Ryu

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8/27/2024, 1:49:59 PM

君と二人、雨に佇む。
傘はひとつ、滴る水滴に肩は濡れ、雨は止みそうにない。
どこかの軒先で雨宿りを、と思ったが、君はその場を離れなかった。

坂の上の高台。遠くに海が見える。
海の色も空の色も灰色に染まり、気持ちも少しずつ沈んでゆく。
「明日は晴れるかな?」
君がポツリとつぶやいた。
「晴れたら、何がしたい?」
灰色の空を見上げながら、君は少し考えて、
「あなたと、海辺を歩きたい」

雨が上がるまで、一緒にいようと決めた。
そして、雨が上がったら、お別れしようと。
君と海辺を歩く日は、きっと来ないだろう。
遠く、雨に霞む海岸線に、二人が肩を並べて歩く姿を重ねようとしたが、うまくいかなかった。

夏の終わり、挙式を控えた君の横顔は、あの頃と何ら変わっていないのに、僕達の関係はすっかり変わってしまった。
恋人ではなく、大切な人。
過去に恋愛の真似事もしたが、続かなかった二人。
だけど、僕にとって君は今でも、大切な人。

「…このまま、雨が上がらなかったら?」
君が首を傾げて聞く。
「止まない雨はないよ」
つまらない答えで君を遠ざける。

降りしきる雨に、このままずっと、と願いをかければ、何かが変わるのだろうか。
青空の下、海辺を歩く二人の姿がそこにはあるのだろうか。
いや…そんな未来は望んでいない。
僕も…きっと、君も。

夜の手前で、雨は上がった。
僕は君に別れを告げた。
「別に、サヨナラしなくたっていいんじゃない?」
無邪気を装って君が言う。
「いつまでも、子供じゃいられないから」
君に説明できる理由など、僕は持ち合わせていない。
「子供時代とサヨナラするの?」
たぶん、無邪気な頃の二人に戻ってしまうことを恐れてる。
「子供の頃から、大切だった人に」
街の明かりが灯り始めた。

これは、僕の感情の身勝手な暴走だ。
暴走を止めるための身勝手な儀式だ。
君が去った高台で、雨に佇み君の幸せを願う。
愚かな生き物が、君と彼の幸せを願う。

8/26/2024, 1:10:52 PM

以前にも書いたかな。10年日記というアプリ。
2014年から利用してるから、もう今年で10年目になる。
一日も欠かさず、10年間の出来事を描き続けている。

出来事といっても、何も起きない日だってある。
いつものように職場へ向かい、いつものように働いて、仕事を終えて帰宅、眠るまでの家族との時間。
そんな日は、何も起きなかったことを日記に残す。

そうやって、この10年間を文字に変えてきた。
一日に疲れて、寝落ちしてしまった日も、目覚めた後で記憶を頼りに書き記した。
イライラした日や落ち込んだ日に、その詳細を書くことで、さらに自分を追い詰めることも。

だけど、そんな日々の感情をも残すことで、自分という人間が見えてくる…ような気がする。
そして、自分が見えてくれば、それをコントロールすることも出来るようになるんじゃないかと。

つまりは、メンタルの安定、思えば、仕事のストレスにやられ、パニック障害を発症した頃に始めた「書く習慣」が、この日記だった。
2014年のある日、初めて日記に記したのは、

素晴らしい本に出会った。
ゆっくり生きることに決めた。

このたった二行。
出会った本が何だったのかすら覚えていないが、その当時の自分が葛藤し、不安を抱えて生きていたことが分かる。
その記録を残そうと思った。
残すことで、何かを変えられるんじゃないかと思った。

そして今、モノを書くことのパワーに感謝してる。
すべての不安を払拭できた訳ではなく、パニック障害も克服できてはいないが、都度、想いを言葉にすることで、自分の中での整理がつけられているような…気がしてる。

モヤモヤっと形にならない想いを抱えているよりも、ツライならツライと言葉にして文字に変えて、ならさてどーすると議題に上げた方が、目の前の問題がスッキリする。
即座に解決する訳ではないが、解決しようとする気持ちになれる。

初心に返れば、まずはゆっくり生きることだ。
さすがに、10年前の決断は忘れかけていた。
思い出したのは、今回のお題のおかげだな。
やっぱり、「書く習慣」は素晴らしいと再認識。

8/25/2024, 8:56:25 PM

死と隣り合わせ、とか、死と背中合わせ、とかはよく聞くけど、死と向かい合わせ、とはあまり聞かないような…死と向き合う、って言葉は耳にするけど。
隣り合わせとか背中合わせってことは、死ぬということをあまり意識せずにいても、その確率が高まっているということだろうか。

向かい合えば、否が応でもその存在を意識してしまう。
眼前にある、訳だから。
とゆーことは、目の前に刃物を持った男が憎しみを込めた顔で立っていたら、これは死と向かい合わせていることになるだろうか。
一番嫌な状況だな。
覚悟しなきゃいけないシチュエーションだ。

つまり、向かい合った状況の方が、覚悟を決めるには適していると。
そうだな、死と向き合っている人達は、抗いつつも現実を受け入れるしかない。
だけど、隣り合わせや背中合わせで死を迎えた人達は、心の準備が出来ていないまま、この世を去ることもあるだろう。

実際には、刃物を持った男が目の前にいても、その場で覚悟を決めるのは容易じゃないと思う。
向き合ってはいるが、理不尽さを消すことは難しい。
長く入院して、もう助からない病に冒された人ならどうだろう。
ゆっくりと時間をかけて、死と向き合い、その覚悟を固めていくのだろうか。

いや、本当に死ぬ覚悟を持てる人なんているのかな。
どんな病に冒されても、誰だって生きていたい。
ただ、仕方のないこと、どうしようもないこととして、諦めて受け入れているだけなのかも。
自ら死を選ぶ人だって、本当にその覚悟を持って臨んだ訳じゃなく、最後の最後まで、そうせずに済む方法を模索し続けていたのかもしれない。

たくさんのいろんな人達がいるから、実際のところはよく分からない。
自分の中での推測でしかない。
だけど、この世界に生まれてきたからには、たとえ死と向かい合わせの状況に陥ったとしても、最後まで抗い続け、死んでゆく覚悟ではなく、生き続ける覚悟を持って運命と対峙してゆきたい。

我ながら、「向かい合わせ」というキーワードから、こんなに熱い文章が生まれくるとは思わなかった。
まあ、他に何のアイデアも浮かばなかったというのがホントのところだけど。

ここまで読んでくれる人もそうそういないと思うから、最後にひとつ。
「死ね!」って命令形で言われるより、「死んでください」ってお願いされる方がキツく感じるのは私だけ?
あれは言っちゃいけなかったよな…遠い目。

8/24/2024, 3:19:55 PM

助けたい。たくさんの子供達。
この世界に生まれてきて、この世界に絶望して欲しくない。
彼らを守れる存在として、自分には何が出来るだろうか。
大したことは出来やしない。
それでも、辛い思いをしている子供達の話を聞くと、やるせない気持ちで自分がもっと辛くなる。

遠い国の戦時下の子供達はもちろんだが、この日本でも、まともに食事も出来ない子供がいるという。
この飽食の時代に、ホントにやるせない。
いろんな親がいるだろうが、頑張って働いても、暮らし楽にならざりの家庭もあるだろう。
でも、親が頑張らなきゃ、子供達にはどうにもならない現実がある。
望んで子供を産む親はいるが、望んで生まれてくる子供はいない。
責任は取るべきだ。親としての責任を。

虐待する親は、社会から虐待されてその痛みを知るべきだ。
結局、歯向かうことの出来ない相手に対するイジメに過ぎない。
しかも、家庭という閉鎖的な場所ならバレないだろうという卑劣な考えもあるはずだ。
そんな奴らに、人の親となる資格はあるのか?
確かに、資格がなくたって子供は作れる。
だが、人の親としては失格だろう。
いや、人間としても失格だと思う。

いつになく熱く語っているが、私自身に親に不当な扱いを受けた過去はない。
感謝しかない育てられ方をした。
だからこそ、誰もが同じような子供時代を過ごして欲しいと切に願う。
そして、人の親になり、自分の子供に対しても、愛情いっぱいの接し方が出来るように。

車の運転や学校の進学に資格や試験が必要とされるのに、子供を作ることにライセンスが不要なのはおかしくないだろうか。
その人の子供に対する考え方を知れば、少なからず不遇な生命の誕生を防ぐことは出来ると思うのだが。
いろんな障害や抵抗があるのかな。
まず第一に守るべき存在が子供達だと思うんだけど。

他の動物達も、命がけで自分の子供を守る。
生き物の本能なんだと思う。
それに反する行為をするのは、人間くらいなんじゃないかな。虚しいね。
政治経済を偉そうに語る前に、家族への愛情を語れる人間でありたい。

…とはいえ、語り過ぎて長くなるのもウザいおっさん認定されそうだ。
え?もうすでにされてる?
それはやるせない。
このやるせない気持ちを、すべて我が子にぶつけて慰めてもらおうか。
日々頑張ってるお父さんにも愛の手を。

8/23/2024, 12:34:51 PM

海へ、向かう。
季節は問わない。
ただ、海を見に行く。

普段、海を見ない生活をしてるから、フロントガラスの向こうに海が見えてきた時は、いつも少しだけテンションが上がる。
非日常であり、ドラマティックであり、開放的で、畏怖すら感じる。
遮るもののない風景が広がっているのに、その先へは進めない。
行き止まりだ。

我が国の行き止まりに辿り着き、大海原に思いを馳せる。
自分はちっぽけで、ちっぽけな自分がちっぽけな悩みを抱えて、昨日はあのオフィスビルで心を痛めてた。
居場所がそこにしかなくて、周りを不安で固められて、好奇の目にさらされて、逃げ出す扉は閉じられたまま。
身動きが取れないほどの屈辱を抱えたまま、終業のチャイムを聞いた。

一夜明けて、あの場所から逃げ出してきたけれど、やっぱりこの先へは行けない。
また車に乗って、あのオフィスビルのある街へ帰るだけ。
砂浜に立ち尽くし、非日常を味わい、今や静まり返ったテンションで、これからを想う。
…きっとうまくいく。
どんな一日も終わり、また水平線の向こうに太陽は昇るから。

帰りの車の中で、私がさっきまで立っていた場所が行き止まりではないことに気付いた。
車を捨てて、船に乗ればいい。
太陽に向かって、船を漕ぎ出せばいい。
自分の中で、勝手に線を引いて留まっていただけだった。
でも、私はまだ、逃げ出さないことに決めた。
あのオフィスビルで戦うことに。

いつか、この戦いを終えて次のステップに進む時が来たら、私は船に乗って、この大海原へ漕ぎ出そう。
いつかまた、海へ。
その日まで、その日に向けて、私は戦う。

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