Ryu

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5/1/2024, 2:42:14 AM

あなたの楽園と私の楽園は違う。
交換したら、お互いに地獄にもなり得る。
例えば、南の島で、不便極まりなく退屈な毎日や、
興味のない推しグッズに囲まれて、日々ライブ漬けの毎日、等々。
楽園は人の趣味嗜好の数だけあって、そう考えると、誰もが思い描く楽園などないのかもしれない。

私の楽園は、我が家かな。
家族がいて猫もいて、美味しいご飯が食べられて、ふかふかの布団で眠れて、テレビやVRでゲームが出来て、各種サブスクで映画が観れて音楽が聴けて、仕事が明けたら真っ先に帰りたくなる場所だ。
家族に、外ではそう言えと強要されている訳ではない。

そんな我が家に足を向けたくないと思う人達もいるだろう。
うちの職場にもいる。ずっと残業して、居残り続けてる。
仕事が忙しい訳でもないのに。
そーゆー人にとっては職場が楽園なのかな。
信じられないが、楽園味を感じた上に残業代が貰えるんなら、それはそれで羨ましい。

ただひとつだけ、誰もが楽園と思える場所があるんじゃないだろうか。
もう訪れることは出来ないけれど、誰もが九ヶ月ほど滞在していた場所。
不安などなく、不足すらなく、ただただ安心に包まれて漂っていた場所。
そう、母親の胎内だ。

…なんて、カッコつけてみたところで、当時の記憶がある訳もなく、本当に楽園だったのかも分からない。
生前の記憶がある人もいるらしいけど、楽園だとは言ってなかった…かな。
ならば、株で儲かってウハウハな世界とか。
今は暴落中で、イメージすら湧かないけど。

楽園、それは、誰もが心の中に思い描く理想郷。
現実には存在しない。
何故なら、人の理想は欲深すぎて、到底実現不可能なものになってしまうから。
だから、妄想の中で味わい尽くすしか、ない。

とかいうオチでまとめてみる。
今を生きるこの世界が理想郷だと思えたら最高だな。
楽園は、案外身近にあるのかも。
我が家のように。

4/30/2024, 2:20:29 AM

故郷の風は心地良く、山の方から吹いてくる。
視界いっぱいに田園が広がる一本道を、ゆっくりと家族で散歩する。
この場所には、GWの喧騒などない。
あるのは、この場所で暮らしていた頃の懐かしい記憶と、ここを遠く離れた場所で家族を築き生活していることに対する、漠然とした中の一抹の後ろめたさだけ。

連休のうちの二日間だけの帰郷。
仕事や家族の都合でこれが精一杯。
子供達は、普段との環境の違いを楽しんでいる。
取り立てて実家の両親との会話が弾む訳でもないが、久し振りに会えたことには違いなく、まずは近況報告を。

地元に残った友達の一人は、今年に入ってまもなく、脳梗塞で入院したという。
今年の田植えは大丈夫なのか、といらぬ心配をしてしまう。
奥さんが子供を連れて家を出ていってしまって、男やもめの生活をしているという友達の話も聞いた。
皆、大変そうだ。
でも、彼らは今もこの場所に根付いて生活している。

遠く、飛行機雲。
道端の雑草の中にも、ハッとするほど綺麗な花を咲かせているものがある。
そこに、小さな生き物たちが息づき、ただただ命の連鎖を繋げている。
これが私の故郷だ。命を与えられた場所だ。
ここで生まれ、家族に支えられて、幼い時代を過ごしてきた。
不安な心とランドセルを抱えて、この一本道をトボトボと歩いたこともある。

娘が道端の花を指差し、
「これ、なんて花?」と聞いてくる。
「知らない。花なんて興味持って見たことなかったし」
「もったいないな。こんなに自然に囲まれてるのに」

自分の人生の選択が間違っていたとは思わない。
今こうして、家族皆で同じ道を歩いていられるのだから。
ただ、この場所に立つと、違う選択もあったのかな、と思うだけ。
家族や地元の友達と一緒に過ごし、友達の見舞いに行ったり、孤独になった友達を慰めたり、年老いた両親を支えたり。

心地良い春の風に乗って、
あの日、駅のホームで、上京する自分に両親がかけてくれた言葉が届いた。
「どこに行っても頑張れよ。ホントにダメなら帰ってこい」
帰ってくることはなかったが、帰りたくなかった訳じゃない。
東京を好きになれないまま、ここまで生活を築き続けてきた。

「何も間違ってはいないよな、うん」
「…なんか言った?」
「いや、帰ったら、じーちゃんとばーちゃん連れてお昼食べに行こうか」

どんな時代の自分にも、誇りを持とう。
選択が間違っていたかどうかを知る術はない。
その時の自分にとって最善と思える選択をして今がある。
後ろめたさはきっと、幸せの裏返しなのかも。

4/29/2024, 5:26:51 AM

知ってるけど、たぶん使った記憶のない言葉、「刹那」。
何となくシリアスな、危険な香りのする言葉だと思ってたけど、改めて調べてみたら、刹那主義ってのは「今を生きる」ってことなんだな。
もっと儚い、破滅願望的なのをイメージしてた。
まだまだ知るべきことはたくさんあるようだ。

で、刹那主義。
過去や未来に囚われず、今を生きることの大切さ。
まあ、言い方を変えれば「今が良ければ後先考えない」とも取れるけど、後先考えすぎて今を生きられないよりはマシ。
人はこの一瞬の刹那に生きるべきなんだな。

…と、使い慣れてなくて、こんな言い回しでいいのかどーかも不安だけど、なんか使えば使うほどドラマティックな表現になるようで、今後多用しそうな予感。
仏教から生まれた言葉らしいけど、なんかビジュアルバンドの歌詞によく使われてるような…気のせいかな。
カタカナで書いてもカッコいい…セツナ。

こんな徒然過ぎる文章の中にも、こんな言葉がひとつ加われば、ハッとする何かが生まれるかもしれない。
まあ、徒然と刹那が相反するものな気がして仕方がないが、のんびりとした日々を過ごしていても、その一瞬一瞬は二度と戻らない時間だということを忘れずに、悔いのないよう今を生きたいと思う。

ちなみに、「刹那」で検索してみたら、歌で引っかかったのは GReeeeN だった。ビジュアルバンドどころか、姿を見せない人達だった。

4/28/2024, 12:38:50 AM

生きる意味、それはつまり「なぜ君は生きるのか」ってことかな。
だとしたら、答えは「この世に生まれてきたから」だと思う。
自分の意志で人生を始める人なんていない。
気付いたら始まってる。

他人の、とゆーか両親の思惑で自分の人生は始まる訳だから、生きる意味なんてすべて後付けでしかない。
生まれる前から人生の意味を考えて、計画的に生まれてくる人なんていない。
気付いたらスタートラインに立ってるから、ただただ歩き始めるだけ。

だから中には、こんな人生いらない、って思う人だっているだろう。
望んで生まれてきた訳じゃないんだから当たり前だ。
そんな人にとっては、生きる意味なんて考えるべくもない。
誰かがカッコつけて、「愛」とか「友情」とか「幸せ」とか言ったって、それを見つけるかどーかは今の自分次第であって、決して生きることに付随するものではないと思う。

それでも、せっかく生まれてきたんだからと奮闘して、「愛」とか「友情」とか「幸せ」に出会えた時、それが生きる意味になることはあると思うけど、それは後付けの幸運であって、「生きる意味は何ぞや?」の答えにはならない。
「生まれてきた」から、「生きていく」んだと思う。

思考がループし始めたけど、強引にいく。
動物は、生まれて死んでゆくけど、そこに生きる意味なんて存在するだろうか。
ただ生まれてきて、お腹が空いたからご飯食べて、出すもの出して、眠くなったから寝る、というように生きていく。
人間だって本来はそうだ。同じ生き物だ。

ただ、動物達は決して自分の感情で自分の人生を終わらせたりしない。
生まれたからただただ生きていく。
愚直だが、それが本来の生き物の姿なんじゃないかと思う。
我が家の猫は、日々、家中を歩き回って何かしら楽しいことを探しながら、それで暇を潰し、何となく毎日を過ごしている。

人生に大義名分なんてない。
意味や理由や目的に縛られる必要もない。
難しい言葉で人生を語るのはすべて嘘だと思ってる。
語っているその人も、何も持たずに生まれてきたはずの単なる生き物だから。

4/27/2024, 1:54:56 AM

その女の子は、餓死寸前だった。
三歳で親に捨てられ、行き場もなく、瀕死の状態で町を彷徨っていた。

ある女性が女の子に声をかけ、家に招き入れた。
温かいスープを与え、お風呂で汚れた体を綺麗にして、ふかふかのベッドで眠ることが出来た。

それからというもの、女の子は彼女に育てられ、何不自由なく暮らした。
女の子は、彼女に感謝してもしきれなかった。
彼女がいなかったら、私は路地裏で餓死していただろう、と。

女の子が十七歳になったその日、何の前触れも無く、彼女は女の子を人買い組織に売り飛ばした。
女の子は綺麗な女性に成長しており、かなりの値がついたことだろう。

「私が面倒見れるのはここまでだよ。あとの人生は、自分の力で生きていきなさい。あなたには、それだけの教養や体力が身に付いているはず。私はこのお金で、余生を楽しく過ごすから」

組織の中では酷使され、嵐のように日々が過ぎていった。
時折、彼女との暮らしを思い出す。
幸せだった。
まるで本当に親子のように。

組織で知り合った仲間の女性達と、自分の生い立ちについて話したことがある。

私の話を聞いて、ある人は「それは酷い目にあったね。娘同然のあなたを売るなんて、その女は極悪人だよ」と言った。

ある人は「餓え死にしそうなところを救ってくれて、何の恩義もないのに十年以上も面倒を見てくれた。たくさんのお金も費やしたことだろう。天使のような女性だね」と言う。

そしてある人は、「その女は怪物、モンスターだよ。他人に対して何の感情も持たない。そうでなきゃ、そんな真似が出来るはずがない」と恐ろしそうに呟いた。

きっと、善も悪もそこには無かった。
彼女の生きる道が存在していただけ。
誰もがそうだろう。
善か悪かを判断するのは、いつだってそれを知った周りの人間達だ。

いずれにせよ、あの人は私に命を、人生をくれた。
それだけは事実。
私はあの人を恨まない。追いすがったりもしない。
あの人の幸せを願ったりもせず、他人として生きていく。
そう決めた。それが私の生きる道。

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