あれは、震災の夜。
都内の交通機関はほとんどがストップし、職場には、早々に帰宅を諦めた人もたくさんいた。
それでも、あの日は金曜日。
このまま週末を職場で過ごすのは嫌だった。
こんな時だからこそ、家族と一緒にいたかった。
家まで歩く決心を固め、職場を後にする。
深夜の歩道には人が溢れ、見たこともないような行列を作っていた。
当時はガラケーで、スマホのように詳細な地図も見れず、自らの方向感覚と人の流れに身を任せるしかなく、起きた災害の規模の大きさも相まって、非常に不安な気持ちで夜の東京を彷徨い歩いた。
足が疲れてきて、眠気と疲労が一緒にやって来て、それでもただ、歩いた。
歩くしかなかった。家に辿り着くためには。
限界が近付いて挫けそうになった頃、道路沿いの神社で炊き出しをやっていて、通りすがりの私にも、町の人が豚汁を振る舞ってくれた。
優しさと温もり、あの恩は忘れない。
やっと我が町に辿り着いた頃には、あれだけ大勢いた人の流れは消えて、数人のゾンビが前後を歩くような有り様になっていた。
そこに、ゆっくりと朝日が昇ってくる。
寒い夜が明けて、新しい一日が始まろうとしていた。
自分のマンションが見えてくる。
達成感と安堵感。
だけど、時を同じくして、東北の空の下では、絶望と失望に押し潰されそうな人達がたくさんいたはずだ。
夜通し歩いたが、もうすぐ家族の待つ家に帰れる自分と、昨日という一日の中で、家族やすべてを失った人達と。
天秤に掛けられるものではないが、せめて、この暖かい朝日の温もりが、遠い東北の被災者にも届いていることを願った。
小さな日本を飛び出し、世界で活躍しようとするなら、必ず人生の岐路に立たされることがある。
選択を誤れば、気持ちが崩れてしまい、その後のプランが総倒れになることだってあるだろう。
ここで間違えてはいけない。
いつだって、ベストな回答を導き出すんだ。
すべては自己責任であり、誰の助言を得ることも叶わない。
それは当然のことだ。
すべては君の経験であり、君の血と肉になるのだから。
そして今、
天空を司る運命の女神は、究極の選択を迫ってくる。
君が決めるんだ。君が選ぶんだ。
「Beef or Chicken ?」
世界の終わり?
そんな、不安になる話題より、
好きなテーマパークの話とか、したい。
いろんなとこ、行ったなぁ。
関東の水族館はほとんど行った。
水族館は海の近くにあるから、
そのまま海辺を散歩したり、一日楽しめるよね。
沖縄の美ら海水族館や北海道のおたる水族館も行ったなぁ。
旅行の楽しい思い出のひとつ。
子供が出来てからは、動物園や遊園地が多くなったかな。
子供達が、ふれあい動物園が好きで、モルモットとかウサギとかヒヨコとか、小動物を抱っこしてる写真がいっぱいある。
北海道の動物園では、
ニシキヘビを首に巻いて写真を撮ったっけ。
微妙に怯えて緊張してる顔が面白かったな。
もちろんディズニーランドも。
パパはトゥモローランドやアドベンチャーランドが好きで、
子供達はキャラクターを追いかけて。
プーさんのハニーハントに二時間も並んでアトラクションが五分で終わった時は、パパは脱力して帰りたくなったけど、子供達がめいっぱい楽しんでて並んだことなんて苦にしてない様子だったから、最後まで残って綺麗な夜空の花火を見た。
幸せだった。
子供達は、大きな音に怯えて、耳を塞いで泣いてたけど。
そんな感じかな。
とにかくいろんな思い出を作ったよね。
君と二人の思い出も、家族で楽しんだ思い出も。
イイコトばかりじゃなかったけど、
イイコトだってたくさんあった。
…さて、そろそろ時間なのかな。
もう、子供達も、大きな音に泣いてしまうような歳じゃないし、向こうの家族も話し合って覚悟をつけた頃だろう。
僕達もベランダに出て、最後の天体ショーを楽しもうか。
どんなテーマパークにもないアトラクションになりそうだよ。
それを最後に君と見れて本当に良かった。
たまにニュースで見たり、YouTubeに動画が上げられていたりする、店内で怒鳴るクレーマー。
お客様は神様ですを信条に生きているような人。
こっちは金払ってんだ!とか思ってるのかもしれないけど、向こうは商品を売ってくれたり、何らかのサービスを与えてくれてる。
その対価を支払っているだけ。物々交換と変わらない。
よって、あなたは別に偉くない。
気付け。
こっちが支払ったお金のおかげで、向こうは利益を出せているんだから、客の方が上だ!とか言ってた人がいた。
あなたがその商品をその価格で購入することを決めたんだから、その商品はその価格で適正なんだよ、あなたにとって。
と言いたい。
嫌なら買わなきゃいい。自分で作れ。
それが出来ないなら、その分の付加価値も黙って支払え。
と、言いたい。
店側も、客に低姿勢が過ぎると思う。
そんな迷惑な客は、もう来んなと追い出してしまっていいと思う。
その方が、周りの他のお客さんにとっても有り難いし、店員さんの無駄なストレスも抑えられる。
人によっては、それがトラウマになってしまうこともあるだろう。
例えば、その理不尽なクレームをぶつけられて困っている店員が、自分の娘だったら?
クレーマーには、そんな想像力もないのだろうか?
もちろん、店側の態度が最悪な時もある。
確かに、そんな時は「こっちは金払ってんだぞ!」と思うかも。対等なはずだから。
でも、向こうの仕事として、対価に見合う最低限をやってくれているのなら、その態度は受け入れるしかないと思う。
お金を払ったのに商品が渡されなければ、詐欺として訴えるけど。
スマイル0円とか言うのも、素晴らしいけどトラブルのもとな気がする。
美味しいハンバーガーを売ってくれればそれでいい。
いつだって、相手側の立場になってものが言える人間でありたい。
他人の機嫌ばかり伺ってたら自分の人生を生きられないとか言うけど、誰もが目の前の相手を心地良くする接し方を選ぶ世の中なら、自分も幸せになれる自信がある。
最悪なのは、自分が幸せであれば他人なんてどーでもいいと皆が思っているせいで、気付けば、お互いがお互いを蹴落とすことでしか幸せを感じられない世の中になってしまうこと。
そして、長いだけの文章にあんまり実がないことに、最後になって気付いてしまうこと。
誰にも言えない秘密はこれ。
ここに、日々書き続けてること。
誰にも言えないとゆーより、誰にも言わない秘密かな。
こんなアプリがなかったらスマホに眠っていただろう言葉が外に出ていった。
所詮、素人の落書きだが、こうしてテーマを課されて日々試行錯誤を繰り返していると、ちょっとその気になれる。
勘違いでも楽しい。
高校生の頃は教科書やノートの片隅に、大学時代はワープロで印刷した紙に、そして社会人になって、PCやガラケー、スマホにタブレットと、かろうじて作品と呼べるものに昇華していった。
自己満足で終わっていたものが、もっと読みたいと評価され、もっと書きたいと鼓舞されて、気付けば約半年、167作品。
ジャンルもバラバラだが、何かを残し続けてはいる。
書けるもんだな、と。良し悪しは置いといて。
こんなにも、自分の中に言葉があったのか、と。
はっきり言って、今の仕事にこのスキルは必要ない。
単なる趣味でしかない。
それでも、日々を生きる自分の糧になっていることは確か。
誰に見られなくても書きたかったんだから、当然といえば当然だが。
周りの人間には知られずに、密かに自分を発信し続けている。
…と、初っ端から嘘をついてました。
これに書き始めてまもなく、娘にはこんなアプリがあるよと伝えて、自分の作品も読んでもらってた。
誰にも言わない秘密にしてはおけなかった。
まずは身内に、表に出しても恥ずかしくはないか、と。
娘もいくつか作品を残して、しばらくしたらフェードアウトしていった。
自分の作品も読んでくれなくなった。
文字より絵の方がお好みだったらしい。
どーでもいい身の上話は置いといて、じゃあホントに誰にも言えない秘密は何なんだと聞かれても、それは誰にも言えない。
秘密だから。墓場まで持っていく。
今はまるで思いつかないけど、きっと自分にも何か、カッコいい秘密があるはずだから。