがチラチラと見えていた。
「え?三毛猫の…オス?」
「お前も頑張れよ」
「え?…えぇ?ちょっと待って…」
「ま、俺は安泰だけどな」
「いや、待てって。どこ行くんだよ」
猫は走り出し、商店街の裏の、今まで見たこともないような豪邸に吸い込まれていった。
「三毛猫のオスってかなり希少な…てゆーか、あいつ、喋ったぞ。三毛猫のオスって喋るんだっけ?だから希少なのか?」
頭が混乱してくる。
「ま、まあ、いいや。仕事しよ」
雨は上がり、雲の切れ間から差し込んだ陽光が水溜りに煌めいている。
ネクタイを締め直して、軒先を出る俺の耳に、
「俺に会えたから、お前にも運が回ってくるよ」
なんて都合のイイ声が聞こえたような…気がした。
やっと涼しくなってきた。
一番辛い季節を乗り越えた達成感。
さて、今年は秋を堪能できるだろうか。
紅葉、秋刀魚に秋桜。
おっさんくさい景色や味覚だと今だに思っているが、綺麗なもんは綺麗で、美味いもんは美味い。
虫の声も落ち着く音色に変わって、なんか世界が少し、大人になったような気がする。
でも、子供達も元気に運動会の季節。
熱中症で倒れる心配もほぼ無くなっただろう。
秋🍁はいいね。
秋恋に秋晴れに中秋の名月。
ギラギラがサラサラに変わる感じ。
アイスコーヒーはいつ頃までかな。
そろそろ、香り立つホットに変えるべきか。
この変化も、秋の楽しみだな。
ただ、これからは布団にくるまって、朝起きるのが辛くなる季節でもある。
凍えながら、まだ夜が明けきらず暗いうちに起きて、眠い目をこすりながら出勤。
こんな毎日が始まったら、きっとどこかで夏の日々が恋しくなるのかも。
まあ、そうなったとしても、朝は温かいホットコーヒーでリラックスして、大人な時間をゆったりと過ごしてから、清々しい朝の光を浴びて仕事に向かおう。
今だけは、短い秋の心地良さを楽しんで。
職場の窓から見える景色はなかなかイイ。
東京タワーもスカイツリーも新宿都庁ビルも見える。
夜景も綺麗だし、残業しててもちょっとした慰めになる。
でも、ここにいたら、一番見たいものが見えない。
我が家だ。
もしも、再び震災が起きたら、その時はここにはいたくない。
高層ビルのリスクの問題もあるが、生命に関わる状況下において、一緒にいるべき相手はここにはいない。
この窓から見える景色の中に、数えきれないほどのたくさんの人達がいるはずだが、その誰もが、私の人生に関わりを持たない人。
顔も知らず、言葉を交わすこともなく、一生を終える人達。
職場には見知った顔がいくつもあるが、それでも、家族のように命がけで助け合える仲間はいないと思ってる。
それはそれで少し淋しい話だけど、それぞれの人達に、それぞれ守るべき存在が他にいるはずだ。
映画のようにカッコ良く、皆を助けるヒーローにはなれないな。
真っ先に家に帰って、家族一丸となって生き延びる策を練りたい。
窓から見える景色の話から遠ざかったが、この東京の風景、築き上げられた文明を感じるとともに、そのための努力が一瞬にして崩れ去る儚さも感じ取ってしまう。
こんなに高いところから見下ろしているからか、すべてがミニチュアの箱庭を見ているみたいだ。
ジャングルジムのてっぺんとは違う。
ゴジラや進撃の巨人、マシュマロマンなんかに踏み潰される様を思い描いて、悦に入…もとい、戦慄してしまう。
そしたらこの窓は、大スペクトル映画のスクリーンにもなり得るな。
…いや、破壊されるミニチュアセットのうちのひとつか。
いずれにせよ、仕事の合間に窓から見える景色を堪能しながら、そんな妄想に耽ってサボっていることが浮き彫りになった訳だ。
窓際に席を移されて、干されることのないように気をつけないとな。