無垢で正直者のあなたが、生きづらい世の中になってしまった。
サギが飛んできてカモのあなたを襲う。
目も当てられない。
サギを撃ち落とすはずの猟師達は、厳しい銃規制に、空を行くサギを見送ることしか出来ない。
あなたが鍛えなおし、カモからタカにでもならない限り、この世界で安穏に生きていくことは出来ないのか。
バカを見ない正直者になりたい。
タカとなって鋭い爪を持ったとしても、それを有効に使う手段を知らない。知りたくはない。
カモのようにのんびりと、水面で仲間同士たゆたっていたいもんだ。
背負ったネギですき焼きでも作って、今夜は皆でささやかな夕げのひとときを。
ねぎまは友食いになりそーだからやめとこう。
何の話だったか。
無垢で正直者のあなたが、いかにして苦痛なく生きられるか。
生きる限り、多少の苦痛は伴うものとして、まずは自分の痛みにも正直になる。
そして、理不尽な痛みに対しては、闘う。
軍鶏のように。
または、ヒクイドリのように。
バカを見ない正直者になろう。
愚かなのは、人を騙すサギや臆病者のチキンであって、自分の心に正直に生きるカルガモの親子に未来は明るい。
ああ見えて、本気になれば空だって飛べる。
世界を股にかけて、遠い国にだって飛んでいける。
あ…カルガモは、留鳥だったっけ?
と、何故、鳥に例えて正直者を語っているのかは分からない。
鳥の生態に詳しい訳でもないのに。
むしろ、最近やっと、よく見かけるハクセキレイの名前を覚えたくらい。
うまいこと博識ぶって終わらせようかと思ったけど、まあ、根が正直なもんで、知らんもんは知らんと言える自分でもありたい。
バカを見ない正直者になろう。
雨の音は嫌いじゃない。
気持ちがリラックスして、いつもと違う感覚に浸ることが出来る。
考えてみれば、晴れたり曇ったり雨が降ったり雪が降ったり、自分が生きる世界の装いがガラリと変わる訳で、かなり大掛かりな舞台装置が稼働してる。
これは、今日の舞台も演じ甲斐があるってもんだ。
六月は静かな雨の演出で、日々の暮らしも少し落ち着いたシーンが多くなる。
あまり閉じこもりがちになると、鬱っぽくなってしまうきらいがあるから、傘に落ちる雨音を聴きながら、通勤や通院や買い物といった日常を続けよう。
そしてそこで本来の自分を演じつつ、夜の緞帳が下りるまで、粛々と過ごしていく。
ワクワクが増えるのは、この梅雨の時期を越えた辺りからか。
夏が来る。夏休みがある。
いや、とはいっても、もはや海や山に行く訳でもなく、暑さに苦しむイメージの強い季節になってしまっているが。
そして、夏を満喫するギラギラしたキャラにはもうなれない。
やっぱり、雨音を聴いてリラックスしてる方が性に合ってるのかな。
いずれにせよ、毎年繰り返される季節の暗転の中で、自分の出番はまだまだ用意されているようだ。
役者としては子役から始まり、気付けば齢50の大ベテランとなったが、まだまだ幸せな家庭の父親として奮闘していくつもり。
偽りを演じるのではなく、本当の自分をさらけ出した演技で、いつかアカデミー賞を狙う。
雨の音は嫌いじゃない。
気持ちがリラックスして、こんな妄想に浸ることも出来るから。
無垢なる人。
大空を仰ぎ、世界の平和を夢見る。
人々が安らぎ、争いのない世界で、
競い合うこともせずに微笑んでいる。
そして、悪意に飲み込まれる。
無垢なる人。
疑うことを知らず、すべてを奪われ、
生きる糧を失っても、命あることに感謝して。
誰かのためにその命を削り続けて、
短い人生をまもなく終える。
無垢なる人。
闘う術を持たず、痛みに耐え続け、
君は何を手に入れたろうか。
そこに、君の心の安らぎはあったろうか。
争いは無くならず、君が争うことを放棄しただけ。
無垢なる人。
天使、赤ん坊、飼い主に愛された犬や猫。
憧れても成り得ない存在に想いを馳せる。
それでいいじゃないか。にんげんだもの。
垢が付いても洗い流せるシャワーなら家にある。
無垢なる人。
誰かに愚かだと笑われても、愚かさを測るメジャーなどない。
世界平和を夢見るのは愚かなことかもしれないけど、
本当に世界に平和が訪れたなら、
この世界に笑顔があふれるのは、
誰も否定出来ない夢物語なんじゃないかな。
無垢にはなれない自分は、無垢でありたいとは思わない。
ただ、その存在がこの毎日を穏やかにしてくれていることを知ってる。
荒んだ世界に一滴の清き雫を、
誰かが天上から落としてくれたかのように、
地上に落ちて静かに土に染み込んでいくかのように、
その土壌から芽生え、春になり美しき花が咲き誇るかのように。
もう、ミスチル。これに尽きる。
誰の真似もすんな 君は君でいい
生きるためのレシピなんてないさ
心に刺さった。自分もこんな言葉を生み出したいと思った。
そして、この言葉がメロディに乗った時の感動。
他にも、心に響いた歌はたくさんある。
メロディが、そして歌詞が、人生を彩ってくれた。
音楽のある人生とない人生、天秤にかけるまでもなく、
まさに天国と地獄、生きながらにして至福の世界に浸れる。
音と言葉の組み合わせが、こんなにも人生に影響を与えるとは。
音楽で、泣いて、悩んで、立ち向かって、立ち上がった。
言葉を紡ぐのも好きだけど、本当は音に乗せて届けたい。
だって、心に響くから。カッコいいから。
音楽を作るすべての人達にエールを送りたい。
だって、その才能に救われてるから。
自分の微々たる才能で、誰かを救うことが出来るだろうか。
音を操るスキルがあればもう少しは…真面目にそんなことを考えている。
「終わりなき旅」もいいが、一番感銘を受けたのは「HERO」。
生きる自分の指針になった。
ちょうど子供が生まれたばかりの頃で、その歌詞について自分は、我が子にとってのヒーローでありたいと捉えていたのに対して、姉貴は、恋人への想いを歌っていると主張して、言い争ったことを覚えている。
今思えば、捉え方は自由でいいんだろうな。
人それぞれのヒーローがいるんだから。
もちろんこの「HERO」の歌詞にも、大好きなフレーズがある。
ライブでボーカルの桜井さんが、そのフレーズを歌いながら、堪えきれずに泣いていた。
それを見て自分も一緒に泣いていた。
あんなに感極まったライブは他にないかもしれない。
まあ、現場ではなくDVDで見たんだけど…。
他にもたくさん好きなバンドはいるけど、若かりし頃からずっと好きなままでいるのは、やっぱりミスチルとサザンかな。
今好きなアーティストにだって、少なからず彼らの影響を受けてる人達がいると思う。
でも、「終わりなき旅」や「HERO」の歌詞が唯一無二のような気がするのは…ファン目線の思い込みだろうか。
まあ、そう思っていても、何ら問題はないんだけど。
結局、1ファンのアーティスト賛辞になってしまった。
お題がこれでは仕方がない。
だって、他に何にも書きたいことが浮かばないんだから、これ以外。
最近は、Vaundyとか、風くんとか、素晴らしい音楽を作り続ける若者がどんどん出てきてるけど、自分の人生における音楽は、ここから始まったような気がする。
偉そうに言える根拠など、まるで持たない私ですが。
「ごめんね」と言えないまま、遠く離れてしまった君へ。
ひどいこと言ってごめん。
君のお姉さんが、俺の兄貴と仲良くしてるところを見て、兄貴を取られちゃうんじゃないかって思った。
兄貴は誰のものでもないのに。
でもね、あの片田舎の町で、ずっと二人で一緒にいたんだ。
友達の家も遠かったし、兄貴と遊ぶのが一番楽しかった。
東京みたいに遊ぶ場所もあんまりないから、夏休みなんか朝から家を出て、あてもなく町をうろついてただけだけど、いろんな話をしたよ。
兄貴はいつか、東京に行きたがってた。
君達が引っ越して来る前からね。
あの町でくすぶり続けるのに耐えられなかったんだろうな。
君達がその気持ちを強くしたことは間違いないと思う。
恨み言じゃなくて、そこから兄貴の夢が動き出したんだと思う。
だから、君のお姉さんに感謝してる。
俺が言うのはおこがましいけど、兄貴の未来を切り開いてくれた感じ。
俺には出来なかったことだからね。
まあ、うん、兄貴のことだから、ほっといても一人で行動してたのかもしれないけど、背中を押してくれたのはきっと君達の存在なんだと思ってるよ。
兄貴の話ばかりになっちゃった。
君に謝りたかったから手紙を書いたのに。
あの日、
「兄貴が離れていくのは、お前らのせいだ」
なんて、バカなことを叫んだっけ。
俺、泣いてたよね。カッコ悪い。
君が「ごめんね」って謝るから、心苦しくて、帰り道で野良犬相手に、俺も「ごめんね」って謝り続けた。
バカだよね。
えーと、とにかくごめんなさい。
本当は、この町で君が元気になって、ずっといてくれたら嬉しかった。
そしたら、ちゃんと会って謝れたと思う。たぶん、きっと。
でも、ホントにこの町を、好きになって欲しかったな。
俺も、大好きなんだ。この町も、君のことも…。
この手紙を、東京にいる兄貴に送って、君に渡してもらおうかと思って書いたけど、やっぱりやめとくよ。
いつか、やっぱりちゃんと会って謝りたい。
そして、この気持ちを伝えたい。